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検証・時の話題
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現地ルポ 熊本県水俣市宝川内「集」地区を見る −土石流が切り裂いた山里 災害乗りこえ集落の再生を誓う− |
7月20日未明、熊本県水俣市を襲った未曾有の集中豪雨によって市内山間部では大規模な土石流が発生。一家全員が家屋とともに流された人たちを含め死者19人の被害をもたらした。土砂や流木に埋まったのは市内宝川内(ほうがわち)集(あつまり)地区。その衝撃的な映像は全国に流れた。 あれから2か月、今、被災した集の人々はほぼ全員が地区内の仮設住宅で暮らし、「皆で残ってまたここで暮らそう」と集落の再生を期している。今月には直売所も開設し復興のシンボルにもなっている。棚田に豊かに稲穂が稔るこの中山間地を訪ね人々の思いを聞いた。 |
◆未曾有の雨 山が崩れた… 渓流と森、そして棚田が広がる山里を切り裂いたような光景が目の前に現れた。もとは細い渓流だったという集(あつまり)川の両岸は渇いた土砂や山肌からなぎ倒された流木で埋まっている。その下には数々の巨石が水俣川の支流の宝川内川との合流地点を埋め尽くしている。
集地区23戸のうち16戸が住まいを失った。激しい雨が降り始めたのは7月20日の午前2時ごろ。前日は市民花火大会や踊りなど港祭りの1日めで、雨にも降られず無事に終わり市民はほっとしていた。 激しさを増す雨と雷。「雷はずっと鳴りっぱなし。こんなことは見たことも聞いたこともなかった」と吉海さん。 午前4時ごろ、妻、娘とともに避難しようとしていたとき吉海さんは「ドーンというすさまじい音と地震のような揺れを感じた」。渓流からはかなり高い位置にあるこの家にも大きな石がぶつかったのだ。妻がそれに気づきみなで急いで玄関から脱出しようとしたが、すでに家がゆがんでいてどうしても戸が開かず裏口から外へ出た。下を見ると濁流が渦巻いていた。 そのとき、家の近くにランニング姿でうずくまって震えている人影を見つけた。声をかけると同じ集落に住む吉海照亘さんだった。聞けば家ごと濁流に流され自分は300メートルほど下流で川岸の木に夢中でつかまってはい上がり、もどってきたのだという。全身ずぶぬれで胸にケガをしていた。携帯電話で救急車を呼んだがすでに道路に流木が散らばっていたためかなかなか来なかった。奇跡的に一命はとりとめたが照亘さんは現在も入院中である。 ◆次世代のリーダー奪った土石流 照亘さんのように一命をとりとめた人もいたものの、夜が明けるとみな声を失った。そこにあるはずの家がない。姿の見えない人がいる。どこをどう探せばいいのか、呆然となった。 ◆都会の消費者から励ましも 吉海英機さんはみかんやデコポンなどを40年以上栽培する専業農家。
昭和60年代から有機栽培に取り組み都会の消費者グループへの出荷と自ら長年食べてくれた近隣の消費者に宅配して生計を立ててきた。 自宅の再建とともに新たなみかん園づくりもしなければならない。みかん園ができても収穫が可能になるまで5年はかかる。ただ、災害を知った大阪、東京などの消費者からお見舞いの便りが届いているのが励ましになっている。輪ゴムでまとめた封筒の束を見せてくれたがそれは吉海さんが書いた返事の束だった。「やはり一通一通書かなければ」。 今月、県は復興計画を示した。崩落部から下流にかけて治山ダムを複数つくり、集落の手前に砂防ダムを設ける計画だ。 失われた水田と農地はまとめて新たに造成し、住民に配分する方向だ。宅地も安全な場所にまとまった形で確保するという案が示された。 「農地は以前より少なくなるかもしれないが、みなここに残って暮らしたいという希望を持っている。その気持ちをもとに合意をつくっていこうと思います」。 ◆直売所を開設復興願うシンボルに
この集落で暮らしを再建したいという思いの強さは、家を失い残された14世帯40人全員が集落内に作られた仮設住宅に入居したことに現れている。 (2003.9.30)
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