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解説記事
WTO体制と農政改革をめぐって
―EUフィシュラー農業委員講演会を聞く―
村田 武(九州大学大学院農学研究院教授)

 EUのフィシュラー農業委員が、7月25日、JA全中主催の講演会で「日本とEU(欧州連合)―成功のためのパートナーシップ」と題して熱弁をふるった。同氏は、同26、27日の2日間にわたって奈良市で開催された日米欧、オーストラリア、カナダの「5ヵ国農相会議」に出席するために来日されたものであった。
 フィシュラー農業委員は、ケアンズ・グループのように農業を他の産業と同一視する国に対抗して、農業がもつ景観や環境保全機能、雇用維持など「多面的機能」に配慮した農業改革を進める「多面的機能フレンズ」として、EUと日本はWTO農業交渉で共同できるとエールを送った。しかし、同氏が同時に紹介したEUの農政改革や農産物貿易の基本的考え方については、わが国の農政改革の方向と比較すると、じっくり聞くべきものがある。
 結論を先取りして、フィシュラー氏の講演が示唆するものを要約すると、「WTO自由貿易体制のもとで、日本農業を守りたかったら、アジア先進国日本独自の農業・食料政策哲学の確立が必要ですよ」ということではなかったか。

WTO自由貿易にどう対応するか

村田武教授
村田武教授

 フィシュラー氏は、EUのWTO自由貿易体制へのスタンスについて、「日本とEUはウルグアイ・ラウンド(UR)農業合意で始まった農産物の自由な貿易に向けてのプロセスを支持し、より自由な貿易によって全ての国がより多くの利益を得ることができると信じています。グローバル貿易の対象から農産物を除外することは不可能です。日本とEUは農産物市場の自由化をさらに推進しようと合意したのです」と語った。わが国がUR農業合意を認めたということはそういうことなんだ。こうあっさりと言われて、とまどいを感じたのは私だけではなかったはずだ。
 しかし、フィシュラー氏の、言い換えればEU農政と、日本農政の分岐点は次にある。
 「しかし、自由化は自国の農民を見放すことでは決してありません。景観保全、農村活性化、環境保護には農家の存在は欠かせません。」「しかし、農家を保護するには必ずしも市場を保護することではなく、貿易障壁によってではなく、自国の農業制度を維持できると信じています」というのである。
 こうした自信にあふれた政策論議ができるのは、この間のEUの農政改革の実績が背景にあることはいうまでもない。フィシュラー氏によれば、EUは1992年の共通農業政策(CAP)改革以来、2段階の改革をすすめている。
 その要点は、第1に、主として農産物価格政策によって生産を支持していた農業政策(農業予算の91%が価格支持財政であった)を転換し、(1)市場支持施策を大幅にカットし、(2)価格の損失を補てんするために農業生産者に直接補償金を支払う制度を導入したことにある。
 第2に、全く新しい政策手段として「農村開発政策」を導入したことにある。フィシュラー氏によれば、「社会が求めてはいるが、市場からは与えられないサービスの提供に関して生産者の努力に報いる施策」が広義の「農村開発政策」であって、(1)環境に配慮した方法での農業の支援、(2)有機農法や高地農法の支援、(3)農産物の品質向上のための投資助成、さらに(4)インフラ整備のための投資や農村での雇用創出支援が含まれている。わが国の農水省がWTOで主張する「農業の多面的機能」を発揮させるための対策がすでに具体化されているのである。
 そして、WTO新ラウンドでの農業交渉が来年3月の「モダリティの確立」に向けて、大詰めの協議に入るところで、EUは去る7月10日に、いわば第3次CAP改革案を発表した。(1)保証価格をさらに引き下げるが、(2)生産者に支払われる直接所得補償金は、農業生産高ベースを廃止し、環境や食料安全性基準の遵守状況などにもとづいて、30万ユーロ(1ユーロを118円とすると3,540万円)を上限とする補助金を支給する、(3)補助金を7年間で最大20%削減し、(4)より多くの財政を農村開発支援(これまでは農業予算全体の10%にとどまっていた)に当てる。UR農業協定では、暫定的に削減を免れた「青」の政策であった直接所得補償金を削減対象外の「緑」の政策に転換しつつ、施策の重点をさらに農村開発政策に向けようというのである。
 この点に関して、フィシュラー氏は、「農業に特別な政策を準備する必要を認めない国があるからこそ、新ラウンドから出てくるルールにおいて、貿易の歪曲を最大限回避しつつ、農民を支持する合法的な政策をわれわれが追求する可能性を確保するために協力を続けることが重要だ」と述べた。わが国が「多面的機能フレンズ」として頼みにしたいEUではあるが、当のEUは、支持価格水準を国際価格まで引き下げ、つまりWTO農業協定では不公正な「貿易歪曲的政策」とされる高関税などの国境障壁を放棄できる体制をつくりだそうとしているのである。EUの主要農産物たる穀物や牛乳において国際価格との価格差がせいぜい1.5倍から2倍であったからこそ、こうした対応ができたのであるが、ともかくも欧州と日本の差がたいへん大きいという現実を直視すべきであろう。

