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もりしま・まさる 昭和9年群馬県生まれ。32年東京大学工学部卒。38年東大農学系大学院修了、農学博士。39年農水省農業技術研究所研究員、53年北海道大学農学部助教授、56年東大農学部助教授、59年東大農学部教授を経て平成6年より現職。著書に『日本のコメが消える』(東京新聞出版局)など。 |
米は一般商品化したという認識(報告書の1の(2)の(6)のイ)が、この考えの基礎にあって、だから政府は今後、米を特別扱いにしない、という。
この中間報告を発表した、ちょうどその日(6・28)のテレビや新聞は、アルゼンチンで食料不足の解決を求める大規模なデモが行われ、二人が死亡したことを伝えていた。
シャツが不足したからといって、また、家賃が上がったからといって、死者が出るほどの激しいデモが行われるだろうか。生活の最も基礎的な物資である衣食住の中でも、食料は特別に重要なもので、一般商品などでは全くないのである。
97年の「食料・農業・農村基本問題調査会」では木村尚三郎会長が「ヨーロッパでは・・・・パンの値段が3倍になりますと革命・暴動が起こるというのが定説です」(第2回食料部会議事録)と発言していた。さすがに西洋史研究の第一人者だけあって、この発言には、たしかな重みがあった。食料は特別なものなのである。しかし、この認識を今度の研究会は、あっさりと捨てた。
◆食料の確保は政府の責任
また、こんどの研究会のまっさい中に、米国政府は今後6年間に6兆円を超える農業予算の追加を決めた。このうち米の部分をみると、現在(8月30日)市場米価は3.95ドル(モミ米100ポンド当たり、シカゴ市場)だが、政府は10.5ドルを補償することにした。だから、米国の米生産者は100ポンドの米を生産すると、市場で売った代金は3.95ドルにしかならないが、政府から6.55ドルの支払いを受けるので、農家の手取額は合計10.5ドルになる。
市場米価、つまり報告書でもっと重視せよという「市場のシグナル」が3ドルに下がっても、5ドルに上がっても生産者の手取り額は10.5ドルで変わらない。だから米国の米生産者は「市場のシグナル」を重視するよりも、政府が補償価格を何ドルに決めるかということに重大な関心を持っている。このように米国では、報告書でしごく当然と考えているような「需要に見合った売れる米づくり」をしているわけではない。
自由経済を標榜する米国でさえ、農産物は一般商品とは違って、特別に重要なものだから、すべてを市場にまかせてはいない。それどころか市場価格の2.7倍もの生産者手取額を政府が補償して、農業生産に対する責任を果たしているのである。
このような状況を、いっさい無視し、米は一般商品化したとして、わが国の米政策を「白地から組み直すことにした」(解説版のP1)ものが、研究会の中間報告である。
これは歴史上まれにみる、そして国際的にみて、きわめて特異な農政哲学に基づく研究報告というしかない。
◆意味不明な「あるべき姿」
中間報告の内容を具体的にみてみよう。その中心になる概念は「米づくりの本来あるべき姿」というものである。この概念は全く理解しにくい。報告の全体として「メッセージ性を高め」たいようだが、農業者の反応は「何を言っているのか、さっぱり分からない」というものである。
これは国語力の問題ではない。考え方が全く対立する委員の間で「共通理解を醸成」しようとした結果とみるべきだろう。初めから共通の理解を形成することは断念したようだ。だから「共通理解を醸成」した内容は芳醇なようで、しかし玉虫色の、うさん臭いものになってしまった。
◆減反廃止で米価暴落
さいわい、研究会の資料と議事録と、事務局が作った解説版が公開されていて、この点は高く評価できる。それを手がかりにして、提案者がもくろむ「あるべき姿」の内容をみてみよう。
それは「行政が関与する需給調整の仕組みが不要になる」(解説版のP8)という姿である。つまり政府は減反について、いっさい責任を負わないというのである。
そうなると政府の助成は期待できなくなる。そうなれば、減反の方法は、(1)米価の大幅な下落という経済的な強制によるか、(2)経済外的な強制、つまり、ある種の共同体規制による減反しかない。
