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特集:2003 おんなたちのPOWERで「変革」の風を
    −第48回JA全国女性大会特集−

特別企画
元気の素は田舎にあり
−健康寿命を延ばそう−

小橋暢之 (株)パストラル代表取締役社長


 少し悲しくなるようなメッセージを見た。文化庁文化審議会が、文化芸術の振興に関する基本方針案についてパブリックコメントを求めたメッセージ『大地からの手紙』(2003年)である――。


小橋暢之氏

 「日本は疲れています。日本は自信をなくしています。
 日本人は彷徨い続けています。
 戦後、ものを作り、ものを売って高度成長を果たした日本は、この半世紀を爆走しながら、富の代わりに何を手放し、何を見失ってきたのでしょう。
 若者たちも大人たちも、日本人すべてが人生の土台となる『熱い何か』を探して、時代と闘っているのかもしれません。
 〈中略〉
 狂想曲は鳴り終りました。
 立ち止まって、青空を見上げてみませんか。
 久しぶりに大地と話してみませんか。
 日本は今、日本を蘇らせる『日本人の熱いちから』を待っています。」
 富の代わりに日本人が手放し見失ったもの、たとえば「ふれあい」「ゆとり」「夢」(1993年朝日新聞世論調査)といった心の豊かさにかかわる価値だ。あるいは、大地の上に立ち、自然にふれて心の豊かさや幸福感で満ちるような暮らしそのものではないだろうか。換言すれば、日本人のふるさとの遠い暮らしなのだと私は思う。
 今、都会では失業や犯罪、そして中高年の自殺が増大している。
 「失われた十年」を経、なお出口が見えないトンネルに停滞しつづけているような今日、都会生活者の中には、子育てやリストラ、あるいは定年といった人生の転換点に立って、この機会にできれば田舎に移り住んで暮らそうという思いを持つ人が多くなった。例えば、団塊の世代(約700万人)の23%強が、定年後に大都市圏から田舎などへの転居を考えているという(日経ビジネス「団塊が引退する日」)。
 それは、単なるノスタルジーからの衝動ではなく、行きづまりになった社会で人々が新しい暮らしの道(ウェイ・オブ・ライフ)を求め始めた証しであると思う。
 私は、多くの都会生活者が青空の下で再び大地に汗し、楽しく働き暮らすようになることが、疲れきった日本人を復興する一つの道ではないかと考えている。
 もちろん、田舎に都会生活者の「青い鳥」がいるわけではない。
 都会が病んでいるように、農村も活力を失い著しく老人化しつつあるのだ。
 ただ、“国破れて山河あり”と言われたように、田舎には人間復興のためにどうしても欠かせない自然、大地がある。
 多様な能力を持って都会から田舎に移り住む「風の人」と伝統ある地域の術(わざ)を持つ「地の人」(土地に根付いている人)とが交流し学び合い、新しい日本人の暮らし方(ライフスタイル)を創造するなかに、これからの日本人の「人生の土台」ともなるべき「幸福の青い鳥」の姿が見えてくるのではないかと思う。
 そうだとすれば、「風の人」は「地の人」から何を学ぶべきだろうか。
 ここで私は、かつて柳田國男が指摘した「地の人」の人生と暮らしの術について語りたい。
 柳田國男は、戦前における都市の成長と農村の衰退について論及した際、農村人の向都離村傾向を時代の歴史的すう勢と見つつも次のように述べた。
 「しかし、こういう世の中に入って行く際に、もしあらかじめ農に衣食する者をして、少しでも自分の持つ力を覚らしめる道があったら、事態は必ずしもこの形をもって発展しなかったと私は思う。これが革新のなお多き理由である」(柳田國男「都市と農村」)。この“農に衣食する者”の自覚されざる力が「村独特の貴重なる三つの経験」であり、これをもって柳田は「田舎人が都市住民に教えるべき資格があった」という。
 では、その三つの経験とは何か。

◆大地に汗し働く喜び

 その第一が「勤労を快楽に化する術」だと柳田は言う。
 「豊熟の歓喜とも名づくもので、都市ではわずかに芸能の士、学問文章にたずさわる者などが個人的にこれを味わい得るのみであるが、村では常人の一生にも、何度となくその幸福を感じ得たのであった」(柳田『前掲』)。
 暮らしとして農を営む、つまりウェイ・オブ・ライフとしての農にとって、「作物とは人間と共生する植物であり、家畜とは人間と共生する動物」(津野幸人『農学の思想』)なのであって、作物や家畜の生命の成長と豊熟は、これを手助けし、働く人間の大きな感動と喜びに通じるのである。こうした感動を、日本人は大人も子供もあまりにも忘れすぎてきた。とりわけ、子供達を農から遠ざけたことは、日本人の未来にとって決定的な失敗だった。「生命を慈しみ、はぐくむ世界にあって、他者の生命を徹底的に利用し尽くすという関係は存在せず、何らかの相互の関係、つながりになる循環が、すべての生あるものを、生き生きと生かしてきた。これこそが教育の原形である」(灰谷健二郎『学校のゆくへ』)。
 少年犯罪の増大の背景に、灰谷健二郎は子どもたちが「いのちの問題」をつかみきれていないことをあげ、「子ども達を自然や生産から遠ざけてしまったこと」をその1つの原因と指摘している(98年朝日新聞「いのちまんだら」)。
 大地に汗し、生命を育む喜びを暮らしの中に取りもどすこと、これが人間復興への道だ。

