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第22回JA全国大会特集
「21世紀に向けて食料・農業・農村に新しい風を」


−提言−  農と共生の時代へ
農業者が元気が出るJA全国大会を


国学院大学名誉教授 三輪 昌男
(みわまさお)1926年岡山県生まれ。 1951年東京大学経済学部卒業。協同組合経営研究所員をへて1965年から國學院大學経済学部教授。1997年退職し、現在名誉教授。 主な著書として『現代の協同組合』(全国協同出版、1986)、『自由貿易主義批判』(JA全中、1993)、『農協改革の新視点』(農文協、1997)、『モンドラゴンの神話』(訳書:家の光協会、2000)  

厳しい情勢を直視して

 この10月に開かれるJA全国大会が掲げている「基本方針」は 「『農』と『共生』の世紀づくり」である。今、農と共生が危ない時代がつづいている。その厳しい情勢を直視して、時代の転換に挑戦しよう。そう訴えるものとして、このスローガンは人々の心をゆすぶる。

 厳しい情勢の例を簡単にみよう。
 前の大会からJAグループが取り組んでいる「次世代との共生」。要するに大人と子どもの共生。当たり前の話ではないか。いや今、そうではない。あちこちで親が子に、子が親に暴力を振るった報道が毎日のように繰り返されている(市民農園や学童農園へのJAの取り組みは、自然との触れ合いのなかで人々が親子の情愛を培うことに役立つ)。中央・地方財政の赤字垂れ流しが、また目先の利益を優先させた地球環境の破壊が、次世代との共生を危なくしている。

 農が危ない例。ガットのウルグアイ・ラウンドのとき、また住専問題のとき、マスコミ論壇で何人ものエコノミストが、日本に農業はいらない、と声高に語った。彼らは今も著名人としてマスコミに登場し、同じ主張をつづけている。そういう世相を背景にして、大学の大学院・学部・学科の名前から、農の文字が大幅に消えてしまった。

新自由主義の時代

 農や共生が危ない今の時代を、学界・言論界では「新自由主義」の時代と呼んでいる。その思想はこう主張する。−−▽自由な市場競争が最高の経済効率をもたらす。▽競争での優勝劣敗・弱肉強食は当然のこと。▽強者は「適者」であるゆえに「生存」している。▽弱者は社会にとって邪魔者であり、早期退場を促すことが望ましい。
 欧州近代史に記録されていたこの思想が、1980年ころ米英で復活し、1990年ころからソ連社会主義圏の崩壊とともに勢いを増した。そういう「新」時代。

 日本でのその端的な現れとして、住専問題のときエコノミストたちが次のように主張したことがあげられる。−−「農協のような弱い金融機関を存続させたのは金融自由化政策の失敗だった。今からでも、早く退場させるべきだ」「グローバルな大競争時代を迎えた今、わが国の強い金融機関を弱めるような政策はとるべきでない」
 その後、大手金融機関の救済に巨額の公的資金が投入され、中央財政赤字増大の要因となった。それと限らず、農と共生が危ない前出の例がすべて新自由主義の産物であることは、説明するまでもあるまい。

新自由主義者とは、共生でなく闘い

 新自由主義を主張する人がおり、彼らが今の世の中を動かす中心勢力を形づくっている。彼らと、農と共生の時代への転換をめざすJAとの間に、共生は当てはまるのか。答は「否」である。彼らの動きによって、農と共生が危なくなっているのだから、彼らとは闘わなければならない。
 その闘う姿勢を、JAグループは、次のように情勢をとらえて「公正な貿易ルールの確立」を主張するなかで、明確に示している。−−WTOの「現行農業協定は、輸出国に有利な条件を与える一方、輸入国に多大な義務を負わせ、巨大な多国籍企業が途上国や世界農業の支配を強めるなど、家族農業の危機を深めています」

