JAの活動:第27回JA全国大会特集 今、農業協同組合がめざすこと
【農協運動を検証する】今後の展望を切り開く 戦後70年 農協を顧みる2015年10月6日
総合JA研究会主宰福間莞爾
農協法が改正となり、いまJAは戦後の歴史の中でも大きな曲がり角にある。では、戦後の農協は何をやってきて、何がいま問題とされたのか。これからの農協の方向をさぐるためには、過去の総括が必要である。戦後70年の農協の歴史を4つの時代区分に分けて、その特徴と今日の状況に至る背景を明らかにし、これから検討すべき課題を整理する。
〔戦後体制の確立〕 1945(昭20)~54(昭29)年
◆中央会の指導体制整う
戦後体制の確立は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって行われた。一連の民主化政策のもと、新憲法発布、財閥解体がなされた。農業・農協については、農地解放・農地改革によって地主制度の解体と自作農創設が進み、農協法が制定された。
農協は、戦前の産業組合から業種別のタテ割り法制に再編となったが、信用事業兼営の総合農協の姿は残り、准組合員制度がつくられた。また、戦後の食糧難で食糧増産計画が進められ、コメは配給制度がとられた。
この間、経済は、朝鮮戦争特需で急速に回復し、早くも1956(昭31)年には、経済白書に「もはや戦後ではない」という記述が見られる。一方、戦後のインフレ終息のためにとられたデフレ政策の下、戦時農業会の不良資産・債権を引き継ぎ、小規模組合が乱立した農協は極度の経営不振に陥った。
農協は自力更生がかなわず、農林漁業組合再建整備法〈1951(昭26)年〉、農林漁業組合連合会整備促進法〈53年〉、農協整備特別措置法〈56)年〉など一連の法的整備(再建3法)によって再建が進められた。また、54年には、それまでの指導連に代わって中央会制度が発足した。
中央会は農協法73条に規定され、初代全中会長には、「コメの神様」と呼ばれ、歴代農林次官の中でも抜きんでた実力者であった荷見安が就任した。農協は、1952(昭27)年に第1回全国農協大会を開催し、農協の指導強化を要請し「農協の刷新強化」を決議したが、中央会の法整備はそれに応えるものであった。
中央会制度の発足と連合会の整備促進のなかで編み出された「整促事業方式(整促7原則)」は、その後、今日に至るまでの農協の発展を支えてきたと言っても過言ではない。その内容については後述する。
(写真)「農協の刷新強化」を決めた 第1回全国農協大会(1952年)
〔高度経済成長〕1955(昭30)~73(昭48)年
◆食管制度下で事業拡大
国民所得倍増計画1961(昭36)年、オリンピック開催(64年)のもと、日本は高度経済成長の時代に入り、日米安保条約が改定(60年)された。また、70年には大阪万博が開かれた。61年には「農業基本法」が制定され、食管制度のもと、農協は飛躍的な発展を遂げる。コメの販売代金が自動的に農協の貯金口座に振り込まれる仕組みの中で信用事業兼営の総合農協が有効に機能し、米肥農協と呼ばれた。
進む総兼業化
米価(生産費・所得補償)闘争が世間の注目を浴び、農協は総評、医師会とともに、3大圧力団体と並び称された。農工間の所得均衡をめざす農業基本法が制定されたものの、農村から都市へ大量の労働力が流出し、「三ちゃん」(じいちゃん、ばあちゃん、かあちゃん)農業と呼ばれる総兼業化が進んだ。
同時に、コメ生産は増産と消費減退で減反を余儀なくされ、その後に続く本格的な生産調整の端緒がつくられ、総合農政が推進された。JAグループは、全国農協大会で「農業基本構想〈1967(昭42)年〉、「生活基本構想」(70年)を相次いで決議し、組合員の営農と生活の向上を車の両輪として進めることを高らかに宣言した。とくに営農面では、農業生産の選択的拡大の掛け声のもと、「営農団地構想」〈1962(昭37)年〉が力強く推進された。
72年には、全購連と全販連が合併し、全農が誕生した。この年、全国農協牛乳直販KKから、「自然はおいしい」をキャッチフレーズとする成分無調整の「農協牛乳」が発売された。これは、当時の消費者の新鮮・安全志向の心をとらえ、ビンからカートン容器への移行とともに、農産物流通・加工分野のイノベーションとなった。
また、1969(昭44)年には協同組合短期大学が廃止され、新たにJA全中直営の「中央協同組合学園」が開校された。
「列島改造論」に象徴される都市化の進展は、農村から都市への労働力の流出と地価の高騰を招き、農業・農村は大きく姿を変えた。農協の役割も変化し、「職能組合」と「地域組合」という考え方の相違を生む素地がつくられた。今回の農協法改正で、再びこの問題を討議されなければならない状況となっている。
