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(むらかみ やすとよ)昭和32年8月神戸市生まれ。57年成城大学経済学部卒業。丸和化学入社。副社長を経て平成5年に社長就任。 |
◆園芸教室などで消費者の知識を向上
――ガーデニング人気は根強いようですね。
村上 言葉が先行している感じもありますが、ガーデニングという言葉には、おしゃれ感覚もありますね。昔は「庭いじり」などといっていましたが、今の若い人たちは、ガーデニングにある種のファッション性や憧れを感じているようですよ。
しかし意外と肥料を使ってくれませんね。「植物には水をやるの?」と聞くような水準の人もいるくらいですから。ましてや肥料のことなどといった感じはありますね。ですから、私どもはセミナーとか園芸教室などを積極的に開いて、園芸知識のレベル向上に努めています。マーケティング戦略としては、今後初心者をお客としてどう囲い込んでいくかですね。新たなうまい仕掛けをつくらなくてはいけません。
◆肥料主体からの脱皮めざして挑戦中
――高層マンションのベランダにも植木鉢が多いし、園芸資材の潜在需要は大きいわけですね。
村上 やり方次第では肥料以外の資材でもまだまだ可能性があると思います。ベランダ園芸では特に土を捨てるのがおっくうなので、3年前には土を再生させるリサイクル材「土ふっか」を発売しました。わが社は、以前から培養土も開発していますし、現在は園芸用手袋や水回り製品なども出しています。
――主力商品の液体肥料「ハイポネックス」は速効性があって手軽だということで家庭の主婦に名が通っています。家庭用園芸肥料の分野ではナンバー1の会社ですが、取扱商品は全部でどれくらいあるのですか。
村上 400余りあります。土づくりでは粒状の元肥「マグァンプK」も主力商品ですが、2年前には家庭園芸用薬品分野にも参入しました。肥料主体の会社から脱皮し、総合的なホームガーデニング資材の第一人者を目ざしてチャレンジ中です。
――宣伝では23年前に業界で初めてテレビコマーシャルをやりましたが、どうでしたか。
村上 あまり大きな宣伝費枠をとらなかったので、それほど消費者の購買動機につながったとはいえません。それよりも園芸愛好家の間の口コミが大きいですね。うちの商品は一度使った人の定着度が高い。「親が使っていたので私も使う」という若い人もいます。
テレビといえば、昔はNHK番組の『趣味の園芸』が肥料の代名詞としてハイポネックスというブランド名を使ってくれましたが、今では考えられないことです。この宣伝効果は大きかったと思いますね。しかし、競合他社の参入で放送用語から消えました。
◆生産者向け技術交流も積極的に
――農業用はどうですか。
村上 売上げの8割近くは家庭園芸部門で、あとが花卉生産の業務用です。シクラメン、ポインセチア、カーネーション、ランなどに肥料と培養土が使われているのが強みです。JAさんにも商系で間接的に流れています。競争が激しくて利益は少ないのですが、今後とも大切にしたい分野です。
社の創立者である父(会長)は約30年前に全国の篤農家による『日本カーネーション技術協会』を設立しました。当時の生産者は栽培ノウハウを秘密にしていたため、日本でカーネーションを普及させるためには情報公開が必要だといって、大学や試験場の先生方の指導で技術交流に努めました。今もOB会的な集まりなどでは「当時の恩は忘れない」という声も聞かれます。さらに新しい形で今も生産者向けの勉強会を積極的にやっています。
◆大消費地店頭での販売戦略を強化
――ところでハイポネックスというのは戦争直後に進駐軍が持ち込んだ化学肥料だそうですね。
村上 そうです。当時の日本は下肥が大半だったので、米軍の食料を衛生的に作るために種子と肥料が持ち込まれたわけです。
――お父さんはそこに目をつけて輸入されたわけですね。最近の言葉ならベンチャー企業です。先見の明がありました。
村上 ええ、肥料は当時まだ高価で、外貨や輸入の制限もあった時代ですが、この市場は将来必ず成長すると見通したのですね。役員・幹部たちも地道な売り込みに努めました。やがて主婦の間に爆発的な人気を呼びました。
――競争の現状はどうですか。
村上 多量で安い商品をということで価格競争になっていますが、一般家庭の植木鉢は数が知れていますし、正しい使い方をすれば少量で済む、消費量もそんなに多くならないという面もあります。だから全体として商品の回転率は落ちているはずです。それから消費者の8割は店先で購入商品を決めるとされていますので、他社は店頭での販売攻勢を強めています。私どもも販売員派遣を強化します。
――ほかに販売面の課題は?
