前文
我が国は、これまでWTO協定に基づきウルグァイ・ラウンド合意を誠実に実施してきており、農業協定第20条に基づく継続交渉においても、誠実な対応をしている。
この交渉に当たり、我が国は、農業生産者、食品産業、消費者、市民団体等国民各層から意見を募った。また、同時に農業交渉に臨むに当たって公式の世論調査を実施し、農業生産と農産物貿易に関する国民の認識を調査した。この提案は、これらの意見や認識を踏まえたものであり、農業者のみならず消費者を含む幅広い国民各層の支持を得ているものである。
我が国の提案は、交渉に際しての基本的重要事項、市場アクセス、国内支持、輸出規律のあり方、国家貿易、発展途上国への配慮及び消費者・市民社会の関心への対応のそれぞれに関する提案で構成される。
そして、その根底に存在する基本的哲学は、「多様な農業の共存」である。
日本国民は、21世紀が、様々な国家、地域がそれぞれの歴史、文化等を背景にした価値観を互いに認め合い、平和と尊厳に満ちた国際社会において共存すべき時代でなければならないと確信する。
農業は、各国の社会の基盤となり、社会にとって様々な有益な機能を提供するものであり、各国にとって自然的条件、歴史的背景等が異なる中で、多様性と共存が確保され続けなければならない。このためには、生産条件の相違を克服することの必要性を互いに認め合うことこそ重要である。
我が国の提案は、以上の基本的な哲学に立つものである。そして、この共存の哲学の下、
@農業の多面的機能への配慮
A各国の社会の基盤となる食料安全保障の確保
B農産物輸出国と輸入国に適用されるルールの不均衡の是正
C開発途上国への配慮
D消費者・市民社会の関心への配慮
の5点を追求する内容となっている。
これらは、7,500万人分に相当する食料を輸入する最大の食料純輸入国である我が国国民の総意に基づくものである。
効率を重視した画一的な農業のみが生き残り得る貿易ルールは、我が国のみならず各国にとっても拒絶されるものである。
また、我が国は、競争力のある一部の輸出国のみが国際市場において利益を得るような交渉結果を認めない。
我が国は、この交渉により、各国の農業が破壊されることなく共存していけるような公平で公正なルールの実現を心から望むものである。
1.交渉に際しての基本的重要事項
〔提案〕 今次WTO農業交渉は、21世紀の世界の農政全体を方向付ける極めて重要な交渉であり、ウルグアイ・ラウンド(UR)合意の結果を十分検証するとともに、今後の世界的な農政上の課題に応え得るものでなければならない。
(1)UR合意の実施状況の検証
URにおける農業合意は、農産物に関する貿易ルールの面において、新たな一歩を踏み出すものであった。 しかし、UR合意以降、国際的な食料需給の不安定性は依然として解消しておらず、また、一部の国では追加的な農業保護政策の実施を余儀なくされているなど、農業が市場の機能のみでは律しきれないことをより一層配慮すべき状況となっている。
さらに、遺伝子組換え食品等の技術の進展による消費生活上の新たな課題が発生している。
そのため、今次農業交渉に際しては、まずUR合意後の実施状況等について十分な検証を行い、解決すべき各国の食料政策・農業政策上の困難を踏まえ、その解決に資するような交渉を行っていくことが必要である。
(2)世界的な農政上の課題としての農業の多面的機能、食料安全保障の追求
21世紀は、様々な国や地域における多様な農業が共存できる時代であるべきである。
そのためには、各国が自然的条件や歴史的背景の違いを踏まえた多様な農業の存在を認め合い、その持続的な生産活動を通じて農業の多面的機能が十分に発揮できるようにしていくとともに、人類の生存にとって不可欠である食料の安定供給を確保していくことが基本となる。そのため、これらの課題を世界的な農政上の課題として認識した上で交渉を行っていくことが必要である。
2.市場アクセスに関する提案