公害問題を引き起こし、狂乱物価を招いた高度経済成長は、中東戦争勃発によるオイルショックで終焉を迎える。
(写真)最大の農政課題であった1960年代の米価闘争
〔安定成長・バブル崩壊〕1974(昭49)~93(平5)年
◆合併進進み組織再編へ
高度経済成長期後の農政は、本格的なコメの生産調整に移っていく。自給力の向上と安定輸入をめざす総合食料政策〈1975(昭50)年〉が展開され、80年には、80年代農政の基本方針が示された。同時に、水田総合利用対策、水田利用再編対策(第1~第3期)が実施された。82年には宅地並み課税対策(長期営農継続農地の農地並み課税)が行われた。
1985(昭60)年には、円高・ドル安誘導のプラザ合意が行われ、内需拡大、市場開放、金融う自由化を目指す「前川レポート」が出された。こうした状況のもと、農産物自由化が進められ、88年に牛肉・オレンジについて日米・日豪交渉が合意し、93年には、ガットウルグアイラウンド交渉で、コメの部分開放が決定。そして98年に関税化された。
地域組合化も
JAは全国大会で「協同活動強化運動」〈1977(昭52)年〉、「日本農業の展望と農協の農業振興方策・系統農協経営刷新強化方策」(61年)などが決議され、将来的な農業生産の再編成(80万㌶の水田転作)、JAの経営強化策が打ち出された。
また、1000農協構想を示した「21世紀を展望する農協の基本戦略」〈1988(昭63)年〉をうけ、将来的に系統農協を2段階制とする「農協・21世紀への挑戦と改革(91年)が決議された。
また全中の総合審議会〈1985(昭60)年〉で、(1)農協合併推進方策、(2)組織・制度、事業運営の将来方向、(3)情報対策について諮問・答申され、(2)について、一戸複数組合員(青年・女性の加入)の推進、准組合員加入促進などが盛り込まれた。この時期の農協組織は、合併(4000JAから1000JAへ)による規模拡大と、一弾の「地域組合」化の方向が進められたことに特徴がある。
1992(平4)年の農協法改正で、JA経営は商法の全面準用となり、(1)理事会と代表理事制の法定化、(2)員外理事枠の拡大、(3)理事と使用人の兼職可などが規定され、管理体制の近代化がはかられた。このほか、88年の総務庁の「農協行政監察」、92年からの「JA」の呼称使用などが行われた。
1974年から始まった安定成長は、85年のプラザ合意による円高・ドル安誘導と不況対策としての金融緩和で、バブル経済を引き起こし、やがて崩壊に至る。
〔グローバル化の進展〕1994(平6)年~
◆農地法・農協法改正へ
東西ドイツ統合〈1990(平2)年〉、ソ連崩壊(91年)、インターネット上陸〈93年)で、日本も一挙にグローバル社会の波にのまれていく。JAでもバブル崩壊のつめ跡は大きく、住専問題の処理に追われた。住専会社への公 的資金の投入を契機に、「住専問題は農協問題」などという言われなき農協批判が行われた。
また、三菱自動車のリコール隠しや食品業界における偽装事件など企業倫理・コンプライアンスが問われる事件が多発した。2001年には、BSE(牛海綿状脳症)が発生している。03年には食品安全基本法が制定された。
1994(平6)年に、農政審から「新たな国際環境に対応した農政の展開方向」が示され、95(平7)年に「新食糧法」施行(食糧管理法廃止)、97年に「新たな米政策大綱」が発表され、99年には、「食料・農業・農村基本法」が制定された。 さらに、2002年に「米政策改革大綱」が決定され、03年に食糧庁が廃止された。09年には所有から利用に重点を移す農地法の改正が行われている。
2000(平12)年にWTO農業交渉が始まったが合意に至らず、代わって14年には日豪経済連携協定(EPA)が大筋合意(14年)され、安倍政権は13年に環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉参加を決め、いま聖域確保の山場を迎えている。
この間、民主党が政権を奪い、2010(平22)年度から「戸別所得補償制度」が実施されたが、自民党の政権復帰で「経営所得安定対策」に代わり、14年度から戸別所得補償額は半額になり18年度には廃止される。
代わって、農業の多面的機能維持のため、「日本型直接支払制度」が創設された。生産調整の割り当ては、2018年度でなくす方針であり、政府は水田再編の切り札として、飼料用米生産を進めようとしている。
1996(平8)年の農協法改正では、住専問題を踏まえて経営管理委員会制度が導入され、2001年には、(1)農協の目的を農業振興の手段にすること、(2)営農指導事業をJAの第一の事業とする改正が行われた。また同時に、JAバンク法が成立した。13年の改正以降、農水省はJAについて、「職能組合」の方向を鮮明にしていく。
