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解説記事
特別寄稿
減反廃止は夢のまた夢
森島賢 立正大学教授

 米は今年も豊作と予想されている。しかし、農業者はそれを素直に喜べない。豊作で湧き立つような喜びに満たされる農業者は、いま日本にはいない。豊作の喜びで村じゅうが舞い上がることは、いま日本にはない。
 豊作になれば、今年もまた米価が下がり、減反を強化するのか、という不安がよぎるからだろう。こうした状況が、わが国では30年以上もつづいている。これは、どうみても正常なことではない。


◇日本農業の不幸
森島賢氏

 米国をみると、政府は農業者に対して、米をどんどん作って下さいと言っている。いま、米国でも米価は下がっているが、政府は農業者の手取り額が、米価と連動して減らないように、多額の補助金を農業者に支払うことにしている。こうして、米国は、農業者が豊作を素直に喜べる政治を行っているのである。
 日本の農業者で、米国ではなく、日本に生まれ、日本で農業をしている不幸を嘆く農業者がいても不思議はない。このような農業にしてしまったのは、いったい、どこの誰だ。

◇再生産を保証できるか

 わが国でも政府は、米政策が閉塞状態になっていることを認め、その抜本的な改革を行うことにして、今(02)年の年初から「生産調整に関する研究会」を作った。そして半年間の研究を経て、6月末に中間報告をした。
 この報告についての筆者の批判は本紙の前々号(9月5日号)に書いた。その要旨は、もしも、この報告書でいうように、政府が減反政策に責任を持たなくなれば、減反制度は崩壊し、わが国の米は壊滅する、というものである。
 これでは政府は食料供給の責任を果たせない。では、どうすればいいか。
 その答は政府が責任をもって、減反政策を行うことである。これが結論だが、その前に減反をやめても、米が力強く永続できる政策があるのではないか、という問題を考えておこう。すなわち、減反はやめるが、政府が責任をもって農家に米作りを続けてもらうように補助金を出す、という政策を具体的に考えてみよう。
 米作りを続けてもらうためには、農家の手取り額、つまり米の代金である米価と政府からの補助金の合計で、再生産ができるようにしなければならない。
 この合計を政府が再生産を保証する価格、という意味で保証価格といおう。またそのための補助金を補償金といおう。米価が下がれば政府は補償金の単価を上げて、保証価格を維持するのである。
 2つの場合を考えてみよう。第1の場合は、すべての農家を対象にして、保証価格を保証する場合である。第2の場合は、大規模専業農家だけを対象にして、保証価格を保証する場合である。

◇保証価格を1万6千円として

 第1の場合は、すべての農家が生産した、すべての米の再生産を保証する場合である。これは時代錯誤の荒唐無稽な政策だ、と考える人が多いだろうが、そうではない。冒頭で述べたように、米国では現在、実際に実施している政策である。この政策を、わが国でも実施できるだろうか。
 ここで問題になるのは、どのような保証価格を保証するか、という問題であるが、ここでは集落営農の生産費である1万6千円(60キログラム当たり)を政府が保証するとしよう。この保証価格は決して高くはない。いまの米生産の中心になっている0.5ヘクタールの農家の生産費は2万2千円である。だから1万6千円まで保証するのは、決して保証し過ぎではない。
 つぎの問題は、生産した米をどのように処理するか、という問題である。減反をやめれば、生産される米の総量は1500万トンになるだろう。これをどう処理するか、を考えておかねばならない。

◇海外援助の対価は2千億円

 1500万トンのうち、100万トンを海外援助米で処理するとしよう。
 このような処理に、筆者は必ずしも賛成している訳ではない。人道的な援助なら賛成だが、余った米を毎年100万トンづつ大量に援助米で処理することで、援助される国の農業に打撃を与えることには賛成できない。
 しかし、話をつづけよう。援助米の評価額は、2千円としよう。これは安過ぎはしない。現在(9月13日)の国際米価は下がっていて、もっと安い867円、つまり約千円である。だから、補償単価は保障価格との差額の1万4千円である。100万トン分では2千億円が財政負担額になる。