〔提案〕 農産物の市場アクセスについては、根本的改革をもたらすように助成及び保護を実質的かつ漸進的に削減するという長期目標が進行中であることを認識し、非貿易的関心事項を配慮するという農業協定の規定に従って交渉を行う。その際に、協定実施後に生じた各国の食料政策・農業政策上の困難が解決され、多様な農業が共存し得るようなバランスのとれたものとする。
(1)関税水準
@関税水準は、改革過程が継続中であることを認識し、各国の生産・消費の実情、国際需給等を踏まえた品目毎の柔軟性を確保して適切に設定する。
Aウルグアイ・ラウンド(UR)合意による関税化品目については、特に農業の多面的機能の発揮や食料安全保障の確保の観点も踏まえながら、内外価格差や農政改革の進捗状況等に十分配慮して枠外税率を設定する。
また、枠内税率については、各品目の国際需給・国内消費の実態等を踏まえて設定する。
B加工農産物の関税水準は、農業と一体的に発展してきた食品産業の重要性に十分に配慮して設定する。
(2)アクセス数量
@一定量のアクセス機会の提供を義務付けるシステムは、輸出入国間の権利義務バランスの面で均衡を欠くという基本的な問題があるため、それを改善する。
Aアクセス数量は、農業の多面的機能の発揮や食料安全保障の確保等に配慮し、各国の農業の現状や構造改革の進展を踏まえたものとする。その場合、品目毎の国際需給の相違を考慮し、柔軟性を確保して適切に設定する。
B以上の他にも、一定量のアクセス機会の提供を義務付けるシステムは、次のような問題を有しており、これを踏まえた改善を行う。
ア 国内消費量を基準として一定割合のアクセス機会を保証することとした経緯にかんがみ、公平を期する観点から最新の消費量を勘案した見直しを行う。
イ 関税化の特例措置を適用した品目にあっては、実施期間中に関税化された場合にも、それまで加重されていたアクセス数量が将来にわたり継続されるという問題があり、その改善を行う。
(3)関税割当制度
@関税割当の制度・運用は、上記の基本方針の下で、各国の実情に応じた方法を採用する。
A関税割当制度の運用に当たり、透明性、公平性を確保する。
(4)セーフガード
@季節性があり、腐敗しやすい等の特性を持った農産物については、輸入急増等の事態に機動的、効果的に発動できる特別の発動基準を設け、運用の透明性を高める。
A特別セーフガードについては、UR交渉における関税化とパッケージで合意された経緯にかんがみ、維持する。
(5)分野別イニシアティブ
ー般的な関税水準の削減約束等に加え、分野別に更なる削減等を求めるイニシアティブの考え方は支持しない。
3.国内支持に関する提案
〔提案〕 今後の国内支持の枠組み・水準の設定については、各国における農業の多面的機能、食料・農業をめぐる事情等に十分な配慮を行う。さらに、農政改革の継続を図るため、これまでの農業協定の実施の経験を踏まえ、施策の重点化や情勢の変化に対する柔軟な対応により効率的な政策を推進する。
(1)国内支持に関する規律
@現行の国内支持に関する規律の基本的な枠組みについては、農政改革を安定的に推進するために維持する。
AこれまでのUR合意の実施の経験にかんがみ、農業実態を踏まえた農政改革を推進する観点から、「緑」の政策において次のような改善を行う。
ア 各国における農政改革の方向と現行協定との乖離を是正する観点から、「生産に関連しない収入支持」の要件について、生産要素をはじめ生産の現状をより反映させるよう改善を行う。
イ 市場指向的な政策転換を進める上で必要とされるセーフティネット政策を円滑に導入する観点から、「収入保険・収入保証」等について発動要件、補填割合の制限を緩和する。
B削減対象外としての「青」の政策は存続させる。
(2)国内支持水準
@AMSの約束水準については、各国における農業の多面的機能の発現を損なうことのないように、農政改革の進捗状況に合わせて現実的なものとする。
AAMSの基準値は、農政改革過程の連続性を確保する観点から、UR合意時に定めた2000年度の約束水準(上限値)とする。
