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 検証・時の話題

有明海ノリ不作と諫早湾干拓事業
なぜ、われわれの声が…
「干潟には“闇”もある。
ここに住んでいる人のことも考えてほしい」

 有明海のノリ不作の原因究明のために設置された農水省の「有明海ノリ不作等対策関係調査検討委員会(第三者委員会)」(委員長・清水誠東大名誉教授)は、3月27日に第3回の会合を開き、今後の原因解明のために、諫早湾干拓事業でつくられた排水門を条件付きながらも開放して調査すべきことなどを提言した。これを受けて谷津義男農相は「委員会の提言は最大限尊重する」と、今のところ時期は明確にしていないものの、農水省としてもいずれ水門開放による調査を行う方針を事実上示した。
 だが、議論の行方を見守ってきた現地の農業者や漁業者からは「水門を開ければ塩害によって、せっかく優良地化した農地が元に戻ってしまう」、「ここは海抜ゼロメートル、高潮被害にまたあうのか」、「原因は諫早湾だけではないはず。選挙を意識した政治的な理由が優先された結論だ」と厳しい反発の声が上がっている。なかでも、もっとも多いのは干拓地で農業を営んできた自分たちの営農と生活がほとんど顧みられることなく、本来はノリ不作の原因追求の論議のはずが、一気に干拓の是非問題として扱われたことへの不満と不安だ。諫早湾周辺の農業者と漁業者を訪ね彼らの思いを聞いた。

■募る政治不信
諫早湾岸地域
諫早湾岸地域。新規の農地造成だけでなく既存の農地の保全、防災にも事業は必要だというのが住民の声だ。

 今回の問題のきっかけは、いうまでもなく有明海の養殖ノリの不作である。ところが、原因が明らかでないにもかかわらず、今年の元旦、ノリ養殖を営む福岡県などの漁業者が海上デモで、「原因は諫早湾の干拓工事にある」と訴え、事業の中止と排水門の開放を要求した。
 当然、これに対して長崎県、諫早市とその周辺市町村は強く反発が、こうした動きを受けて農水省は学者や漁業者からなる「第三者委員会」を設置し、ノリ不作と有明海の環境変化の原因究明を行うことにした。
 この委員会はノリ不作の原因究明のための場として設置されたはずだった。だが、当初から諫早湾の潮受け堤防の開放や干拓工事の見直しまでもが焦点であるかのような報道も広がった。
 それに拍車をかけたのが、3月3日の第1回会合前に「一人でも(開放という)意見が出れば開けざるを得ない」という谷津農相の発言だった。そのために地元には「原因究明といっても、最初から水門開放ありきで議論するのではないか」と怒りが広がった。ところが、会議後には大臣の姿勢が後退、今度は開放を要求している漁業者に不信感が広がり混乱を招いた。
 諫早市に隣接する森山町の農業者たちはこうした発言に「政治的に利用するなと言いたい。選挙向けの姿勢がみえみえ」と口々に強調する。
 同町の田中克史町長も第三者委員会の議論について、「都市部に広がる公共事業悪玉論と環境問題への関心を示すために、何よりも政治的判断が優先されていると感じる。予断を持たずに調査するといいいながら、実は委員会の提言を隠れみのにして自分たちの意図を実現しようとしているではないか」と批判し「行政は住民の生命と財産、安全を守るべきなのに受益者の気持ちを忘れてしまっている」と話す。
 地元では、本来、有明海の環境問題を冷静に議論すべきはずなのに、最初から諫早干拓を狙い撃ちする構図ではないか、との政治不信が高まっているのである。
 田中町長は「今こそ、諫早湾干拓事業の原点に戻ってその意義を確認すべきだ」と訴える。

