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おおしま・しげお 昭和12年茨城県生まれ。慶応大学経済学部卒。昭和35年慶応大学生協専務理事、44年日本生協連に移籍、組織部長、関西支所長、関西地連事務局長を歴任、61年全国消費者団体連絡会事務局長、平成10年永続経済研究所共同代表。農学博士。 |
8月13日に、米国と欧州連合(EU)は、世界貿易機関(WTO)新多角的貿易交渉(新ラウンド)の農業分野での共同提案で基本合意し、各国にその合意文書を配布しました。
合意文書の内容は次のようなものです。
第1に、「市場アクセス」問題では、現在、高関税が適用されている農産物について、一定の税率以下に関税を引き下げるか、あるいは、ミニマムアクセス(最低輸入量)などの方法で輸入を引き上げるように求めています。また、高関税以外の品目については、平均の下げ幅と、最低これ以上は削減すべきとする下げ幅のそれぞれを設定するとしています。
第2に、国内助成(価格支持や農家への助成)では、すべての「先進国」が前回交渉(ウルグアイ・ラウンド)よりも「大幅な削減」をすべきだとしています。
第3に、「輸出規律」では、一定の品目について、輸出補助金を何年間かで撤廃することや、輸出信用の削減などを提案しています。
この共同提案は、9月にメキシコのカンクンで開かれるWTOの閣僚会議の宣言に反映させられるとされています。
2.共同提案に対する2つの立場からの評価
この共同提案に沿うならば、日本の場合、米のミニマム・アクセスを拡大するか、関税を引き下げるかの選択を迫られ、日本農業の一層の後退を不可避にするきびしい状況に追い込まれることは確実です。
しかしながら亀井善之農水相は、14日、この共同提案について、EUとの協調に配慮して「わが国が主張している、品目ごとの柔軟な対応や、継続性の確保に一定の配慮が為された」などと共同提案を一定に評価して、コメなどの輸入拡大につながる「関税割当の拡大」についてだけ、「わが国農業の現実からみて問題がある」として、今後の交渉で日本政府の立場を反映させるように主張していくと述べています。
政府のこうしたあいまいな態度が事態をこじらせてきたのです。
本来、農業・食糧問題への対応には、その人・集団・国が依ってたつ立場の違いによって、2つの明確な違いがあります。
1つは、「(利潤追求のために)売るための農業」という立場です。この立場に立つものは、アグリビジネスをはじめ、農業における多国籍企業とその追従者が中心となります。米国とEUは世界における農産物の輸出国として、「売るための農業」の立場に立ちやすい本質を持っています。そこにおける農業の特徴は、エネルギーと地下水多消費型の農業であり、大型機械、農薬、化学肥料などへの依存型農業で、持続不可能な農業です。
2つは、「食べるための(そのために作り続ける)農業」という立場です。これは、自国の食料は自国で生産する権利(食料主権)を擁護する立場に立つものであり、世界中の多くの国家・政府、国民、農民、消費者、NGO(非政府組織)などが支持しているもので、この立場を支持する人々はますます増えています。そこにおける農業の特徴は、地域資源と地域の物質循環を生かした自給重視型の農業で、持続可能な農業を目指します。
食糧・農業問題における以上2つの立場があるということが理論的にも運動的にも表面化してきたのは、1991年12月フランスのパリで開催された世界NGO会議の時です。
この会議は、翌年にブラジルで開かれた「地球サミット:ブラジル・リオ会議」を準備するために開かれたもので、世界中の主なNGOが結集しました。そこでの中心的なテーマの1つが食糧・農業であり、リオでの合意文書(「リオ宣言」や「アジェンダ21=持続可能な発展のための人類の行動計画」)のなかに、「売るための農業」とは異なる「食べるための農業」あるいは「食料主権」という概念が入らなければならないことを、全会一致で強調したのでした。この決定は、当然のことながら「リオ宣言」「アジェンダ21」を始め、その後のFAO(世界食糧機構)が主催する「世界食糧会議」などでも強調され続けてきました。
こうした2つの立場があるということを考えた場合に、前者の立場に立つならば、米・EUの合意を評価することになりますが、後者の立場に立てば、基本的な評価はまったく異なる否定的なものとなるはずです。
日本政府のWTO交渉に臨む態度での最大の問題点は、亀井農水相の談話に見られるように、「食べるための農業」という立場に立ちきれていなかったことにあります。
3.食料主権に対する政府と国民の責任
今年の世界的な異常気象は、地球温暖化の影響がここまで来たかと背筋が寒くなる想いです。その結果、世界的に穀物・食料の不作が指摘され、とうもろこしなどの価格が高騰しております。こうした食糧危機の様相は、今後悪化することはあっても、改善される見通しがなく、「今年の冷害は、1993年のコメ不作ほどの影響はない見込み」などと短期的な見通しで一喜一憂している場合ではありません。
政府が食料・農業に関して、もっとも責任をもつべき政策の分野は、日本とアジアにおける中長期的な構造政策をどうするか、そのための制度設計をどうするかということです。短期的な需給の問題から政府が手を引くことに対しては、私も賛成ですが、予測される食料危機を前にして、「食べるために作り続ける農業」を、日本とアジアでどう可能にし発展させるかと、「食料・農業・農村基本法」で公約している食料の自給率の向上を可能にする制度をつくることはどうしても必要なことです。
この公約が守れなかった場合には、政府は国民の生命の安全に対する政策をおろそかにしたと、責任をとって下野するぐらいの覚悟が必要です。地方自治体も同様の決意をもって、「地域食料自給力向上計画」を策定すべきですし、消費者と農民も同じ質の責任に立って産消提携運動などの「食べるために作り続ける運動」に参加すべきです。
日本における食料・農業・農協問題全体を論じる立場にも、当然のことながら以上2つの立場の違いが反映してきます。日本の場合、経済政策といえば、市場原理主義の経済学が圧倒的に優勢で、公共性の認識、公共性に関する合意、そのもとで構造政策を考える制度派の経済政策の主張が弱いという弱点があります。それが「食べるために作り続ける農業」という立場からの主張の弱さ、運動の推進力の弱さとなっているのです。その結果、株式会社による農地の取得とか農協の解体攻撃と農協の株式会社化などの無分別な主張が大手を振ってまかりとおる事態を引き起こしているわけです。
実物経済こそ基本であるべきで、それが貨幣経済によって壊されてはなりません。
こうした困難な事態を克服するために、「食べるための農業」「食料主権」という立場を強く打ち出し、地域から土づくり農業より採れる旬の作物を大切にする運動を起こし、そこに農協などの参加を得て、農協の再生・強化を同時に図ることが必要になっています。アジア・世界の人とも共同行動を強めて、困難な事態を打開していこうではありませんか。 (2003.9.17)