4.輸出規律のあり方に関する提案
〔提案〕 輸出入国間の権利・義務バランスの回復、及び食料輸入国の食料安全保障の観点から、輸出奨励措置や輸出制限措置について、例えば以下のような規律を確立する。
なお、輸出規律については、輸出国、輸入国双方が納得し得る公平で公正な合意を形成するためにも、輸入規律に関する合意内容とのバランスに配慮しつつ交渉を行う。
(1)輸出補助金
@輸出補助金の額・補助金付き輸出量について、更なる削減を行う。
A約束実施期間における輸出補助金のロールオーバー等に対する規律を強化する。
B輸出補助金単価の譲許を行い、約束実施期間中段階的に削減する。
C開発途上国の関心のある品目・市場に対する輸出補助金の規律を強化する。
DOECDでの議論を踏まえ、輸出信用に対する規律の強化を行う。
E国内支持の内、輸出補助の性格のあるものにつき、輸出規律の対象とするよう規律を強化する。
(2)輸出禁止・制限、輸出税
@輸出禁止・制限を全て関税化(輸出税化)する。
A今後想定される輸出税の設定を含め、全ての輸出税を予め譲許する。また、輸出税が適用される品目の一定量につき輸出税を非課税とする枠の設定を行う。
B緊急に輸出量の調整を行うべき場合において、輸出税の設定までの間に臨時的かつ短期間に輸出制限を講じなければならない場合に備えて、予め規律の明確化を行う。
(i)厳格な発動条件の設定
(ii)導入に至る手続きとしての加盟国間の協議の実施と協議が整わない場合の措置の明確化
(iii)導入に当たり、輸入国が必要量を確保する観点から、過去X年間の国内生産量に対する輸出量の割合の維持の義務付け等
(iv)導入期間の期限の設定
5.国家貿易に関する提案
〔提案〕 国家貿易は市場で極めて大きな影響力を有することから、その行動の透明性と予見可能性を向上させるための規律を確立する。
また、国家貿易の国際市場への影響力や、現行規律の実態等を踏まえ、輸出国家貿易と輸入国家貿易は明確に区別した上で、その規律の明確化を検討する。
@国家貿易企業の運営の透明性を向上するため、その国別輸出・入数量、輸出・入価格等を通報対象とする。また、年次計画の公表を義務づける。
A特に国際市場全体への影響の極めて大きい輸出国家貿易に関する規律として、さらに以下の事項を義務づける。
(i)時季別の輸出数量、輸出価格及び調達価格等の通報
(ii)政府からの財政支援の禁止
(iii)不測の事態を想定した最小限の輸出や備蓄の義務付け等、国際市場の安定への貢献
6.開発途上国への配慮に関する提案
〔提案〕 飢餓・栄養不足問題を抱える開発途上国にとっては、食料の安定供給の確保が最優先の課題となっている。我が国はこれまでの開発途上国との対話を踏まえ、自助努力による問題解決ができるよう、貿易ルールへの配慮及び食料安全保障のための支援スキームを強化していくこととする。
(1)国境措置に関する規律
国境措置に関する規律及びその適用に関し、食料安全保障を確保するために大幅な柔軟性を付与する。
(2)国内支持に関する規律
国内支持に関する規律及びその適用に関し、国内消費向けの食料増産に必要な助成に影響を与えないよう、柔軟性を付与する。
(3)輸出規律・国家貿易に関する規律
輸出規律及び国家貿易に関する規律を強化するに当たり、途上国にとって過大な負担とならないよう、義務の免除・緩和措置を講じる。
(4)食料安全保障上の要請への対応
二国間や多国間の食料援助のスキームを補完し、一時的な不足等の状況に際して現物の融資を行い得る国際備蓄の枠組みを検討する。
7.消費者・市民社会の関心への対応に関する提案
〔提案〕 食料の6割を輸入に依存し、また世界最大の食料純輸入国である我が国消費者・市民社会は、その世界最大の農産物顧客という立場と食品の安全性や選択に関する情報を重視する観点から、真に公平で公正な貿易ルールの確立を求めている。また、我が国消費者・市民社会は同時に農業の多面的機能や地球環境の保全・資源維持への配慮についても大きな関心を有している。