競争力を強める欧州産食品

フィシュラー氏
フィシュラー氏

 フィシュラー農業委員は、EUにおける1990年代以降の農政改革の成果として、第1に、欧州産食品の競争力が強化されたことを強調した。欧州からの農産物対日輸出は、1995年の30.4億ユーロ(3,550億円)から、2000年には41.8億ユーロ(4,870億円)に増えた(日本は欧州にとって農産物輸出先で第2位)。逆に、日本から欧州への農産物輸出は同じ時期に、137億円から192億円に増えたものの、絶対額では差が大きい。
 欧州から輸出が伸びているのは加工食品である。欧州域内でも「欧州の消費者にとって、食品は自らのアイデンティティの一部」であって、「ライフスタイルを反映する食品」において消費者の信頼をかち取るうえで、とくに欧州産品の安全性を保証し、品質の向上をめざす取組みが前進したというのである。BSEなど過去の問題を教訓として、「農場から食卓まで」の全体を対象とする食品安全政策の策定を終え、食品安全庁を設立するなど、この分野でのEUの対応の迅速なことには驚かされるが、フィシュラー氏は、「EUがBSEにどのように対応したかをみれば、迅速な対応へのわれわれの強い心構えをご理解いただけるでしょう。あらゆる予防措置を導入し終えた現在では、欧州の牛肉の安全性が今ほど確かであったことはないと言いたい」と自信のほどを示したのである。
 いまひとつ、フィシュラー氏が強調したのは、食品の安全性にとどまらず、欧州食品の独自性として、味、産地、生産方法などの多様性が伝統の一部であって、そうした多様性を保全するための原産地の地理的表示や伝統的特性の保護を保証するための規則の制定がなされていること、さらに有機農業の推進においても、(1)農村開発政策のなかで有機農場への支援、(2)有機農産品のラベル表示での明確なルールの策定を終えていることである。

厳しいWTO農業交渉

東京大手町JAビルで講演するフィシュラー氏
東京大手町JAビルで講演するフィシュラー氏

 さて、「5ヵ国農相会議」は、その前日に米国が発表した新農業提案の衝撃が大きく、「来年3月の自由化の大枠づくりはきわめて難しい状況になってきた」(『日本経済新聞』7月28日)とされている。
 米国の新提案は、市場アクセスに関しては、(1)枠外税率を含め25%を超える関税率を禁止し、(2)関税割当制度の枠内関税を撤廃するとともに、(3)関税割当数量を20%拡大する、(4)輸入国家貿易を廃止させ、(5)特別セーフガードも廃止するというものである。国内助成に関しては、(1)暫定的に削減対象外とされた「青」の政策という枠組みを廃止し、(2)「貿易歪曲的」農業補助金の上限を農業生産額の5%に縮小する、さらに輸出競争に関しては、輸出補助金を撤廃するというものである。
 その一方で、米国は、国内農政では価格下落に苦しむ農業経営に不足払い制度を復活させ、6年間で517億ドル(約6兆2,000億円)もの予算を増額させる2002年農業法を成立させている。
 これでは、フィシュラー農業委員が指摘するように「米国はバランスを欠いており、途上国へも触れていない」し、わが武部農相が「米国提案は農業協定や昨年のドーハ閣僚宣言に盛り込まれた非貿易的関心事項への配慮が欠け、これまでの農業交渉との連続性もない」と批判するのもうなずける。しかし、米国ベネマン農務長官に言わせれば、「2002年農業法は、関税を上げるわけでも、貿易障壁を構築するものでもない」。また、それが「隠れた輸出補助金」だとの批判があるが、農業協定では直接的輸出補助金を削減対象にしているのだということになる。農業交渉の主導権を確保しようとする米国の攻勢は、昨秋9月11日の同時多発テロ以来の、ブッシュ政権の強硬外交路線の一環ともいえよう。
 EUは、輸出補助金の再定義をめぐって米国と渡り合うであろう。米国の「隠れた輸出補助金」の「貿易歪曲性」のレベルを数量的に浮かび上がらせながら、直接的輸出補助金の削減率を緩和させることに全力を上げるであろう。共通農業政策改革によって、関税率の大幅引き下げなど市場アクセスの改善についてはすでに織りこみずみである。
 ところがわが国にとってはたいへんである。何よりもコメ問題だ。コメの枠外関税(1kg当たり341円)は従価税に換算すると490%の高関税である。枠内数量は(わが国政府は「最低輸入義務」として確実に輸入を実施してきた)国内消費量の7.2%である。関税は25%が上限、枠内数量は20%まで拡大せよというのだから、コメ関税341円はなんと17円に、枠内数量は7.2%から8.64%に、つまり76.7万トンから92.0万トンにということになる。これでは、いかに小泉構造改革内閣であっても、米国の新提案を受け入れて来春3月に妥結ということにはならないであろう。また、そのような妥協をさせてならないことはいうまでもない。


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