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論壇―風 |
生産調整研究会の最終報告「水田農業政策・米政策再構築の基本方向」(11・29)を受けて12月3日「米政策改革大綱」が決定・発表された。大島農相は同日発表された大臣談話の末尾を“今回の米政策の改革が、我が国の水田農業の未来を切り拓く歴史的な転換・・・・であると確信するものである”という言葉で結んでおられたが、米政策改革が“我が国の水田農業の未来を切り拓く”改革になることは、誰しもが願っていることである。
が、「基本方向」及び「改革大綱」が示すような施策でそういう改革になるかどうか、いくつか問題がある。基本的な問題を1、2つ論じておきたい。 1つは、米政策の政策的位置づけが不明確なことである。「改革大綱」は冒頭で“水田農業経営の安定発展や水田の利活用の促進等による自給率向上施策への重点化・集中化を図るとともに、過剰米に関連する政策経費の思い切った縮減が可能となるような政策を行うべく・・・水田農業政策・米政策の大転換を図る”としている。 この文章からは“自給率向上施策への重点化、集中化”が重視されているように読める。これからの施策がそういう施策になることは、“我が国の将来の食料供給に対しては、国民の相当程度が不安を有している”(小泉内閣の「骨太方針第2弾」の表現)ことからいって、“国民の相当程度”が農政に何よりも望んでいることである。 米政策改革が“自給率向上施策”になることを切望するものだが、ここで気になるのは「基本方向」には自給率向上はおろか、自給率という言葉すらないことである。ここでは米政策改革は自給率向上という基本法が明示的に規定している基本政策とは無縁の政策として論じられていた。 「改革大綱」は「基本方向」のこの扱いを不可として米政策改革は“自給率向上施策”たるべきことをいったのであろうか。そうだと理解したいのであるが、ということなら、“自給率向上施策”が“国民の相当程度”の“不安”に応える国の施策である以上、その重要な一環である需給調整は当然に国の責任において実施される施策であるとしなければならない。生産を実際に担っている農業者・農業団体は“主体的”に施策に取り組む必要はむろんあるが、“需給調整システム”の“主役”になどなれる筋合いではないのに、「政策大綱」も「基本方向」も農業者・農業団体を“主役”にしようとしている。政策的位置づけが不明確だという所以である。 もう1つの問題は、“米づくりの本来あるべき姿”として描いている“効率的かつ安定的な農業経営が生産の大宗を占めていること”(「基本方向」の表現)の非現実性である。 アメリカは2002年農業法で、96年農業法で廃止した不足払いを、固定払いを残したまま復活させた。アメリカの“効率的”経営(わが国の農家経営にくらべればアメリカの農場は大部分が確かに効率的であろう)ですら、不足払いという価格所得支持政策がなければ安定的経営たり得ないからの措置である。“効率的”という言葉と“安定的”という言葉は“かつ”という接続詞で結びつけられる言葉ではないことを強調しておかなければならない。 不明瞭な言葉を使っていたのでは施策も不明瞭になる。充分な価格・所得支持政策がなければ、規模拡大の意欲もわかないのが、今の農家の現実であることを政策立案者はもっと重視すべきではないか。 「改革大綱」が“担い手経営安定政策”の対象に加えるとした集落営農組織についても、いうところの“集落型経営体”ではない集落型作業受託組織でも、“効率的”生産単位になっている組織が多数あるのを重視すべきことを指摘しておきたい。 |