◆市場損失補填を制度化
新農業法は、1996年農業法に代わるもので、対象期間は2002年から2007年までの6年間。
予算の規模は96年農業法を継続させた場合よりも、520億ドル(約6兆5000億円)積み増しされた。
この新農業法は、96年農業法で定めた「直接固定支払い制度」と、それ以前から制度化されていた「価格支持融資制度」を継続させたうえに、さらに「価格変動対応型支払い制度」を上乗せしたのが大きな特徴である。
新制度を見る前に、96年農業法について簡単に振り返っておきたい。
96年農業法(適用期間96年〜2002年)では、生産調整を条件とした不足払い制度が廃止された。その代わりに導入されたのが、農家への「直接固定支払い制度」である。
米国が、このとき不足払い制度を廃止したのは、財政負担が膨らむことを恐れたのが理由の一つだといわれている。
不足払いは、再生産を可能にする目標価格と市場価格の差を補てんする制度として1973年から導入された。
しかし、市場価格との差を補てんし続けた結果、生産者は市場価格を無視して生産を続け、結局は、生産過剰から市場価格の低下を招き、さらに補助が膨らむことになった。米国政府としてはこれを悪循環とみた。
この悪循環を避けるために導入されたのが、「直接固定支払い制度」である。
支払いが受けられる要件は、小麦、コメ、トウモロコシ、綿花などを作付けていた農家のうち、過去に生産調整に1回以上参加した農家。支払い額は、“過去”の作付け面積に基づいて支払われる。米国が同制度の導入にあたって、支払い基準を“過去”の作付け面積としたのは、かりに当該年の作付け面積を基準とすれば、WTO協定で定める「生産刺激的な政策」との批判にさらされることを念頭に置いたもの。
ただし、不足払い制度が条件としていた生産調整政策は廃止したため、直接支払いを受ける農家でも作付けは自由となった。
導入当時の96年、97年の穀物価格は高水準だった。そのため米国の生産者は、高い市場価格、直接固定支払い、自由な生産、という3重の恩恵を受けた。市場原理の導入で低米価に不安を募らせる日本の生産者とは対照的だった。
もうひとつの「価格支持融資制度」は、1930年代に導入された。農産物を担保にした短期融資制度(融資期間最大9か月)である。
融資単価(ローンレート)が定められ、市場価格がこの単価を下回り価格が上昇しそうもないと農家が判断したとき、農家は、(1)担保の農産物を質流し(商品金融公社(CCC)への引き渡し)をして融資の返済免除を受ける、(2)市場価格での融資返済を行い、ローンレートとの差額分を受け取る。穀物は引き取る、の二つの対応ができる。
このためローンレートが農産物の最低価格を保証する効果を持っている。
新農業法では、この二つの制度の見直しも行われている。
直接支払い制度では、それまで対象外だった大豆を対象品目に追加。さらに現行の支払い単価を引き上げた。
一方、価格支持融資制度では、ローンレートが見直され、大豆は引き下げ、コメは据え置きとなったものの、小麦、トウモロコシなどは引き上げられた。
こうした見直しに加えて、今回、新設されたのが「価格変動対応型支払い制度」である。
この制度は、作物ごとに目標価格を設定し、市場価格にローンレートによる補てんや直接固定支払いを加えても、なお目標価格を下回った場合、その差額を補てんするというもの。
ただし、農家が受け取る額は目標価格を上回るケースもある。下図の右のようなケースで市場価格がある程度の水準に上昇していれば、直接固定支払いは継続されているため、目標価格以上の額を受け取ることになる。
対象品目は、小麦、トウモロコシ、ソルガム、大麦、コメ、綿花など。支払いの基準面積は、直接固定支払いと同様、“過去”の作付け面積としている。