◇米価を下げれば1兆3千億円

 残りの1400万トンは国内で処理することになる。輸出は考えられない。国際米価は千円だからである。
 1400万トンのうち1000万トンは、食用で処理できる。
 米価を下げれば、もっと大量の米が食用で売れる、と考える人がいるが、この考えには根拠がない。消費拡大運動は筆者も賛成だが、しかし、その限界から目をそらすのではなく、限界を見据えたうえで、米問題に真正面から立ち向かわねばならない、と考えている。
 さて、1000万トンを食用にするのだが、このとき、米価は1万円どころか、8千円にまで下がるだろう。これは、米作りの中心になっている0.5ヘクタールの農家が支払う肥料代や農薬代などの物財購入費だけを満たす米価である。そうなると、保証価格との差の補償単価は8千円になる。1000万トン分では1兆3千億円である。

◇飼料にすれば1兆円

 1500万トンのうち、100万トンを海外援助用とし、1000万トンを食用にすると、400万トンが残る。これは飼料用にするしかない。
 飼料にするには、価格を千円程度にするしかない。去年の飼料用のトウモロコシの輸入価格は853円、つまり約千円だった。それより高ければ、畜産農家はこれまでどおりに、輸入飼料を使うほうが有利だからである。
 その次はアルコール燃料用だが、この用途は価格が千円よりもはるかに安い価格でないと採算に合わない。だから飼料のほうがいい。
 このことは30年前に過剰米が発生したとき、当時の米価審議会が小委員会を作って検討した結果である。この時と現在とで価格条件は変わっていない。
 飼料にすると価格は千円だから、保証価格との差の1万5千円が補償単価になる。400万トン分では1兆円である。

◇減反廃止には2兆5千億円

 以上のように、補償金の総額は海外援助用と食用と飼料用との合計だから、2兆5千億円になる。
 現在の米政策関係の予算額は5千5百億円だから、その4.5倍になる。また、米の総生産額は2兆4千億円(2000年)だから、それよりも多い。
 政府はこれだけの多額の財源を用意しないで、減反廃止を提案するだろう。だから減反廃止には賛成できない。米価が下がるにつれて、農家の手取り額が減り、やがて米生産が壊滅するからである。

◇選別政策も破綻

 この2兆5千億円という多額の財政負担を減らすために、保証を一部の大規模専業農家に限定する、というのが本稿で想定する第2の場合である。これは悪名高い選別政策である。
 この政策は、集落の大多数の小規模な兼業農家や高齢農家には補償金を全く払わないが、ごく少数の大規模専業農家には数百万円の補償金を払うという政策である。
 例えば、13ヘクタールの農家をみてみよう。生産費は1万3千円だから、これを保証価格にすると、補償単価は市場価格の8千円との差額の5千円になる。この農家の生産量は1100俵だから、補償金の総額は550万円になる。このような政策が集落に受け入れられる筈がない。
 百歩ゆずって、受け入れたとしても、このような、いわゆる「構造改革」が進めば進むほど財政負担は膨大な金額になる。そして、やがて1兆円に近づくだろう。その前に財源が乏しいという理由で、この制度は破綻するに違いない。

◇国内生産の縮小へ

 補償金の総額が1兆円に近づけば、いっそのこと国内生産は家庭用の米に限ってしまい、加工用と業務用の米は輸入すればいい、という考えがでてくるだろう。
 研究会の中間報告は、輸入米は加工用にしているから、国内生産への影響はない、と強弁している。次は業務用も同じように考えるだろう。
 家庭用の米は600万トンだから、その全部を政府が8千円で買い取っても、その金額は8千億円にすぎない。売り渡し金額との差額が財政負担になるが、それはわずかな金額だろう。
 政府が買い取るのではなく、保証価格を8千円に下げても同じことになる。8千円にすれば、生産意欲も衰えると考えるだろう。
 この政策の行きつく先は、家庭用を含めて、全ての米を輸入に依存することである。つまり、わが国の稲作の壊滅である。
 以上でみてきたように、減反をやめれば、いずれにしても、わが国の米生産は衰退し、やがて壊滅するだろう。だから減反せざるをえないのである。

◇減反廃止は幻想

 農業者なら誰しもが減反などしたくない、という思いを持っているだろう。思う存分に米を作りたいと思っているだろう。だから減反などやめてしまえと思うのは、しごく当然である。減反をやめて「作る自由」を謳歌することは、理想かもしれない。筆者もそれを否定しない。
 しかし、残念ながらそれは遠い未来へむけての理想であって、数年後に実現できるような理想ではない。30年もの長い間、見続けてきた夢のまた夢である。夢と現実の見さかいもなく、米政策をもて遊んではいけない。
 だがしかし、減反制度が現行のままでいいという訳ではない。現行の減反制度は限界感と不公平感に満ち満ちている。
 何故このようになってしまったのか、どうすれば是正できるか、を次に考えてみよう。


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