農業協同組合新聞 JACOM
   

検証・時の話題

実を結ぶ“生産者の誇り”
「消費者に支えられ、全員で出荷を続けた」

―所沢ダイオキシン裁判、実質逆転勝訴―
 「一束10円、20円になっても全員で出荷を続けた。そうしなければ報道を認めたことになるとみんなで歯を食いしばりました。仲間には頭が下がる。なにより消費者からがんばってくださいと言われたのがいちばんうれしかった…」。所沢ダイオキシン報道裁判の前原告団長の小高儀三郎さんの言葉だ。
 地元の野菜が高濃度のダイオキシンに汚染されているとテレビ朝日「ニュース・ステーション」が報じた問題の裁判の上告審で、最高裁は10月16日、報道内容について「真実であることの証明があるとはいえない」と、生産者側を敗訴とした二審判決を破棄し、審理を東京高裁に差し戻した。生産者側の実質逆転勝訴となった。誤った報道が産地に何をもたらし、小高さんたち生産者はどう立ち向かってきたのか。小高さんと現原告団長でJAいるま野一元共販連絡協議会会長の金子哲さんに改めて聞き、一連の問題が投げかけているものを考えてみた。

◆憤りと不安 産地の危機

金子哲原告団長(左)と小高儀三郎さん
金子哲原告団長(左)と小高儀三郎さん

 テレビ朝日「ニュース・ステーション」が民間研究機関の調査結果をもとに、ほうれんそうなど所沢産野菜に高濃度のダイオキシンが含まれ危険性があると報じたのは平成11年2月1日の夜。翌早朝、小高さんたちにJAから呼び出しがかかった。生放送を見ていない生産者らはその場でビデオを見せられた。
 「大変なことになる。もうだめだとさえ思った」と小高さん。報道内容への憤りとともに大きな不安が襲った。事実、朝から量販店などから取引停止や返品の連絡が続々と入った。「右往左往するばかりで。何もできなかった…」
 その後、番組で示されたダイオキシンの数値はせん茶からのものであることが判明し、同番組で謝罪がなされた。
 しかし、風評は簡単に解消せず、当時、所沢産だけなく埼玉県産の農産物全体が敬遠された時期もあった。

◆全員で出荷続ける決意

 当時、所沢のほうれんそう出荷量は年間600万束。一大産地となっていたが、これは小高さんたちがその10年ほど前からロットをまとめて販売しようと生産者で組織をつくり、150万束からスタートしてここまで成長させてきた結果だった。
 その間、野菜部会などで農薬の適正使用の勉強会や残留農薬検査などにも取り組んできた。ダイオキシン騒動が持ち上がる以前からのこうした取り組みに「われわれは食品を作っているんだ、安心、安全な野菜を提供するんだ、という意識をみんなが持っている先進地だと自負があった」と金子哲さんは語る。
 一方、地域にはゴミ焼却場が乱立し、ダイオキシン問題が注目されるようになる。
 「環境問題は、もちろんわれわれ生産者にとっても心配。もし汚染されているなら、雨よけ施設をつくるか、あるいはほうれんそうづくりをやめて他の作物に切り替えるか考えなくてはならない。結果によっては自主的に出荷するつもりだった」と金子さん。
 当時、こうした気持ちで自分たちのつくったほうれんそうなどの検査を日本食品分析センターに依頼することを野菜部会として決めたのだという。
 結果は健康上問題のないもので「自信をもって出荷できる」と判断し、当時は国の食品の安全性基準が明確ではなく、データを公表すればかえって混乱を招くことに配慮して公表は控えた。
 しかし、この問題ではそれがデータを隠していると批判され、生産者のなかには子どもが学校で「おまえの家は毒入りほうれんそうを作っている」といじめられた子どももいたほどだという。
 金子さんは「汚染を知っていて出荷するような人間がいるものか。報道に負けられないと思った」。
 そのために出荷をし続けることを生産者に説いて回った。
 当時の生産部会は300人。価格は大幅に下がったが、1人の脱落者もなくほうれんそうの出荷を続けた。「これは先輩たちが苦労して作り上げた安心を安全をモットーにしてきた産地。こんなことでつぶれないという思いがみんなにあったからできた。自分たちの誇りです」という。

