農協の「大企業化」、役員改革で統治を 農水省の「農協検討会」に期待する 「改革二法」(平成8年)への否定的命題として 鈴木佐一郎
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21世紀を迎える我が国農協の命運を決定づけるほど重大な研究討議が、去る4月から2つの系列で並行的に進められている。1つは10月の全国農協大会の議案審議を目的とした全中主催の一連の会議であり、いま一つはそのことも視野に農水省が経済局長の私設諮問機関として特設した「農協系統の事業・組織に関する検討会」だ。 本稿は比較的長いあいだ農協各般の実務に携わってきた一人として、右の研究討議に率直な意見をのべ提言をさせてもらおうとするものだが、主として後者を意識し農協法の改正を念頭に筆を進めることにしたい。大会議案は既に固まってきてるようだが、農水省検討会の方は論議たけなわで、しかも「農協改革二法」(平成8年)の見直しが中心テーマだと聞くからだ。同二法の目玉とされた「経営管理委員会」制が、ドイツ、フランス方式の役員制度との前触れに反して、結果は、組合員代表を経営から疎外するだけの骨抜きになったことへの失望感がいまだに癒えないからだ。従ってここでの発言は、同二法への否定的命題(アンチ・テーゼ)の色合いの濃いものになるだろう。 ●
広域合併・二段制は両刃の剣 いまわが国の農協が抱える大きな問題の1つは、協同組合としての特性の喪失ということではないだろうか。協同組合らしくなくなったということであり、一部研究者の言葉を借りるなら、「農協の組合員離れ」「組合員の顧客化」「役職員集団化」「系統の中央集権化」や「経営第一主義」等々である。それは農協が組合員へのプラスはおろか、マイナスの存在になるということでもある。「反対物への転化」とはこのことだろう。 このうえ県連の全国連への吸収による二段制が進み、さらに改革二法で「経営トップのプロ化・職業化」が一般化すれば、21世紀は農協にとって「普通の企業への変身」の世紀になるのではなかろうか。 その意味で何より肝要なのは、組合員代表の役員による組合員的「企業統治」(コーポレート・ガバナンス)の体制の確立であり、その為の役員制度の改革だろう。それは協同組合としての不可欠の条件であり、至上の特性でもあるからだ。さいきん提唱されている情報公開や地区本部制や女性の経営参加等々、いずれも結構なことではあるが、成否のカギはトップ役員が握っていることを忘れてはなるまい。その意味で、「組合員的企業統治」のための役員制度改革は、自余の諸施策とは次元を異にする農協改革の決め手だといってよかろう。 ●
役員制度の抜本的改革私案 第1、役員は組合員代表たる「監理役員」(長は組合長)と専門経営者たる「執行理事」(長は理事長で全員常勤)の両者とするが、その間柄は従来の理事・監事のように対等・並立ではなく、「二層制」と呼ばれる上下の関係に位置づける。 第2、監理役員は総会(総代会)で組合員中から選出されるが、執行理事は監理役員会が農協役職員等の学識経験者中から選任(も解任も)する。 第3、通常の経営についての意思決定や業務執行は原則として執行理事に任されるが、組織運営の重要事項や長期的・戦略的経営方針は監理役員会が策定し、執行理事の裁量はその範囲内とする。また、執行理事の業務執行に対する監督・監査は監理役員が当たる。 第4、この役員制度は、組合員3000戸未満の単協では採否自由とするが、3000戸以上の単協と全ての連合会には強行規定として適用する。 役員制度そのものの改革案の骨子は以上だが、職業化を避けノン・プロを身上とする監理役員(会)を十分機能させるためには、2つの裏打ちが必要だろう。1つは専門スタッフを配した事務局の設置であり、他は、県中・全中による助言と支援だ。もし、県中・全中がこれをその主要任務として位置づけ、組合員的立場に徹した組織体制を整えてかかるならば、中央会自体21世紀における新生面が拓けるのではないだろうか。 ●
整合性欠く「経営管理委員」制 続いて、右の役員制度改革私案の説明に代え、改革二法との相違点を浮き出させるために、その幾つかの条項について、疑問点を呈し批判を投げかけることにしよう。 その1は、経営管理委員会の理事への人事権だが、選任はするが解任は(総会に請求するだけで)出来ないというのでは威令はおこなわれないだろう。「任権」あれど「免権」なしといった整合性の欠如は諸外国にも例をみない。解任権の乱用が懸念されるなら、法で歯止めを用意すればよい。(それに「管理」「委員」の話は役員にはなじまない) つづいて、より基本的な問題に移ろう。それは二法の発想のよってたつ立脚点ないし着眼点が偏っているということで、4件を指摘しておきたい。 右のどれもが、農協の現状認識や問題意識(の偏り)に関わることはいうまでもない。 ●
官庁統計が示す問題の片鱗 さいごに、農協の「現状と問題点」の片鱗を示すものとして、購買事業を例に、手許の官庁統計から拾いあげた2、3の数字をコメント抜きで紹介しておきたい。さきの「4つの偏り」の吟味と推考のヒントにでもなれば仕合わせである。 @ 単協の購買事業が過去何10年も巨額の「部門別純損失」(赤字)を続けているということだ。(平成10年度の1組合平均のそれは1億1844万円で、信用部の黒字の7割強に相当する。) これら3つの事実を突き詰めれば、主因はひとつに帰納されるのではないだろうか。単協でも連合会でも実務家任せの傾向のつよい購買事業の事例だけに、こんごの「執行体制」や「監理体制」を考えるうえで、有力な「反面教師」たりうるのではないだろうか。 このように、二法の「過去」や農協の「影の反面」をるる言挙げしたのは、当局に「前回の轍」を踏んでほしくないという取り越し苦労と、いまひとつ、二法が与えてくれた好個の題材に4年この方こえという反応を示さなかった農協関係者や研究者への警鐘にでもなればとの老婆心からに他ならない。 これからのきびしい競争場裏、農協は勝ち抜き生き残らなければならないが、農協という組織が協同組合としての特性を活かさずして他に太刀打ちできるのか、また、仮に「企業」としてのみ生き残ったとして如何ほどの意義があるのか。悔いを後世に遺さないよう、篤と考えたいものである。 |