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解説記事

特別寄稿
どうか、早くご退陣を!
小泉構造改革は今――(上)

三輪 昌男 國學院大学名誉教授


 小泉首相の金看板「構造改革」の「骨太の方針」が打ち出されたのが去年の6月。1年たったこの6月に「骨太第2弾」が発表された。追いかけて7月19日の閣僚懇談会で首相は「各府省の制度・政策改革案」の迅速な取りまとめを各大臣に指示した。テレビでみる首相は意気軒昂である。しかし、このまま猛進してもらっていいのだろうか。

◆美辞麗句はもういい

三輪 昌男氏

 「第2弾」を読んで、こんな感想が浮かんだ。そんな日本になってほしいと思うことがいろいろ書いてある。しかし私たち庶民の日常の暮らしの実感とはひどくかけ離れている。美辞麗句はもういい。ほかに書くことがあるのではないか。
 「第2弾」は「悪化傾向を続ける経済と財政のトレンドに、一定の歯止めをかけることに成功した」、これが「この1年の成果」だという。「一定の歯止め」の具体的な説明はない。本当に「成功した」といえるのかの疑問を拭えない。成果について他には何も書いてない。
 第1弾で重要性を強調していた「不良債権処理」についての第2弾での言及は、ひどく弱い。1年の総括として、まずこれの実績と自己評価を示すのが当たり前と思うが、見当たらない。
 新聞報道をみると、その1年の実績はひどい。かなり処理したけれど、残高は増えている。いや、初めから3年かかるといっている、大丈夫、と答えるのだろうか。
 そんなのは答にならない、アクセルの踏み方が逆だから、とんでもない状態になっているのだ。山口義行『誰のための金融再生か/不良債権処理の非常識』(ちくま新書、02年6月)が、中小企業とその金融機関の窮状を直視しながら、的確・明快にそう指摘している。
 小泉首相の話し振りの歯切れはいい。しかし常に内容がない、という点でワンパターン。それに気付いた人が増えている。美辞麗句に惑わされず、暮らしの厳しい具体的事実を直視し、小泉構造改革の内容を問題にする。1年たった今、そうしなければならない時期を、私たちは迎えている。

◆強きを助け弱きを挫く

 第2弾には、これという新味は見当たらない。見当たるのは、〈強きを助け弱きを挫く〉姿勢が変わっていないことである。具体例はたくさんある。2、3あげてみよう。
 (1)大銀行救済のしわを中小企業に寄せる不良債権処理に、はっきりそれが出ている。
 (2)勤め人の庶民にとって、健康保険の受診料本人負担の3割への拡大は厳しい。痛みを分かち合うというのだけれど、診療者や保険機関や雇用主・国の痛みはどれだけの大きさなのだろうか。何も教えてくれない。
 その一方で、医療の「利用者の選択肢の幅」を広げる、という。自由診療と保険診療の併用の導入・拡大である。金持ちの利用者に好都合。そうでない庶民の利用者にとっては、挫かれる思いしかない。
 (3)「広く、薄く、簡素な税制を構築する」という。
 累進課税の緩和で金持ちは助かる。課税ベースの拡大で、今まで課税されていなかった低所得の人は挫かれる。
 所得のある人の4人に1人が対象外の現状は異常だから、課税ベースを拡大するという。異常はなぜ生まれたのか。不況対策の減税を繰り返した結果、課税ベースが上がったからだ、と説明されている。
 というより、失業して不安定就業=低所得になった、生活難で専業主婦が不安定就業に移ったなどで、対象外の人が増えたことが大きいのではないか。
 そうであっても、なくても、異常解消の望ましい方法は、所得増加で課税対象外の低所得者が減るようにすることだ。景気を回復させて。不況対策から生まれた異常なら、いよいよもって、それが本筋である。なぜ、そう発想しないのか。

 〈強きを助け弱きを挫く〉社会思想、政策思想を〈新自由主義〉と呼ぶ。欧米で、また途上国でもNGO文献をみると、常識である。ところが日本ではそうでない。農協界では新自由主義という言葉は全くといっていいくらい聞かれない。不思議な国ニッポン。
 日本通のロンドン大学ロナルド・ドーア教授が、こんなことを書いている。
 世界的に「市場原理主義的な新自由主義の潮が満ち、『公共性再確認』の新たな潮の流れが始まった」。英国では4月にブレア政権が「医療制度を中心とする公共施設増強を約束した」。
 ところが「日本は今」、英国より20年遅れて「いよいよ新自由主義の天下になろうとしている。公共部門の重要性を再確認する日は、いつ来るだろう」(『西日本新聞』02年4月23日付)。
 私たちの暮らしを厳しくしている元凶は、小泉政権中枢に巣くう新自由主義である。その具体的な施策に異議ありの声をあげる。そうしないと、私たち庶民の暮らしは壊れてしまう。それを自覚しよう。心ある外国の人に笑われないようにしよう。

◆おかしなビジョン、理論

 農業の話に関係があるので、その話に移る前に、第2弾にある、おかしな話に触れておく。
 「産業競争力の再構築なしには、豊かな国民生活を維持することはできない」という。
 さて、産業構造のビジョンはどうなのか。第1弾の場合、非効率な産業は徹底的に潰し、効率的な産業に集中する、という国際分業の発想がはっきり示されていた。さらに、国際競争視点では、モノ造りの産業で国内に残すのはライフサイエンスなど4つの特定新産業に絞る、といっていた。
 ところが第2弾では、その話はなく、こんな話になっている。
 「世界的なレベルで」みると、「つい昨日まで日本でつくられていたモノが中国をはじめとするアジアの国々にその産業立地を移しつつある」。だが「日本経済の潜在的な力量は依然として高い」「高度成長を生み出した日本人経営者の勇敢な行動と決断、傾斜生産方式にみられる選択と集中、品質と消費者志向を誇る日本の技術力といった特質を活かせば日本は必ず蘇る」「貿易立国」を続けられる。
 (1)国内の産業構造ビジョンは様変わりだ。なぜか。(2)日本の産業・企業も「中国をはじめとするアジアの国々に・・・・立地を移しつつある」。その現実を変えるというのか。
 何の説明もない。全くおかしな話である。
 それに、日本は優秀だから、頑張ればどの産業も国際競争力を持てるようになるといっている、と読める。しかしこれは、国際経済論・貿易論の基礎理論である比較生産費説あるいは比較優位理論に反する。簡単な話としていってみて、どの産業も輸出できる為替レートはありえないのである。
 おかしな理論だ。
 第1弾の産業ビジョンがよいことになるわけではない。どちらとも違うビジョンを描くことが必要なのだ。しかし、おかしなビジョン、理論をもてあそぶ小泉構造改革に、それを描くことを期待するのは無理である。描くため小泉構造改革に期待するのは、早く退陣してもらうことである。


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