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検証・時の話題

消費者の信頼をいかに取り戻すか
食品安全対策とトレーサビリティ
新山陽子 京都大学大学院農学研究科教授

 近年、食の安全・安心への消費者の関心は高まってきているが、とくにBSE発生以降は、政府が「安全宣言」をしても牛肉の消費が回復しないように、「農場から食卓まで」フードシステム全体として「安全性」を保証することが求められている。そのための手法としてトレーサビリティ(追跡可能性)が注目されている。そこで、トレーサビリティの先進国であるEUの実状に詳しい新山陽子教授に、トレーサビリティの意味と日本での導入するときの課題についてまとめていただいた。

(にいやま ようこ)昭和27年広島県生まれ。京都大学大学院農学研究科博士課程修了。京都大学農学部助手を経て、現在、京都大学大学院農学研究科教授。主な著書『畜産の企業形態と経営管理』、『変貌するEU牛肉産業』(共著)、『牛肉のフードシステム−欧米と日本の比較分析−』(いずれも日本経済評論社)

◆食品の安全確保は
  フードシステムの重要課題

 BSE(牛海綿状脳症)、病原性大腸菌O157やサルモネラ菌など微生物による食中毒、ダイオキシン汚染、未審査の遺伝子組み換え作物混入事件など、近年、世界主要国で食品事故が社会事件化しており、消費者の食品への不信と不安はかつてなく高まっている。
 食環境はこれまでにない状況に直面しており、食品の安全管理は今やフードシステムの重要課題である。とりわけ微生物による食品事故は、生鮮食品、なかでも畜産物に多発しているので、畜産業、畜産物の処理・加工業や流通業には真剣な対応が求められる。重い食品事故は健康や生命に取り返しのつかない被害を与えるので過失であっても許されない。そのうえ雪印食中毒事件や一連の食肉偽装表示事件のように、生産工程管理思想が腐食していたり、事故発生時の危機管理がおろそかであったり、虚偽・隠蔽・詐欺行為があると、大企業さえ崩壊する時代になった。

◆フードシステムの透明性確保と
  双方向の情報交換の必要性

 消費者の不安や不信、拒絶という心理的状態が市場を左右し、また消費者の世論が食品行政を動かすようになっている。今や消費者は、単に受け身で食品を消費する者ではなく、食品とその供給システムに対する意見の主張者となりつつある。何度ものBSEをはじめ食品スキャンダルの洗礼を受けてきたEUでは、消費者は品質の共同決定者だと考えられるようになった。その一方、マスメディアの影響を受けた消費者のバランスを欠く行動は風評被害を生んだり事態の混乱に拍車をかけるので、消費者にも判断力と責任が問われる。
 食品の安全確保は、消費者の健康に対する生産サイドの社会責任であり、他方、消費者は安全確保にかかる生産サイドの労力とコストを理解し、また健康へのリスクを正しく認識して行動しなければならない。食品の安全確保には生産サイドと消費者の双方の見識が必要だといえる。
 これからの食品の市場は、単なる貨幣価値に還元される商品交換の場としてとらえては不十分であり、消費者の健康な生活と、生産者や業者の生活(所得の確保)が出会い互いに交換される場としてとらえ直さなければならなくなってきたのではないだろうか。
 このようにみたとき、今日のフードシステムは、これまでのように川上から川下へ向かって食品を供給するという一方通行の流れではなくなっている。
 双方向に情報や意見を交換することが、フードシステムが有効に機能し、安全で健康な食品を生み出すために不可欠になっている。しかし今の状態のままでは、消費者にはフードシステムの全体像は不透明である。それが不安や不信の大きな要因にもなっている。

◆リスク制御の難しさとリスクアナリシス

 微生物や添加物など、食品から危害要因を完全に排除することはできず、リスクは常に存在する。このようなリスク認識とそれを前提にして対策を講じることの必要性が世界的に確認されてきている。とくに食品事故の原因の多くをしめる微生物の制御は人類にとって困難な課題だとあらためて認識されるようになった。食品事故はつねに発生する可能性があると考えなくてはならない。
 そうしたときに大切なことは、健康に被害をおよぼさないレベルに危害を削減するようリスク管理を行うことである。(1)危害要因を特定し、危害の状態を査定する、(2)許容される危険水準を評価し、危害要因を危険水準以下に削減する方策を確立し実行する、(3)それらの情報を共有する。このような枠組みが必要と考えられるようになった。これは「リスクアナリシス(危険性解析)」としてまとめられている。
 「リスクアセスメント(危険性査定)」、「リスクマネジメント(危険性管理)」、「リスクコミュニケーション(危険性情報交換)」の要素からなり、国際的にはコーデックス委員会(国際食品規格委員会)が原則を示している。
 安全確保システムは危害を削減するためのものだが、安全は保証しようにもできない。ところが日本では、BSEの安全宣言が早々と出されたことにもみられるように、このような枠組みでリスクをとらえることがいちじるしく遅れている。