■干潟に苦しむ生活 諫早湾開拓地、地図

 では、諫早湾干拓事業とは何か、なぜ水門開放に反対なのだろうか。
 この事業は目的は大きく分けて2つある。ひとつは、高潮や洪水、排水不良などに対する防災機能を強化することである。もうひとつが、平坦な農地が少ない長崎県に優良農地を造成することだ。
 ただし、当初の計画は3分の1に縮小され、沖合に潮受け堤防を建設して湾内を閉め切る面積は3500haとされた。このうち1700haを調整池、残り1800haを堤防で囲んで干拓農地とするという事業となった。
 工事が始まったのは1989年。そしてちょうど4年前の4月に全長7kmの潮受け堤防づくりのための閉め切りが行われた。全工事の完成予定は本年度だったが2006年まで延長されている。
 ただし、潮受け堤防は99年に完成、調整池は淡水化し、北部と南部の2か所にある排水門の操作により防災機能はすでに発揮されている。
 その仕組みは、潮受け堤防で海水の流入を防ぎながら、一方で調整池の水位は陸地よりも低く保っておくというもの。調整池内には河川から水が流れ込むが、水量が増えれば干潮時に排水門を開けて、水位を低くする。
 これが調整池と潮受け堤防が防災に役割を果たすだが、実はこのことが既存の農地の優良化をもたらしているのである。
 諫早湾の干拓の歴史は古く、農水省の作成した資料によれば300年以上前から小規模な干拓が行われてきた。田中町長も「干拓とともに発展してきた町」と話す。
 もっとも従来の干拓法で生まれた農地は決して優良とはいえなかった。というのも堤防を築いて一旦、内部を干陸化しても、堤防の外側に広がる干潟には潟土がたい積し、年月を経るうちに陸地のほうが海よりも低くなってしまうからである。そのために再び沖に堤防を築き干拓することになるが、その間、農地から海にうまく排水できず、また、堤防を越えて吹き込む潮吹雪による農作物の被害も出る。
樋門
森山町の干拓農地にある樋門。潮受け堤防がなかったころは、満潮には閉めて海水の流入を防ぎ干潮には開けて排水をする管理作業を農家が交代で担当していた。

 森山町の干拓農地も造成以来、塩害と排水不良に悩まされてきた。
 昭和38年に46戸が入植、現在、38戸が稲作や畜産などを営んでいる。入植者たちが一律に3haの農地で経営を始めた。平坦で大規模な農地に入植第1世代の人たちは「新天地だ」と夢をかけた。
 入植当時は排水も良かった。が、そのうち堤防外に潟土がたい積して排水が悪くなってきた。
 24歳で入植した第1世代の藤山正彦さんは、「排水が悪くなると、雨で水田が冠水すると何日も引かない。この20年の間に田植えをやり直したことが何度もある」と語る。田植えのやり直しが一回ならまだ自分たちで苗を手当できるが、2回、3回と植え直しを余儀なくされた経験も少なくない。そんなときは「佐賀や福岡まで苗を分けてもらいに行ったものです」。
 水田の冠水だけでなく、住宅の浸水にも悩まされてきた。「ちょっと雨が降れば枕を高くして眠れなかった。年に一度は床下浸水があった」という。
 海側に排水ポンプが設置されており、住宅が水に浸かるような被害が出たときは稼働する。ただし、この設備は防災のための排水ポンプと決められているため、水田の冠水には使用できなかった。
 また、水害時はもちろん大変だが、この地に住む人々にとっては普段から水門管理が必要とされていたのである。潮が満ちてくると水門(樋門)を閉めなければ海水が農地に流入する。
 しかし、閉めきったままでは農地に水が溜まってしまうため、潮が引くときには今度は樋門を開け排水するる。潮の干満に合わせて1日4回、手作業で行わなければならないこの管理作業を交代で担当してきた。高齢化が進むにつれ負担も大きくなっていった。

■大豆、麦の収穫に喜び
諫早湾を閉めきった潮受け堤防
諫早湾を閉めきった潮受け堤防。全長7km。
堤防の向こう側に調整池が広がっている。手前は200m幅の北部排水門。常時開放となれば、ここから調整池の水が大量に流れ出ることになる。

 それが、潮受け堤防の完成後は、浸水や塩害の心配や樋門の管理が必要なくなったのである。「ようやく安心して寝られるようになった」とみな口をそろえる。
 それだけではない。潮受け堤防完成後、森山町の干拓農地では大豆や麦、施設園芸など多彩な農業が展開し始めているのである。
 メロン、ミニトマトを栽培するハウスも建ちはじめ、大豆の生産は4年前に3haだったのが、昨年は37haにまで拡大しているのである。JA長崎県央森山支店でも「冠水の心配がなくなったために、これからも施設園芸の増加が期待できる」という。
 入植第2世代で町議の西村清貴さんは「減反政策が始まってもここでは作れるものがなくアシが茂るままにされた農地もあった。それが麦、大豆など集団転作までできるようになった。死んでいた土地が生き返って、やっと本当の農地になったと感じます」と語る。干拓地農業の可能性も広がっているのである。
 さらに森山町で最近検討が進んでいるのが、水の循環利用である。
 ここではもともと川が少なく水が不足していために、これまで農業は地下水に頼ってきた。しかし、町内には地下水汲み上げが原因と思われる地盤沈下が目立つようになってきたのである。実際、新築間もない家屋でも地盤が沈んでいる光景も見られた。
 一方、干拓地の水門管理が不要になっため、流れ込んできた水を調整池に流さずに貯めておき、もう一度、ポンプで背後地に戻すことも可能だ。西村さんによれば、こうした水のリサイクルも視野にいれた町づくりの展望がこの事業によって開けてきたことも大きいという。
 田中町長は「事業は防災面で必要なだけではなく、背後地の優良農地化、水の循環利用などの面もあることを理解してもらいたい」という。水門を開ければこうした成果がすべて台無しになってしまうというのが地元の人々の声だ。