 このような、思想的・政治的に直接闘う姿勢は、大会議案書のこの箇所でみられるだけである。他の箇所でみられるのは、新自由主義の時代が深まるなかで対極として生じた、「ゆとり・やすらぎ」「環境」を重視する人々の「価値観」に即応して、活動を展開する姿勢である。政治団体でなく、事業活動を基本とするJAの場合、それは当然といえる。しかし、それも闘いなのである。新自由主義は自分にとって邪魔とみれば踏み潰す。だから、闘いの自覚が必要である。
 同時に、思想的に直接闘う姿勢を確立し、その力を強める努力も必要である。また、1999年末のシアトルでのWTO閣僚会議を包囲したNGO集会に参加したような、政治的に直接闘う姿勢を強めることも。

食料自給率向上への姿勢を正そう

 「食料自給率向上」への取り組みは、直接的ではないが、農をめぐる、新自由主義との思想的・政治的な闘いの性質を持っている。
 この取組みをJAグループは、農水省が作り出した大勢に従って進めようとしている。そのなかに「食生活の改善」がある。農水省があげている改善の内容は、和食の拡大と、食べ残しなど無駄の削減、の2つ。大会議案書では無駄の削減が明示されていないが、大勢に従おうということのようである。組合員や地域の消費者に訴えて、食生活改善運動を繰り広げる。

 だが、食料自給率向上のために食生活の改善を、という発想には問題がある。
 第一に、和食の自給率が高いのは、大きな国境調整のもとで米の自給率が高いからであり、WTO次期交渉で国境調整の大幅削減を余儀なくされるようだと、和食の自給率も低くなってしまうのだ。
 第二に、国民の多くが低自給率を問題にするのは、食料輸入に支障が生じたときを心配するからであり、食べ残しなどの無駄の削減は、そのときやればよいことである。今やるのは、そのときの余地を失うことで、無意味というよりデメリットの奇妙な話なのだ。

 自給率向上の基本的方法は、国内穀物生産の拡大である。現行WTOルールだと、それどころか自給率のさらなる低下さえもたらされかねない。だから農水省は、そしてJAも「公正な貿易ルールの確立」を提案している。食生活の改善による自給率向上論は、その提案から話をそらす役割、提案への支持を高めるよう国民に働きかけるエネルギーをそぐ役割、を客観的に果たしている。

 国内穀物生産の拡大をどうはかるか。困難が大きい。だから農水省はごく僅かな目標数値しか示していない。しかし、それでは低自給率への国民の心配に答えたことにならない。穀物の種類ごとに、この方法だといくらのコストでこれだけ可能ということを何通りか示し、国民の選択に委ねる。低自給率やむなしになりそうなものも選択肢の1つである。JAは、農水省のその活動に協力し、国民の選択結果に即して取り組む。
 問題のある大勢に従うのでなく、そのように姿勢を正さなければならない。

 なお、次のことを付言しておく。−−健康のために日本型食生活運動を推進し、質実な生活のあり方を望ましいこととして食べ残しをやめる運動を起こす、というのを否定しているわけではない。食料自給率の向上と結び付けることを問題にしているのだ。

農の難問には路線の選択肢の提示を

 大会議案書は、米について「需要にあわせた生産をすすめる」といい、また「米、麦、大豆、畜産、酪農など品目特性をふまえた経営安定対策の充実に取り組みます」といい、それで終わりにしている。
 前者=生産調整、後者=所得保障のどちらも、JAグループだけで適切に行えることではない。ところが農水省の政策は、市場原理に傾斜して大幅に後退し、JAの現場は展望なしの暗い気持ちに覆われている。
 この2つは、農の時代の展望に関わる、そしてJAの存立を左右しかねない大難問である。その扱いが、これでよいのだろうか。

 JAグループ中央として、明確な1つの展望を描けない。そうであるとき、こうすべきであろう。−−農水省の政策のあり方(市場原理に傾斜したものと、それを離脱したものと)を含めて、いく通りかの展望を描く。それを議案書に簡潔に示す。
 それで現場の議論(政策要請に関するものを含む)を活気づける。さらに、消費者=国民にどう考えるかを問うていく。

