◆改正農薬取締法が投げかける重い課題
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なかじま・きいち 昭和22年生まれ。東京教育大学農学部卒業。鯉淵学園教授を経て、平成13年より茨城大学農学部教授(緑環境システム科学担当、専門分野:総合農学、農業戦略論)。主な共著書は「有機農業―21世紀の課題と可能性」(コモンズ)、「転換期農村像の探求」(農村開発企画委員会)。 |
昨年の無登録農薬問題への緊急対応として農薬取締法が大幅改正され、3月10日に施行となった。また、BSE問題への対処を直接の端緒とした食品安全基本法案も国会上程されている。これらはいずれも「消費者に軸足をおいた農政」に対応したものであり、産地にとってたいへん重たい課題を投げかけている。いずれも生産者・産地に対する取り締まり強化という要素をもっている。これらの法規制強化がもつ産地・生産者にとっての意味は(1)法律へのきちんとした対応にはかなりの手間とコストがかかる、(2)これらの遵法対応を怠れば産地の信用が失墜し壊滅的事態を招きかねない(雪印事件等の教訓)、(3)民事トラブルとしても巨額の損害賠償を求められる可能性もある(無登録農薬問題のその後)等にある。産地・生産者はこの問題への対処を甘く考えず、この事態を新しい時代環境として受け止め、産地の自己革新と発展課題として前向きに取り組んでいくことが求められている。
◆農薬使用基準の法制化が意味するもの
農薬取締法改正では、使用禁止農薬が明示されるようになり(21種)、農薬使用基準が法律基準となった。また、食品安全基本法対応として農薬残留の分析監視体制は著しく強化されようとしている。中国等の農産物輸出国は残留農薬問題への対応策を整備しつつあり、安全性対策では必ずしも国産有利とは言えない状況も生まれつつある。産地・生産者としては、まずこれらの法律的新事態の内容をよく理解することが必要である。
農薬使用基準については、(1)農薬ごとに定められた使用方法を守る、(2)食用作物に適用のない農薬を食用作物生産に使用しない、(3)農家は農薬使用記録をつける、などが産地・生産者にとっては特に重要な事項と言えるだろう。(1)と(2)は違反すれば罰則を科せられる遵守基準であり、(3)は罰則はない努力規定である。(1)の農薬ごとの使用方法としては、適用作物、使用量・希釈倍率、使用時期、使用総回数が遵守項目として指定されている。(3)の農薬使用記録については、農薬の使用年月日、使用場所、使用農作物名、使用農薬名、使用量・希釈倍率の記録が求められることになった。
産地・生産者は違法者とならないためにも、直ちに、使用農薬のすべてについて使用方法や適用範囲を確認し、農薬使用記録ノートを用意することが必要なのである。
◆残留農薬問題
農作物へ農薬残留については、食品衛生法で残留基準値が設けられている農薬は、現状では約180種(食用農作物用として登録されている農薬は総数約350種・商品種類ではなく農薬成分として)と限られているが、厚生労働省では3年後にはすべての農薬について法的強制力のある残留基準値を設定したいとしている。残留基準値オーバーの農産物は市場から回収され、場合によっては農家や流通業者は罰せられることになり、民事的には損害賠償の対象となる可能性もある。
産地・生産者は農薬使用基準を守るだけでなく、生産出荷する農産物の農薬残留値についても関心を持ち、残留値を基準以下に管理する体制を確立しなければならないのである。農薬残留については、周辺からの飛散汚染についても十分に注意しておくことが必要である。周辺からの飛散汚染であっても基準値オーバーは出荷者の責任となる。当然のこととして周辺への汚染防止も必要なモラルとなった。
◆農薬取締法は農業者の健康や
農村の環境を守ってくれない