1995年には、「協同組合原則」に関するICA声明(95年原則)が発表され、これを踏まえて97年には、「JA綱領」が制定された。2001年にはJA全国監査機構が設立されている。また1995年の阪神大震災に続き、原発事故を招いた11年の東日本大震災は現代文明に大きな衝撃を与えた。バブル崩壊後、「失われた20年」といわれる閉塞社会を打破するとして、アベノミクスが進められている。
(写真)日本農業の命運をかけたTPP反対運動(2010年代)
〔中央会と「整促7原則」〕
◆組織解体へ攻勢強まる
農協における戦後レジームの解体とは、これまでJA指導を行ってきた中央会制度の廃止に象徴される。中央会制度は、JA指導のためまことによくできた内容で、「整促7原則」とともに、第2次大戦後の農協の経営危機を乗り越え、かつ、その後のJAの驚異的な発展を可能としてきた。その方法は、いずれも協同組合というやり方であった。
中央会制度は、農協法第73条に規定され、農協の当然加入、賦課金徴収権の設定、全中・県中の一体的指導など、強力な体制が敷かれた。なかでも大きな特徴は、監査は別として(監査は他の事業と違って経営内容を外から見るものであると同時に、中央会監査は、本来、協同組合監査として公認会計士監査とは違う独自の領域を持っている)、その事業に、経営指導、教育および情報の提供を位置づけたことである。
教育無視の愚
その意味するところは大きかった。経営は、あらゆる組織にとって必要不可欠なもので、協同組合はその内容(経営=運営の方法)を「協同組合原則」でうたっている。
一方、連合会の整備促進のための事業方式として編み出された、「整促7原則」(予約注文・無条件委託・全利用・計画取引・共同計算・実費主義・現金決済)は、組合員に農協への忠誠を誓わせ、自主性を奪うものという評価があるが、一方で「協同組合原則」を具体化するものとしてJA経営のあり方を示し、運動展開の精神的支柱ともなった。整促方式は経済事業のものだが、他の事業にも応用された(例えば、かつての共済事業における目標割り当て推進)。
JAは、中央会制度と「整促7原則」のセット推進によって、今日の地位を築いてきたと言っていい。また、経営のほか、教育と情報提供(広報)は、いずれも協同組合原則にうたわれている。つまるところ、戦後の農協は、協同組合の運営を徹底させることで、大きく発展してきたのであり、中央会制度を考え出した官民の関係者の知恵、まさに恐るべしと言ってよい。
ところが、2001(平13)年の農協法改正以降、農水省は、JAを農業振興の手段としてしかその存在意義を認めないという考えを鮮明にしてきている。その背景には、JAは大きく発展してきたが、産業としての農業が一向に発展しないという焦りがある。
産業としての農業の確立には限界があり、農業軽視の政策が農業の衰退に拍車をかけているのであるが、政府はその非を自ら認める訳にもいかず、責任を一身にJAに負わせようとしている。
国の責任転嫁
それは、JAの協同組合運営・総合JAの否定であり、中央会制度の廃止と「整促7原則」の完全否定に象徴されている。法制度の庇護のもと、「整促7原則」という事業方式の残滓の中で生きてきた中央会は、政治活動に傾斜する中で農水省から疎んじられ、制度としての歴史的役割を終わらせられたのである。
全中の自己改革方策では、今後の中央会機能を、(1)経営相談・監査、(2)代表、(3)総合調整の3つに集約するとしているが、この機能しか持たない中央会のイメージは、かつての誇り高き協同組合運動の司令塔というより、農政活動主体の、単なるJAの利益代表団体という姿である。
中央会は経営指導、教育・広報機能の発揮なくして、代表・総合調整機能を果たしていくことはできない。この分野についての全中・県中一体となった体制を早急に構築していくことが必要とされる。
これからのJA運動はボトムアップが基本と言っても、運動を一定の方向に導く中央会の司令塔の役割の重要性がかわることはない。また、「整促7原則」については、依然としてJA関係者の心のよりどころになっている面もあるが、もの不足から、もの余りの大きな時代変化の中、協同組合としての、新たな事業方式が模索されなければならない状況にある。
法改正の対応を主導してきた全中の執行部は、会長・副会長・専務が交替するという異常事態となったが、問題は中身である。まずは、これまでの運動展開への反省が求められる。反省点は、次の2点に集約できる。(1)農水省の極端な「職能組合」論に、「地域農協」論として適切な反論ができていないこと、(2)対応が安直で、閉ざされた自民党一辺倒のものとなり、論点・争点が明らかにされず、組合員はもとよりJAにおいてさえ、一体何が起こっているのか分からないといった事態を招き全く運動展開ができなかったこと。