◆トレーサビリティとは何か

 リスク管理の手法として、また生産から流通のプロセスの情報を蓄積して提供する手法として注目されているのが、トレーサビリティ(追跡可能性)である。
 トレーサビリティとは、「記録された証明を通して、ある物品や活動について、その履歴と使用状態または位置を検索する能力」(ISO8402)と定義されている。EUでは今年1月に採択された食品法の一般原則のなかで、「食品、飼料、動物や動物関連物質を加工した食品の、生産、加工、流通のあらゆる段階を通して、それらを追跡し遡って調べる能力」と規定している。
 HACCP、ISO9000も工場内工程はトレースできるが、現在食品に必要とされているのは、農場での素材の生産から、加工、流通経路を経由して消費者の手元にとどくまで追跡できるようにすることである。つまり垂直的に連鎖する多段階の産業(生産者や企業)を貫く一貫したトレーサビリティシステムである。
 最も素朴なトレースの方法は、取引の伝票を残し、どこから仕入れてどこへ販売したかを後で検証できるようにすることであるが、それでは検索に時間がかかる。
 今求められているのは、迅速かつ的確に情報遡及と検証ができる方法である。その典型的な方法は、製品ひとつひとつに照合番号をつけてトレースできるようにし、各段階で情報を積み上げながら製品とともに川下へ送る方法である。したがって、製品には各段階の(事前に決めておいた)情報が添付されて届き、各段階にはより詳しい記録を残しておけるので、製品の照合番号を手がかりに記録を検証(再確認)することができる。

◆「義務」と「自発」
  2層で構成するEU

 EUでは、97年にBSE対応のために家畜の証明と牛肉表示に導入された。遺伝子組み換え作物の識別と表示のために導入する法案がすでにできており、さらに飼料とその原料に導入準備が進められている。
 牛肉のシステムは「義務」と「自発」の2層からなる(規則1760/2000)。義務は、部分肉までの最小限の情報(製品の照合番号、家畜の生産地、肥育国、と畜場と解体場の認可番号と国名)のトレースとその表示である。
 さらにそれ以外の情報の公開を促進するために自発的表示システムが奨励され、信頼を保つために権限機関がコントロールを加える仕組みになっている。国産牛肉の識別と表示(フランスなどで実施)、高レベルの農場から食卓までの一貫した品質管理プログラム(主要国で実施)がその例である。
 コーデックス委員会でも今年3月に横浜で開かれたバイオテクノロジー応用食品特別部会では、GMOで製品のリスク管理にトレースを含んでもよいことが決定された。一般原則への採用は論議中である。

◆リスク管理機能の発揮と
  商品を識別する情報の提供

 トレーサビリティの意義(目的)は、つぎのようにまとめられる。(1)経路の透明性の確保、(2)目標を定めた正確な製品の回収を可能にする、(3)消費者や権限機関への情報の提供、(4)表示の立証性を助ける、(5)長期的な健康への影響に関する伝染病学上のデータ収集を助け、リスク管理手法の発展を助ける、(6)正確な情報を消費者に提供することによって公正な貿易に寄与する。
 リスク管理の見地からは、万全の方策を講じても欠陥品が市場に出回ることを想定しなくてはならない。フランスでBSE罹患牛の肉がスーパーマーケットで販売され大騒ぎになった事件はその例であるが、義務的システムが整備されていたため当該牛群のすべての肉を迅速に回収することができ、大いに効力を発揮した。また、BSEのように完全な清浄化が必要なケースでは、トレーサビリティを義務化して全牛をコントロール下におくことによって、疫学的措置にもれ落ちがないようにし、疫学的データを収集することが必要とされる。
 製品の識別と表示の立証性の確保は、リスク管理に必要であるとともに正確な製品の情報提供に不可欠である。リスクの高い要因のリスク管理には、検査済みか、アレルギーの原因物質か、遺伝子組み換え物質かどうかなど、リスクの性質の違う物質が混入しないよう(あるいは混入の有無が)識別されるなければならない。このような場合には、原料の段階から識別された状態でトレースされていなければ、加工や製品購入の段階で識別することはできないので、リスク管理ができない。その点でトレーサビリティが不可欠である。表示の機能は、製品や商品を識別し選択するための情報提供機能である。その機能の発揮は、トレーサビリティによって識別が実態として担保されることが前提であり、さらに照合番号による検証能力がその立証性を助ける。

◆トレーサビリティ
  日本での導入への課題

 日本でもさまざまな分野で急速にトレーサビリティの導入が俎上にのぼってきているが、トレーサビリティにはかなりの幅があるので、導入にあたっては、どのような目的で実施するのか、どのようなレベルで実施するのかを明確にする必要がある。義務的に実施するか、企業が自発的に行うのかはリスクの度合いにかかわる。どのような内容の情報を記録するのか、どの程度の照合精度を確保するのか(製品単位かロット単位か)、コントロール主体やデータベース管理の方法、情報媒体などの実施手段の吟味が重要である。
 EUのBSE対策では、義務的に導入されたトレーサビリティシステムによって、経路の透明性や表示の立証性が確保され、製品回収の効力が実証されたこともあって、消費者の信頼回復に大きく寄与した。まだBSEの発症は続いているが、消費者は落ち着きを取り戻している。
 日本でも、家畜の個体識別にとどまらず、牛肉の小売段階までのトレーサビリティの確保が求められる。牛肉の市場低迷に対応するために、生産者団体や企業ベースで個別に導入されはじめているが、システムの互換性を確保し、信頼が得られるものにするには、基礎的部分は法令に根拠づけられた統一された義務的なシステムとして国の責任で構築される必要がある。そしてそれを実現するには生産者、食肉処理・加工業者、流通業者などすべての関係者の十分な認識と努力が必要である。




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