たいへんおかしなことだが、農薬取締法を守るだけでは農家の健康や農村の環境は守れないという現実がある。産地・生産者は、食の安全を守るために、農薬取締法の厳守が義務づけられたのだが、改正農薬取締法は産地・生産者の健康や環境を必ずしも守ってはくれないことも厳しく認識しておくべきだ。
農薬使用基準の主要な関心事項は、食用農作物への農薬残留の基準値以下の管理であって、農業者の健康確保でもないし、農村の環境保全でもない。農薬使用者の農薬被爆が食べ物への残留基準値以上であることは火を見るよりも明らかである。だが、農薬使用基準を守った農薬使用によって農薬使用者が農薬中毒になったとしても、それは本人の不注意とされ、誰もその被害を償ってはくれない。農薬使用基準を守った農薬使用によってその地域の野生生物が死滅し、自然環境が損なわれたとしても、責任を問われるのは農薬使用者でしかない。
さらにいえば、現在の農薬使用基準のままでは、多くの場合は農薬使用者の健康被害は免れがたいし、農村地域環境の汚染や破壊は免れ得ないのである。要するに農薬使用は「使用基準を守れば安全」なのではなく、農薬使用者や農村環境の視点からすれば「使用基準を守ったとしても多くの場合は相当に危険」ということなのだ。だから、農家の健康や農村の環境という視点からすれば、農薬使用は相当に慎重であるべきなのだ。農家の健康や農村の環境保全のためには農薬使用量は恐らく現在の10分の1以下への削減が絶対不可欠だと思われる。だがこの明白な事実は、最近の膨大な農薬論議にもかかわらずほとんど語られていない。
◆農薬取締法は農業の発展
展望を拓いてくれない
これは当然のことかもしれないが、農薬取締法は産地・生産者の、さらにいえば地域農業の明るい展望を保障してはくれない。
農薬取締法改正で産地・生産者は重たい課題を背負い込むことになったが、これで日本の農薬使用は減少するかと言えば、恐らく現実は逆だろう。規制強化とともに実施された適用作物の拡大、グループ化などの措置は日本農業全体の農薬使用量を増大させる契機となりかねない。そもそも現在の農薬取締法は農薬大量使用の現実を肯定した上での法律であり、農薬使用の大幅削減や脱農薬への誘導を意図した法律ではない。
今回の法改正で「特定農薬」という不可解な「農薬類型」が創設された。農水省がそこで想定していた「特定農薬」は有機農業などの在野の取り組みの過程で開発されてきた化学合成農薬を使わない農業のための技術群であった。社会からの強い反発のため法改正当初の「特定農薬」指定は「食酢」「重曹」「地域で採取された天敵」の3種に止まったが、農水省は今後追加指定していきたいという姿勢を崩していない。「特定農薬」新設措置で、化学合成農薬を使わない有機農業は「特定農薬使用農業」にされてしまった。新設された「特定農薬」制度は明らかに有機農業潰しの効果を果たすことになるだろう。
21世紀の新しい時代環境の下で、日本農業が幅広い国民との協働作業のなかから作り出す農業展望が「環境保全型農業から環境創造型農業へ」という方向であることはすでに社会の一般常識となっている。有機農業がその中核に位置づけられることも共通認識となっている。
このような展望方向からすれば、「無登録農薬問題」を機として期待された農薬問題に関する新しい政策方向は、(1)危険な化学合成農薬への抜本的規制強化、(2)化学合成農薬使用量の大幅削減への緊急国家計画の策定、(3)脱農薬農業(環境保全型農業・有機農業)の本格的奨励というものであるべき筈だった。だが残念ながら新しい法制度はこのような政策転換には背を向けていると判断せざるを得ない。とすれば、産地・生産者は遵法を前提としつつ、自らの発展展望は法や政策に頼るのではなく自力で切り拓くしかない。いま、産地・生産者にはこのことへの厳しい認識と覚悟が求められているのではないか。国民の多数はそうした草の根の取り組みを必ず支持してくれるだろう。(2003.3.27)