〔展望〕
◆争点明確にして反論を
今回の法改正は、昨年6月に閣議決定された「規制改革実施計画」による明確なグランドデザインのもとに行われたものであり、JAグループは争点・論点を明らかにし、これに対峙する自らの立場を明確にして今後に臨む必要がある。
争点は、(1)総合JAか農業専門JAか、(2)協同組合運営か会社運営か、(3)農政は多様な農業者を対象としたものか専業農業者か、であり、JAは「21世紀における新ビジョン」を明らかにして、組合員・地域住民・国民に対してその理解を求める開かれた運動を展開して行くことが重要である。それが自主・自立の農協運動というものである。
政府の「実施計画」に掲げられた内容は、法改正ですべて実現し、先送りになったものは、(1)信用・共済事業の会社化と、(2)准組合員の事業利用規制の2つであり、これからが本番だ。今回の農協改革・法改正は、超高齢化、少子化、正・准組合員の逆転という組織の構造問題を背景にしている。
農水省に対して、「すみません、農業振興にさらに努力します」といった程度の面従腹背的な対応では、今後を乗り切ることはできない。
【年表で見る戦後農政・農協の歴史】
1945年
・農民解放指令
・第1次農地改革(地主制度の解体)
1946年
・食料緊急措置法(米強制供出)
・第2次農地改革(不在地主の一掃)
1947年
・農業協同組合法公布
・農林省農政局に農業組合部を新設
1948年
・全国購買農協連、全国販売農協連、全国指導農協連発足
・食糧確保臨時措置法
・産業組合法の
・消費生活協同組合法公布
・協同組合学校発足
1949年
・米価審議会設置
・食糧庁発足
・農協法改正で競合者の役員就任禁止
・農業協同組合および連合会の一斉調査開始(農協経営不振に陥る)
1950年
・農協法改正で連合会の事業兼営禁止
・全国共済農協連創立
1951年
・農林漁業組合再建整備法公布
・農業委員会法公布
1952年
・第1回全国農協大会(三重県宇治山田市)
・全指連ICAへ加入
1953年
・農林漁業組合連合会整備促進法公布
1954年
・農協法の改正で中央会制度の法制化
1955年
・第1回全国農協婦人部大会
・米予約売買制開始
1956年
・農協整備特別措置法交付
1957年
・初の農業水産白書
1958年
・八郎潟国営干拓事業着工
1961年
・農協合併助成法公布
・農業基本法公布
1962年
・農業協同組合法の改正で農事組合法人を法制化
1963年
・「三ちゃん農業」が流行語に
1964年
・第10回全国農協大会で地域組合化が論議
1967年
・第11回全国農協大会で生活基本構想決議
1968年
・農水省が「米作転換方針」発表(「総合農政の推進」を提案)
1969年
・自主流通米制度化
・中央協同組合学園開校
1970年
・農業協同組合法改で、経営受託事業、農地等処分事業等を追加
・第12回全国農協大会で農業基本構想・生活基本構想決議
1972年
・全購連と前販連の合併で全農発足
1973年
・石油ショック
1974年
・狂乱物価
1978年
・農林省「水田利用再編対策実地」発表
1980年
・ICAモスクワ大会「2000年の協同組合」(レイドロー報告)採択
・農住組合法公布
1986年
・全米精米業者協会が日本の米輸入規制の撤廃求めて米議会に申し立て
1991年
・牛肉、オレンジ輸入自由化
1992年
・農協の愛称「JA」の使用開始
1993年
・大冷害(作況指数74)で米緊急輸入
1994年
・米のミニマムアクセス設定
・外国米の緊急輸入
1995年
・WTO(世界貿易機構)発足
・食糧法施行(食糧管理法)
・阪神大震災
1996年
・農協法改正で経営理委員会制度導入
1997年
・新たな米政策大綱決定
1999年
・「食料・農業・農村基本法」(新農業基本法)制定
・米の関税化開始
2000年
・全共連統合
・「農林中金および特定農業協同組合等による信用事業の再編及び強化に関する法律」公布
2001年
・BSE(牛海綿状脳症)発生
2002年
・農水省「『食』と『農』の再生プラン発表「米政策改革大綱」発表
・JA全国監査機構発足
2008年
・リーマンショック
2009年
・オバマ氏が米大統領に就任
2010年
・菅首相TPP交渉参加検討を表明
・宮崎県で口蹄疫発生
2011年
・東日本大震災
2015年
・農協法改正 中央会制度の廃止
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