■冷静に原因究明を
小長井町漁協組合長、新宮隆喜氏
小長井町漁協組合長 新宮隆喜氏
農業・森山町議員 西村清貴氏
農業・森山町議員 西村清貴氏

 「私たちは犠牲者でありながらも協力者。ここで水門を開けたら、なぜ、再び犠牲にならなければいけないのかということになる」。潮受け堤防の外側、小長井町漁協の新宮隆喜組合長はこう強調する。漁協の建物には「水門開放、絶対反対」の垂れ幕がかかっている。
 諫早湾を漁場とした漁業者は当初はこの干拓事業に反対だったが、規模縮小などの計画変更が示され、農地造成と防災機能強化を理解し協力した。
 工事開始以来、漁業はほとんど成り立たないが、一刻も早く完成させ漁場が安定すれば再び漁ができると考えてきた。
 その間は干拓工事で生計を立て、一方、漁場の条件が変わることを見越して新たにカキ、アサリの養殖を軌道に乗せようと取り組んできたという。合わせて10億円の投資。組合員たちの自己資金である。
 その成果が出始め、今、地元の直売所で販売するまでになった。
 しかし、水門を常時開放すれば濁流となって海に流れ込んで漁場が再び荒れ、ようやく見えかかった新たな漁業への展望も消えかねない。
 「第三者委員会といいながら当事者が参加している。それなら三者委員会でしょう」と議論の場に不信を持ち「なぜ、諫早湾だけが原因とされるのか。有明海全体でみればほかにも公共事業があり、その影響も調査すべきだ。干潟の再生を言うなら、潮受け堤防外での再生やさらに他県の沿岸でも検討すべき問題ではないのか」と指摘する。
 有明海の沿岸では筑後川大堰、熊本新港の建設や炭坑の抗道が延長による海底陥没などの問題も出ている。
 さらに漁業者自身も指摘し始めたことだが、ノリの「酸処理」も問題視されている。酸処理は、酸の原液を海水で薄めた容器にノリ網を浸すこと。雑藻の付着防止や病気予防に効果があるとされる。黒くつやのあるノリを生産するには必要とされる。しかし、海水への影響が全くないのかという懸念も出されており、第三者委員会の提言でも「使い方についての再点検する必要がある」としている。
昭和32年9月の諫早大水害
昭和32年9月の諫早大水害。本明川の眼鏡橋が流出した家屋の木材などをせき止めた。現在、眼鏡橋は諫早公園に移転されている。(写真提供/野沢博氏・愛知県在住。野沢氏は旧電電公社職員で、当時、復旧工事支援のため現地に派遣された。本稿担当記者の父)
 森山町の干拓農家も「自然相手の第一次産業に携わる人間として対立する気持ちはない」と言い原因究明のための冷静な議論を求めてきた。
 委員会の提言は「水門を閉めたままで十分な調査を行う」ことを指摘したが、一方で環境に悪影響を与える可能性のある工事の凍結と、干潟の消失を有明海異変の一因とし、連続的な開放による調査の必要性も指摘した。
 28日、西村さんたち干拓農家と新宮組合長らは、水門開放と工事継続を求めて抗議行動を起こした。
 「干潟には光の部分もあるが闇の部分ある。そこで生活する人々のことも考えてほしい。私たちだって、これで干潟を遊ぶことができなくなるという思いがあった。しかし、優良な農地と安心した暮らしを次の世代に引き継いでいくことも大切」と西村さんは話す。
 今後の調査と干拓工事のあり方についての検討は、だれの声を聞くべきなのか。少なくとも安易な公共事業批判に立ってこの問題を見るべきではないと感じている。  



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