3.何のための農地制度改革か
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かじい いそし 大正15年新潟県生まれ。昭和25年東京大学農学部卒業。39年鹿児島大学農学部助教授、42年同大学教授、46年東京農工大学教授、平成2年定年退官、7年東京農工大学学長。14年東京農工大名誉教授。著書に『梶井功著作集』(筑波書房)など |
耕作放棄地が増加する一方で“農業に強い意欲を持つ担い手や新規参入者の営農の実態を見ると、農地を十分に集積して力一杯の営農を展開しうる状況にはほど遠い。…農地の利用をめぐって大きなミスマッチが生じている”。このミスマッチに対して“抜本的な手だてを講じる必要がある”が、その“ポイントは農地制度の改革である”と報告は断言している。そうだろうか。
“ミスマッチが生じている”ことは事実である。問題は何故生じたのかの究明であり、なぜ是正できなかったのかの解明である。が、報告は究明も解明もせずに、“農地制度とこれに関連する諸制度の全面的な見直し”を主張しているのである。説得性に欠けるといわなければならない。耕作放棄地の増加に対して、農振法による特定利用権はどう活用されたのか、あるいは経営基盤強化法による勧奨はどの程度行われているのかの究明ぐらいはした上で、制度のどこに問題があるのかをいうべきだろう。
“望ましい農業構造の実現はきわめて厳しい”とした02年度白書が、規模拡大がすすまない理由として、94年当時は“農地の出し手がいない”ことをあげる者が多かったのに、02年になるとそれを理由とする者は急減し、かわって“米価の低迷”“転作面積の増加”“農業の先行不透明”を理由とする者が激増していることを示すデータを掲げた上で、“農産物価格の低迷や生産調整の強化等から規模拡大意欲が減退していることがうかがえる”としたことなど、全く無視しているのはどういうことか。白書のこの分析を否定することは、担い手の“維持・発展”のために新たな経営支援策が必要といったことと矛盾しよう。“農産物価格の低迷”が“農地を十分に集積”する意欲を失わせているのであって農地制度が“集積”を阻んでいるのではないことは先刻御承知の上で、だから論証なしに“ポイントは農地制度の改革である”と断定したのではないか。そんなことでは困るのである。
耕作放棄地とならんで報告が問題にしているのは“不徹底な転用規制”である。“全国化したスプロール”といった事態は、“法制度上は合法的に許可を得た転用事案の積み重ねによって生じている”とし“手続の形式上は瑕疵がないにもかかわらず、無秩序な土地利用が形成された原因をあぶり出す作業が行われてしかるべきである”という。
賛成である。しかし“あぶり出す作業”で何が出てくるか。”あぶり出す作業”は農地行政の域にとどまってはならない。当然、農地転用がなぜ“巨額のキャピタルゲインの実現”になったのかを究明する作業にならなければならない。そこから出てくるのは、結局は今日の日本経済に重荷を残すことになった土地を担保にしての信用創設の異常性――笠信太郎「花見酒の経済」――であり、過剰資金を土地と株式投機に流し込んでバブル経済を演出したまさに財界の責任ではないか。財界の代表的調査機関だったら、当然その自省の弁があって然るべきだと私などは思うのだが、この報告にはそういう言葉は1つもない。相次いだ転用規制の緩和措置にしても、土建資本の要求と無縁だったはずはないのである。が、そういう点には全くふれていない。
というような扱いかたのなかで、農地制度改革要求の“第1の観点”として、“耕作者主義の理念に合致した農業生産に道を開くこと”が打ち出されている。“真に農業生産に取り組む明確な意志を持つものであれば、農家出身であると否とを問わず、自然人であると法人であると問わず、農地の利用に門戸を開くべきである”という。
今の農地法は、門戸をそんなに閉ざしているのだろうか。“農家出身であると否と”で法制上は区別はないはずである。制約は自然人についていえば、農地の“権利を取得しようとする者…又はその世帯員がその取得後において行う耕作又は養畜の事業に必要な作業に常時従事すると認められない場合”(第3条2項4号)である。
