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ローレンス・ユー社長 |
日本バイエルアグロケム(株)(ローレンス・ユー社長)は7月9日、東京・ホテルオークラにおいて『創業60周年記念パーティー』を開催する。この小宴は、ヨッセン・ウルフ独バイエル社農薬事業本部長の来日に合わせたもので、館野浩一代表取締役会長が同職を退任(8月末・取締役として続投)することから、業界では「極めて歴史的な瞬間」とも見ている。
日本バイエルアグロケム(株)(本社:東京都港区高輪4−10−8、資本金:7億1,280万円)の前身である日本特殊農薬製造(株)は1941年1月8日、IG・ファーベン社との資本技術提携(資本金:100万円)により設立された。現在の社名に変更されたのは1991年であり、時あたかも創立50周年の年であった。
日本バイエルアグロケム(株)ほど、歴史的にその名を残す製品を世に多く送り出した会社も無いかも知れない。創立翌年の1942年には、種子消毒剤「ウスプルン」の製造、販売を開始する。故・深見利一氏の貢献が大きく、同氏はまた農薬産業全体の発展に寄与することになる。また戦後になってからは、水稲殺虫剤「ホリドール」を導入(1952年)しニカメイチュウの防除に貢献、さらに、いもち病防除剤「セレサン石灰」の開発(1953年)により水稲作に画期的な役割を果たした。セレサンについてはその品不足から「セレサンよこせ運動」にまで発展している。
その後も、食糧生産に大きく貢献する有力剤は続く。いもち防除剤「ヒノザン」(1968年)、殺虫剤「ディプテレックス」(1970年)、殺虫剤「トクチオン」(1975年)、殺菌剤「バイレトン」(1983年)、「ボルスタール」、「モンセレン」(1985年)、水稲除草剤「ザーク」(1987年)、そして大型剤に成長した殺虫剤「アドマイヤー」(1992年)、水稲殺菌剤「ウィン」(1998年)と続く。
同社の歴史の中で特筆しておきたいのは、「結城研究所」の開設。第1期工事の完成は1985年のことで、4年後の1989年に第2期工事が竣工し、「結城中央研究所」に改称している。設計を黒川紀章氏が担当した。これによりドイツ・モンハイム、日本・結城、米国・カンザスシティの世界三大研究体制が構築された。「アドマイヤー」、「ウイン」はこの結城中央研究所から巣立っている。
1991年4月17日、日本特殊農薬製造(株)は日本バイエルアグロケム(株)に社名変更した。日本的企業から外資系企業としての位置付けが、表面に現れた場面でもあった。同社の変遷は、今日的な震撼するような現象の中で外資系企業にとっても国内企業にとっても有力な模範となるだろう。
なお、現社長のローレンス・ユー社長は第7代社長。歴代社長を付記しておきたい。(カッコ内は就任年月日、敬称略)
初代=館野栄吉(昭和16年1月8日) 2代=加藤幸助(昭和35年10月13日)
3代=八反田一三(昭和47年5月25日) 4代=館野幸三郎(昭和54年12月14日)
5代=館野浩一(平成1年12月19日) 6代=ジョゼ・ヘスラー(平成8年4月1日)
7代=ローレンス・ユー(平成12年7月1日)
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(左)結城中央研究所温室および研究棟/(右)温室内部 |