◆健康長寿の喜び

 

 第二が、「知恵ある消費の改善をもって生存を安定にする法」である。
 田舎では長い経験によって身体によいものなど様々な暮らしの知恵が継承されてきた。
 「新しい物必ずしも良き物でなかったことは木綿と毛織りが風引きを多くし、温食の風が歯を弱め、米の精白が脚気を流行させた等の種々なる原因が後から発見されるのをみてもわかる」そして「人はたびたび愚昧なる採択をもって生活の改良の如く誤解する」ものであり、このことを注意し得るのは田舎人だけであると柳田は言っている。
 残念ながら「愚昧なる採択」はかえって食生活や消費が高度化した現在ほど多くなっている。児童まで成人病にかかっている率が高いという一事をもってこのことは理解されるだろう。
 衣・食・住の暮らし全般にわたって自然と共生してきた「地の人」が伝えて来た健康にいい暮らしの術に我々はもう一度目を向けるべきだろう。
 とりわけ、地産・地消の生活文化が大切だ。また、モノばかりでなく社会的な術とも言うべき「ユイ」など助け合いの伝統にも注目すべきであろう。今日、平均寿命がもっとも長くかつ高齢者が健康である(1人当り老人医療費が少ない)のは、最先端の医療設備が充実している便利で豊かな東京などの大都会ではない。それは長野県をはじめとする地方であり、中でも過疎の農山村であることに注目すべきではないか。
 長野県の南相木村で診療所長をしている色平哲郎さんはこう言っている。
 「健康をおカネで買う風潮は強まっている。けれども村が築いてきた『人間として人間の世話をする=ケアする』のネットワークは、いくらおカネを積んでも買えはしない。
 なぜなら、村は村全体が、長い時間をかけて創られた保健医療空間だからだ。
 山や川、森林は村人の心を無条件で和ませる健康の基盤であり、田んぼのあぜ道は、医師が診療に向かう廊下。二重、三重のバックアップ体制には半世紀以上の時が費やされている。」(色平哲郎『大往生の条件』角川)。
 国民健康保険中央会の調査によれば、こうした農村地域の高齢者の多くは、80歳をすぎても元気で農業を続け、自分で作った野菜や豆を食卓に並べ夫婦で食べる(長野県は高齢者の有配偶者率がもっとも高い)人たちが多いという。つまり、理想のPPK(ピンピンコロリ)人生を送る人が多いのである。

 
 
 

◆自然と共生する喜び

 第三が、柳田國男が特に大切なる1点として指摘した、「土地その他の天然の恩沢を人間の幸福と結びつける法」である。
 これについて、柳田は次のように言っている。
 「狭い島国では無くとも人は此より外に進んで物を豊かにする途を持たず、また田舎者以外には専門にこれを掌(つかさど)る者は無いのであった。如何に巧妙なる交易を以ってしても、結局生産した以上の物を消費し得ないことは、家も村も国も世界も同じである。」
 戦後の日本は柳田の指摘とは別の方向、つまり海外から大量の食料や財、それに石油などのエネルギーを輸入し経済的繁栄を実現した。しかし、このことは日本人と「土地その他の天然の恩沢」との関係をきわめて希薄にすることになった。その典型が循環性のないエネルギーの大量消費による二酸化炭素の集積と大気汚染、農薬等による大地の汚染、つまり風土環境の汚染であった。
 人と天然の関係の希薄化は、人が維持してきた自然をも荒廃に導く。例えば里山がそうである。里山は、「地の人」が長期にわたって暮らしの中で活用しながら維持管理してきた自然である。そうした手入れが農法の変化や燃料革命などにより行われなくなって、里山は放置され無秩序な開発などにより荒廃している。その具体的な影響が、里山の生物生態系の破壊だ。環境省のレッド・データ・ブック(LDB)によれば、里山などを生息地とする動物の688種、植物で1992種が種の絶滅の危機にあると報告されている。この数は、せきつい動物及び維管束植物の約2割にも達するのだ。過去にもニホンオオカミなど種の絶滅はあった。しかし、現在の危機は途方もないスケールなのである。
 人間が自然を滅ぼしつつあることに気づかねばならない。地球の歴史で、自然と対立して生きのびた種がないことに人間自身が気づかねばならない。
 日本人の持続的な未来にとっても、「天然の恩沢」を人間の幸福にもう一度結合させることが求められているのではないか。それは、1人ひとりの暮らしの中で、つまりライフスタイルとして実践されることが必要なのだと私は思う。
 例えば、藤本敏夫は都会生活者の「里山往還半農生活」(都会と里山に生活の拠点を持ち、農的生活をしながら都会と田舎を往還するライフスタイル)を提唱している(加藤登紀子編『農的幸福論』)。
 そして、そういう都会人を支援する「地の人」を彼は「エコファーマー」と位置づけているが、彼の目線も1人ひとりの暮らしの変革にある。
 田舎を人生の土台として、「風の人」と「地の人」とが協働しつつ、天然の恩沢を人間の幸福に結びつける暮らしを創造する、これこそ日本人の元気をつくる新たなウェイ・オブ・ライフとして注目されて然るべきであろう。



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