【略歴】
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昭和18年6月生、兵庫県相生市出身。岡山大学農学部卒、昭和41年から約41年間、農林水産省(独法も含む)の研究機関に勤務。平成19年5月より現職。農学博士。主な著書「土壌病害をどう防ぐか」(農文協)。 |
故郷は嘗て造船の町として栄えた播州の港町。今でも、90歳の母親から瀬戸内海の春の旬、手造りの「イカナゴのくぎ煮」が届く。その港が見える丘に建つ中学校を巣立って50年振りの同窓会。奇しくも、その帰郷の折、中学生時代の日記帖を見つけた。そのなかに、色あせたガリ版刷りの修学旅行のチラシが綴じ込んであった。中学3年生(昭和33年)の箱根、江ノ島、鎌倉、東京へ3泊4日の旅、行きは夜行列車に1泊。今思うと懐かしい。
その当時はまだ戦後の米の配給制度の名残があったのか、旅館に宿泊する際には、食事用の米を現物として持参するのが慣習となっていたようである。そのチラシは父兄に対するアンケートで「昨年度まではコメを携行していたが、なるべく持物を軽くし疲労をさける意味から、本年は費用のなかから宿所でコメを調達するやり方に変えたい。コメを持参しない場合は交通費1825円+宿泊費790円+昼食・見学・雑費185円の2800円の費用負担になるが、従来通りにコメを持参する場合(2泊6食分として9合)は宿泊費が140円安くなり2660円となる。どちらを希望するか」という内容である。これとは別に昼食1食分(1合5勺)のコメを持参したようである。年代物のチラシから、コメが生活の隅々まで入り込んでいた昭和30年代の世情が偲ばれる。
因みに、昭和33年の米価は60kg当たり3960円、酒1升425円、葉書5円、理髪料金150円であった。この年の12月には東京タワーが完成、一万円札が登場するなど、高度経済成長の幕が開け、今から思うと、中産層が増え、消費ブームへ発展する節目の年であった。そして、その3年後に農工間の所得格差の是正を謳った農業基本法が制定された。
昭和41年に農林省農事試験場に入省した私は、この農基法のもとで、野菜など主産地形成とともに深刻化してきた連作障害の研究に取り組むことになる。
(その2に続く)
【著者】小川 奎財団法人 日本植物調節剤研究協会会長