常識的な視点で判決

10月末に所沢市内で開かれた市の農業祭。こうした消費者と生産者の交流が裁判を支えた。
10月末に所沢市内で開かれた市の農業祭。こうした消費者と生産者の交流が裁判を支えた。

 生産者は自ら店頭に立って販売もした。消費者に直接売るのは初めての経験だった。2月以来、イベントの直売コーナーなどでの販売は40回以上。1600人が店頭に立って販売したという。「がんばってくださいと声をかけられたのがありがたかった」と2人は声をそろえる。
 そして、平成11年9月。小高さんを原告団長に報道で被害を受けたと損害賠償などを求める訴えを起こした。
 大メディアに対して農業者が闘えるのかという気持ちがあったが、子どもが学校でいじめにあっているという話には「親父の無実を証明するしかない」という声になった。そして何よりも同じような報道による被害が起こらないように願ってのことだった。
 ただし、一審は敗訴。その根拠のひとつになったのがテレビ朝日側が提出した大学教授のデータだ。所沢産の白菜から高濃度のダイオキシンが検出されたというものだった。提出されたのはたった一検体だったが証拠採用され、これを根拠に所沢産の野菜が高濃度のダイオキシンに汚染されているとの報道には真実性があるとされた。二審も同様の判断を下す。
 この白菜について所沢市内の店で所沢産と書いてあったものを購入、検査したとだけ説明されたことから、金子さんたちは大きな疑問を持っていた。地元の白菜の生産はほとんど自家用程度であることなどから、本当に所沢産という表示は信用に足るのかという点だ。また、当時はまだ原産地表示は義務づけられてはおらず、表示は任意だったわけだが、そうなると白菜の産地でもない所沢産と表示することに何かメリットがあるのかという疑問もあった。
 こうした疑問に応えるように、今回の判決ではこのデータは「出所不明」の白菜から検出されたものとした。しかも一検体であることから、所沢産野菜が高濃度のダイオキシンに汚染されていることの真実の証明はないと判断したのである。
 また、番組で示したデータがせん茶からのものだったとしても、放送が示した内容に一般の視聴者はせん茶が含まれるとは考えないのが普通で、野菜に危険性があると受け取る内容だったと判断した。判決文では、報道内容が社会的評価を低下させるかどうかは「一般の視聴者の普通の注意と視聴の仕方を基準とすべき」とした。テレビ放送に対するごく常識的な視点に立った判断といえるだろう。

◆目的のために手段を選ばずでいいのか

 今回の問題について金子さんは、環境問題と農産物の問題を安易に混同する意識があったのが原因と改めて指摘する。
 実際に生産者もダイオキシン問題には不安があった。そのなかで安全な農産物をいかに生産しようとしているのか、こうした産地を真っ正面から取り上げた取材は受けなかったという。裁判でも、ニュースステーションなどのダイオキシン問題の報道によって規制が進み、ゴミ焼却場の数が減るなどの成果もあったという主張もあった。
 こうした主張に対して小高さんは「何百人もの農家の犠牲があってもいいということか。目的のためなら産地の一つや二つつぶれてもいいという姿勢が感じられてならない。社会のための報道というなら、われわれも社会正義を問いたかった」と今も憤りを隠さない。

安全・安心の先進地として

 JAいるま野は、昨年10月から出荷する野菜すべての生産履歴記帳運動をスタートさせた。品目数は約70で全生産者1200人が取り組む。しかもJAが生産者が記帳した履歴をチェックして不適正な農薬使用などの記録が見つかれば、出荷停止をするという非常に厳しい体制をとった。
 これだけ多数の生産者が参加し、しかも記録が点検される仕組みを導入したのは同JAが初めてだろう。今回の問題を通じて生産者に安全な農産物を提供し消費者から支持を得ることがなによりも重要であるという意識が浸透し、生産者のまとまりが生まれたという。 「巨大メディア相手に訴訟でがんばれたのも、生産者自らが組織づくりをしてきたという結束力があったから」と組織の力に2人は胸を張る。再戻し審は12月にも始まる。所沢の生産者は、誇りをかけたこの闘いに、最後まで納得のいく判決が得られることを望んでいる。 (2003.11.12)



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