マネーゲームでよいのか

 金融ビッグバンは1200兆円にのぼる個人金融資産に便益を提供するといわれた。そうなのだと金融業界では、リスクとリターンの高低を選択できる、投資信託・外貨預金などいろいろな金融商品の販売を競い合っている。その大勢に従って、JAグループも同様の「多様な金融商品」の開発、取り扱い体制整備をはかるという。それでよいのだろうか。
 「金融商品の販売等に関する法律」が来年4月に施行され、金融機関側の説明義務の問責が強化される。それでも大衆的個人の自己責任能力には限界があり、彼らが泣かされ、金融機関側がリスクを免れる傾向が強く残りつづける。それでよいのかという一般的な問題を、JAの場合、組合員との信頼関係に厳しく関わるものとして、考究しなければならない。

 JAにとっては、より本質的な次の問題がある。「多様な金融商品」への運用はゼロサムのマネーゲームの性質を持っている。誰かの損で誰かが得をする。それは協同組合の理念に反する。また、JAがめざす共生の時代は、それを否定するはずである。それをどう考えて、大勢に従うというのだろうか。

 マネーゲームとの関わりについては、次のような本質的な問題もある。
 JAは、貯貸率が異常に低い、特殊な金融機関である。膨大な余裕金があるからマネーゲームに向ける。しかしそれは特殊性に伴う問題解決の正道ではない。
 個人を基盤とする金融機関は、構造的に余裕資金を持ち、その運用に国の政策配慮を得て存立する、というのが各国での歴史的事実であった。金融自由化が国の政策配慮を取り払い、個人基盤の金融機関は著しい苦難を強いられている。

 共生の時代への転換というとき、その歴史的事実の精察を踏まえ、異常な低貯貸率をもたらした個人基盤以外の要因の精察も加えて、政策金融を含む金融界でのJAの位置を、大きく方向づけしていくことを、長期的視点で問題にすべきではないか。

時代転換を阻む内部要因の克服

 新自由主義の時代がつづいている。その力の作用を、JAもさまざまに受けている。▽知らぬ間に、それによってマインドコントロールされている、▽まずいと気づいても、離脱は容易でない、というように。
 指摘してきた「大勢に従う」JAの動きは、その表れである。触れなかったが、その表れはほかにもある。
 それらは、新自由主義そのものと同様に、農と共生を危なくする。農と共生の時代への転換をめざすJAの内部に、転換を阻む要因が潜んでいる。この自覚を徹底し、その要因を克服しなければならない。

 どうやって克服するか。基本は次の2つであろう。−−▽時代転換の視点で大勢を問題にする姿勢を固めること。▽大勢に従うか、別の路線をとるかの選択を、組合員に問うていくこと。
 JAグループが時代の転換をめざす旗を掲げたこと自体が、転換の機運の客観的な強まりを物語っている。確信を持って転換への歩みを強めて欲しい。

新時代の大会のあり方を

 JAはさまざまな事業・活動を行っている。その1つ1つの取組み課題を網羅し列挙した議案書。従来のような、これを用いた大会運営だと、何でもありだが、参加者の感動を呼ぶこと少なく終わってしまいそうである。
 参加者が、また記録をみてJA関係者が、「そうだ、がんばろう」という気を起こすような大会であって欲しい。
 何でもありの議案書は、各人の活動の位置がわかる意味を持っているから、作成する。しかし、実質的には参考資料の位置に置く。そして、中心スローガンについて議論する。それが当然だし、望ましいと思うが、ほかにもいろいろアイデアがあろう。

 次の大会は21世紀最初の大会である。JAは、農と共生の世紀づくりをめざしている。新時代にふさわしい大会のあり方。それを今から議論し、ぜひ実現して欲しい。




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