一見、96年農業法で廃止した不足払い制度の復活とみえるが、不足払い制度では当該年の生産に対しての補償であるのに対して、これは「過去の生産」が基準。米国としてはこの点で、不足払い制度の復活ではなく、したがって、WTOで論議の対象になる“生産刺激的”な政策ではないとの認識を持っているという。
また、かりに制度上、WTO協定の削減対象となる「黄」の政策であるとしても、AMS(国内助成合計量)の約束水準を超えるおそれがある場合は、農務長官が支出額を調整できる規程を設けており、米国としてはWTO協定との整合性は確保できるとしている。
◆作らなくても恩恵あり
価格変動対応型支払いは、1998年から実施された緊急農家支援策を制度化したものといえる。
先にも触れたように96年農業法で導入した直接固定支払いと生産調整の廃止のメリットを受けたのは、最初の2年間だったといわれる。
その後は、アジア危機にも見舞われ穀物価格は低迷を続け、直接固定支払いだけでは対応できないことから、緊急農家支援策を98年度分から2001年度分まで4回行っている。総額は273億ドルで、そのうち価格低下を補う支払いは、約200億ドルにも達している。ただし、これまで4回実施されたとはいえ、あくまで暫定的な措置だった。生産者にとっては不安があるため、今回、継続的な仕組みとして構築したのである。
支払い額の上限は96年農業法の農家1戸あたり46万ドルより引き下げられ、36万ドルとされたり、一定規模以上(粗収入250万ドル以上の個人、経営体)は対象外とされるなど制約は設けたものの、「市場損失補てん」を制度化したことに違いはないといえそうだ。
品目別の目標価格をみると、コメは現在の農家の受け取り額の2倍以上の価格とされたことがとくに注目される。今年3月の農家の受け取り平均価格は、玄米100ポンドあたり約4ドル。一方、目標価格は同玄米1kg10.5ドル(玄米1kgあたり約29円)となっているのである。
つまり、現時点の価格で制度が適用されるとすると最低価格の指標となるローンレートよりも低い水準にあるため、その差額が補てんされ、さらに直接固定支払い額を加えても目標価格に届かないから、その差額がさらに補てんされる、ということになる(グラフ参照)。
しかも、この支払いは再三述べてきたように過去の生産が対象。「極端にいえば、今年はコメづくりをやめてしまった農家であっても、この制度の恩恵が受けられる」(農水省国際調整課)。実に手厚い保護をしているのである。
◆実態を見つめた議論を
JA全中が発行する「国際農業・食料レター5月号」は、米国の新農業法に対する米国内が反応を伝えている。
EUのフィシュラー農業担当委員は「国際的な農政改革に逆行」と批判。トラス豪州農業大臣は「身の毛もよだつ悪法。他国に対し保護を削減しろと言う一方で、自らはまったく逆のことを行っている」と非難、カナダのバンクリーフ農業大臣は「WTO農業交渉における米国の信頼を大きく損ねる」などと語っている。
また、米国内でも批判がある。おもな農業団体は歓迎しているが、政府の支払額の9割は全農家の上位2割の大規模生産者に支払われ、小規模農家は十分なメリットを受けられないとの見方が強い。
同レターは、今後想定される問題として、収入が約束された米国農家が市場動向を無視して生産拡大に走り、国際市場が混乱。とくに途上国が被害を受ける可能性もあることや、新農業法をきっかけにして、EUや日本を含む先進国の農業政策への批判が強まる恐れがあることなどを指摘している。
確かに米国の身勝手な姿勢は国際的に批判されるところだ。しかし、裏を返せば農産物の自由貿易、市場主義を推進してきたWTO体制がいかにそれぞれの国の農業を困難に陥らせているか、米国の新農業法はそれを図らずも露呈したといえるのではないか。
国際農業・食料レターも、“政府関与なしの完全な市場原理への移行”が非現実的なものであることを米国が自ら認めた証拠、と分析、この新農業法を、日本が主張する多様な農業の共存をめざした「現実的な改革」に向けての議論のきっかけにすべきだとしている。