確かに、農業生産法人になるには、一定の要件をクリアしなければならない。その要件の当否を問題にすることは意味があるだろう。が、農家・非農家で法制度上区別があるようないい方はやめるべきだろう。
主張したいのは、“事前規制・資格規制重視の法制度から、事後規制・行動規制にウエイトをおいた制度”にせよということのようだが、“事後規制”で農地は守れるだろうか。たとえば青森と岩手の県境でおきた産廃不法投棄の例に見るように、“ただちに農地としての利用可能な状態への復旧を求め”ても、“事後規制”ではどうにもならないことが農地については起こりがちなのである。“事後的なチェックシステムを構成する”ことの重要性は私もいいたい。が、それは事前規制があってこそ有効に機能するし、農地主事必置規制を廃止するような農業委員会の機能弱化を図ることとそれは両立しないことを指摘しておかなければならない。
“結果的に適正かつ効率的な利用が行われない事態が生じた場合には、速やかに他の耕作者に農地の利用を委ねるシステムを用意”することが提案されているが、前述したように、特定利用権や勧奨・勧告というかたちですでに制度化されている。そのシステムがなぜ作動しなかったのか、作動させなかったのかを吟味してからこういう提案はしてほしいものである。農業委員会の機能弱化と無縁ではないはずである。
総合規制改革会議は、その最終答申で“農業分野では、(1)一般の株式会社による農地の取得を直ちに、少なくとも農業特区では認めるべきだ、(2)現在、農業特区で認めている一般の株式会社による農地の借り入れを早急に、全国的に認めるべきだ――との考えをあたらめて提起、検討を続けるよう政府に求めた”という(03・12・23付日本農業新聞)。日経調の“農地制度の抜本的改革”提案は、これをどう評価するのだろうか。“自然人であると法人であるとを問わず”と強調しているところからすると、農業参入に当たって“一般の株式会社”を区別するなという意味で、同じ考えだという理解もできる。が、提案は“所有が利用の前提ではないという意味において、所有権と利用権の徹底した分離を追求すべきであり、農地制度の全体を利用優位の制度に転換すべきである”という。“農地の取得を直ちに…認めるべきだ”と所有権取得に執念を燃やしている総合規制改革会議とは距離があるようにも理解できる。
株式会社が、本当に農業経営をするというのなら、資本を固定するだけで、それ自体からは利益の出ない所有権取得に執念を燃やすのは、利益追求組織の本来のあり方からいっておかしいのであって、所有権取得にこだわるのは別の狙い――“キャピタルゲインの実現”――があるからだと私は考えるものだが、日経調報告がその点では総合規制改革会議と距離を置いているのだとすれば、その点は評価したいし、是非そうあってほしい。同時に、法人の農業参入自由化についても、特区で始まったばかりの株式会社の農業経営なるものがどういう展開を示すか、それをこそチェックすることの方が“農地制度の抜本的改革”をいうからには現段階では重要であり、結論を急ぐべきではないことを強調しておきたい。
ところで、“農地制度の全体を利用優位の制度”にするというとき、どういう制度を考えているのだろうか。戦後の農地法の改正経過は、ある意味では、“利用優位”の立場に立ってすこぶる強固にしていた借地農の耕作権を、借地での流動化拡大のために弱化させることだった。70年改正による合意解約の知事許可不要措置、利用増進事業による短期賃貸借の容認などがそれである。“利用優位の制度”というのは元にもどることではあるまい。どういう賃借権の強化をいうのだろうか。土地改良投資の“残存価値に対する補償の制度”が例示されているが、それには有益費として法律上すでに規定がある(民法196条第2項、及び土地改良法59条)。その運用の問題ということなら、よるべき一応の基準もすでにある(「新農地制度資料」第6巻下)。農地担保金融をやめろともいっているが、それは、日経調なら農業金融よりはむしろ日本の信用創造のあり方にかかわる問題として提起すべきことだろう。抜本的改革をいうにしては、なかみが薄すぎるのではないか。
関連記事 日経調 財界の狙う改革の問題点はどこか?(上)
―「農政の抜本的改革」報告の論評― (2004.1.28)