この(2)について考えてみよう。稲作農家数は全国で230万戸もある。これ程の莫大な数の農家が、共同体規制だけで、政府が全く関与しない状態で、しかも「作る自由」が喧伝されている中で、実効性のある減反を行うことは不可能だろう。この点については報告書でも「集団主義的なアプローチは限界であり・・・・」としている。
だから、提案者のいう「あるべき姿」は(1)の米価が大幅に下がり、多数の農家が「主体的な経営判断」で米生産をやめた状態としか理解できない。
◆選別政策の復活
米生産をやめることが期待されている農家は「非効率」な大多数の小規模な兼業農家と高齢農家であり、「効率的かつ安定的」な大規模専業農家だけに、米生産をしてもらおう、というのである。
集落営農は「営農の持続的な発展のための原動力に欠ける」(報告書の7の(1)の(3)のイ)と評価されている。つまり米生産からの退場を期待されている。
これは政府が昨年秋に提案し、猛烈な反発を受けて引っ込めた、悪名高い選別政策だが、こんど再び復活させて提案してきた。
このような「あるべき姿」は遠い未来の姿ではなく、数年後にこの状態に軟着陸させるのだという。しかし、この状態はドロ沼の状態で、軟着陸どころか着陸できる地点など、どこにもありはしない。ずぶずぶと沈み込むだけだ。
もしも仮に、この提案が実際に実行されたら、どうなるだろうか。
◆大規模農家の撤退へ
政府はすこしづつ減反への関与を薄めることで軟着陸をはかるだろう。実際には減反助成の減額が行われ、それと同時に、減反の限界感を解消するとして、減反の選択制をいいだすだろう。しかし、わずかな助成では、減反を選択する人は急激に減り、生産量は大幅に増え、米価は暴落する。つまり、減反制度は崩壊する。
この時の米価は、米の販売代金から肥料代や農薬代などを支払った後で、わずかな金額しか残らない程度の米価にまで下がる。それは、1万円を大幅に下回るだろう。
この程度の米価になっても、小規模農家は他に収入があるから、米生産を続ける。しかし、大規模専業農家は米からの収入しかないから、この米価では、とうていやっていけない。だから大規模専業農家の米生産からの撤退が始まる。つまり、提案者が期待するのとは全く逆で、小規模農家が残り、大規模農家が退場する。
大規模農家だけを選別して助成するという選別政策は、一つは財源が乏しいという理由で、もう一つの重大な理由は、大多数の農業者からの反発を受けて、全く不十分なものになる。だから、大規模農家を引き留めることはできないだろう。
◆稲作を縮小し輸入増やす
低米価のもとで、残った小規模農家も「売る自由」が喧伝されるなかで、激しい競争にさらされ、米価はさらに下がりつづける。やがて、小規模農家も米生産からの撤退を始める。その結果、米は不足ぎみになる。わずかな不作をきっかけにして、米不足が表面化する。不足すれば価格が上がるというのが市場原理だが、そうはならない。不足すれば国産米よりもケタ違いに安い価格の外国産米をどんどん輸入するだろう。
この報告書には、輸入の歯止めがどこにもない。ミニマム・アクセスという言葉さえもない。
このようにして、減反制度の崩壊は、米生産をとめどもない縮小に向かわせる。これが前に言ったドロ沼の実相である。これは「あるべき姿」どころか、その対極にある「あってはならない姿」である。
◆真の抜本改革を――
だから、この報告書をまとめた最後の研究会で、最も重大な論点であるところの、減反をはじめ米政策にかかわる、いくつかの基本的な問題で、政府の責任か、それとも農業者の自己責任か、という点についての「共通理解の醸成」さえもできなかった。深夜になって農業者側の委員が、議事録に「今後、具体策の検討の中で・・・・変えざるを得ない部分が出てくる・・・・事を確認頂きたい」という発言を残して、ようやく終わった。これは最も基本的な点での合意が実質的にできなかったものと理解できる。
それでは、今後どうすればいいのか。それは減反制度の抜本的な改革だが、その方向は報告書が示した方向ではない。それは、米は日本農業の基盤であり、かつ国民の生命の糧だから、特別に重要なものだ、という認識から始めねばならない。