村上 東京と大阪を比べれば東京のほうが圧倒的に市場規模が大きく、伸びる可能性も大きい。東京営業部の活動をもっと強化するという課題があります。
◆ビジネスでは、正直プラス積極性を
――『花と緑の国づくりに貢献する』というのが社是ですが…。
村上 その後に、『先駆者として新しい価値の創造による利益を享受しよう』というのがあるのですが、私は、その言葉が好きです。
――新製品の開発者利益を享受しようということですか。
村上 うちの規模では独自の開発は難しいので、むしろ情報の網を張ったり、大学や他社との共同プロジェクトを組むなどといった仕掛けで常に新しいものを積極的に考えていきます。
液体肥料の粉末原料は米国の会社から輸入していますが、錠剤肥料や、棒状肥料に添える補助棒を考えるなどアイデア商品の実績は豊富です。人間の健康分野でも、例えば手軽に検便できる「ぎょう虫検査セロファン」などもニッチ商品的なものの1つで、シェアは7割と高いのです。
――社長は米国留学から帰って本社で修行され、若くしてお父さんの後を継がれたわけですが、不安はありませんでしたか。
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村上 36歳で社長になって、もう8年になりました。不安がなかったといえば嘘になりますが、父の考え方ははっきりしていました。父は陸軍中尉で終戦を迎えたのですが、会社経営にもその軍人気質というか、軍隊的な考え方はあったようです。私の社長就任と同時に父は会長になりましたが、指揮系統は1本でないとまずい、2頭体制はだめだといって表面に出なくなりました。
創業者の会長が切り回し、社長は名ばかりという例もよくありますが、私には、その心配は全くありませんでした。ただ、責任だけは自分も負うということで、昨年11月までは代表権は持っていました。その点、私としては精神的に楽でした。
――社風は、正直、勤勉、誠実の3点ですね。
村上 間違いなく、その社風は受け継がれています。ただ問題はそうした社風だけでは、この激動の時期は乗り切れないということです。つぶれていく企業もあるという頭の痛い経済情勢です。社長就任時よりも今のほうがシンドイという感じです。私は、社員に対して、ビジネスの場合は「正直プラスαも考えなさい」といっています。αというのはいい意味での必要に応じた駆け引きとか、粘り、強引さといった積極性です。
――いや全く、勤勉だけでは勝ち抜けないという、おかしな世の中になりましたね。最後にご趣味を1つ挙げて下さい。
村上 趣味といえるかどうか、1つだけ挙げるとすれば、学生時代に歌舞伎研究会で立役をやったことがあるというくらいですね。歌舞伎は今も時々見にいきます。海外からの取引先招待などもありますから、趣味と実益を兼ねています。
(概要)
株式会社ハイポネックス ジャパン(大阪市福島区海老江5−1−1)
資本金4800万円。園芸肥料と園芸資材などの輸入・製造・卸、各種化学製品の製造・卸。工場は上郡(兵庫県赤穂郡)と埼玉(嵐山町)。研究温室(西宮市)も。従業員100人。販売先は大手種苗会社や一般商社、全国の卸問屋、東南アジア諸国代理店など。昨年9月期決算の売上額は50億円弱。前期比でやや減収減益となった。前身は昭和37年設立丸和化学(株)(当時)、今年で創立40周年。平成元年に米国のハイポネックス社から日本と東南アジアにおける商標を取得した。
インタビューを終えて
村上社長は、学生時代東京世田谷にある成城大学の歌舞伎研究会の部長をしていた。部員は60人半分が女性で、中には振りつけの名取りもいた。演劇鑑賞と年1〜2回の実演が活動内容だった。村上さんも、「白浪五人男」の一番の立ち役日本駄右衛門や「切られお富」の与三郎を舞台で演じた事もある。大学の近くにある三船プロダクションから小道具、松竹衣装から紋付袴などを借りた。昔の歌舞伎役者は背があまり高くない。180センチある村上さんが同じ衣装を着けると袴はまるでミニスカートになったという。学生だからと日本酒一本のお礼で済んだ時代だった。
趣味は他にスキー、熱帯魚の鑑賞とガーデニング。スロー・スロー・クイックという社交ダンスのリズムが好きだと言う。家庭園芸はこのスロー・スローの部分。クイック・クイックだけの働きづめでは人生に潤いがない。競争の激しい家庭園芸肥料の分野で村上さんは会社の内外に良いブレーンをそろえているとの評判である。2代目社長として立派に家業を発展させている。大阪本社と東京を往復する生活。奥様も同じ大学出身、一人娘は中学生。(坂田)