以下の提案は、我が国国民各層が有している様々な関心のうち、特に農業交渉に直接的に関連するものについて取りまとめたものである。
(1)食料の安定的な供給
@農業協定20条を超える助成及び保護の削減は、国民全体で取り組んでいる食料自給率向上の努力を著しく阻害するものであることから我が国の消費者・市民社会の受け入れるところでない。
A輸出国における輸出禁止、輸出規制、輸出税の徴収、輸出促進のための各種助成といった国際市場の不安定性を増幅する措置に対する規律を強化するとともに、輸入国家貿易等、国際市場の変動を軽減し、国内への安定的な食料の供給に資する役割がある体制を維持する。
(2)安全な食生活の確保
貿易ルールの検討に当たっては、食品の安全性の確保を第一義とする。UR合意後生じた新たな課題について、現行協定の問題点の有無の検証を行う。
また、食品の安全性を確保するための防疫体制を充実強化する。
(3)食品に関する消費者の選択を可能とする情報の提供
@消費者が安心して食品に関する選択を行うため、輸入品、国産品を問わず適切な表示による情報提供を行う体制を構築する。
Aなお、遺伝子組換え食品の表示に関しては、コーデックス食品規格委員会において適切な国際的ルールを策定する。
(4)WTO農業交渉に関する情報の積極的な開示・提供
交渉の透明性を確保するために、消費者・市民社会に対して十分な情報を開示するとともに、必要な意見表明の機会を提供する。
8.農業交渉の進め方(位置付け)
〔提案〕 今次農業交渉は、包括ラウンドの一環としてシングル・アンダーテイキング(一括受諾方式)の下に実施・妥結されるべきである。
(参考)農業の多面的機能、食料安全保障の配慮の観点から見た日本提案の内容
本提案各項目において、農業の多面的機能、食料安全保障の考え方は、次のように反映されている。
1 市場アクセス
関税水準及びアクセス数量については、多面的機能の発揮及び食料安全保障の確保等に配慮し、品目毎の生産・消費の実状、国際需給の状況、農政改革の進捗状況等を踏まえ、柔軟性を確保して適切に設定する。
特に、UR交渉で関税化された品目は、各国における多面的機能の発揮や食料安全保障の確保の観点も踏まえ、十分な配慮を行う。
特別セーフガードについても引き続き存続させる。
2 国内支持
各国が農業の多面的機能の発揮及び食料安全保障の確保等に配慮しつつ、農政改革推進を図るため、実施の経験を踏まえた「緑」の政策の要件の改善、「青」の政策の存続、現実的な国内支持水準の設定を行う。
3 輸出規制のあり方
食料輸出国の食料安全保障を確保するためには、輸入国への輸出の安定性、予見性を確保することが必要であることから、輸出規制を強化する。
4 国家貿易
輸出国家貿易は国際市場全体に影響を及ぼし、食料輸入国の食料安全保障に影響を与える可能性があるため、その活動が透明性を有し、予見可能なものとなるよう、規律を明確化する。
5 発展途上国への配慮
開発途上国にとって、食料の安定供給の確保が最優先の課題となっていることに十分配慮し、国境措置・国内支持に関する規律や水準につき柔軟性を認める。
また、二国間や多国間の食料援助のスキームを補完し、一時的な不足等の状況に際して現物の融資を行い得る国際備蓄の枠組みを検討する。
6 消費者・市民社会の関心への対応
世界最大の食料純輸入国である我が国の消費者・市民社会は、国民への食料の安定供給に大きな関心を有している。そのため、食料自給率向上の努力を阻害するような農業協定第20条を超える助成及び保護の削減は、我が国の消費者・市民社会の受け入れるところでない。
また、国際市場の不安定性を増幅する措置に対する規律を強化するとともに、輸入国家貿易等、国際市場の変動からくる影響の軽減に資する体制を維持する。
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