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第22回JA全国大会特集
「21世紀に向けて食料・農業・農村に新しい風を」

−提言−
公共性をもつJAグループ
運動は原点から発想を
      
北海道大学教授  太田原高昭

(略歴) 1939年福島県会津若松市生まれ。63年北海道大学農学部卒。68年北海道大学大学院農学研究科単位取得。同年北星学園大学経済学部、71年北海道大学農学部に勤務。77年助教授、90年教授。95年日本協同組合学会会長、98年日本農業経済学会会長、99年から北海道大学大学院農学研究科長、農学部長。農学博士。著書に『明日の農協』(農文協)など。 

   3年に一度開かれるJA全国大会が近づいている。この第22回大会は、食料・農業・農村基本法が制定されそれに基づく基本計画の策定を受けて開かれる最初の大会であるところにその重要性がある。JAがそこでどのような見解を明らかにし、国民に何を訴えるのかを知ろうとしてこの大会に注目する人は多いし、私もその一人である。
 この大会のための議案(組織協議案)に基づいて何らかの提言をせよというのが編集部からの注文であるが、このような注文の仕方からは、率直に言ってこの議案に書いてあることよりは書いてないことへの指摘と注文の方が多くなりそうである。

JAグループの取り組み方向
21世紀を切り拓くために一歩踏み込んだ議論を

 議案の主要部分は三つの柱からなり、まず「食料・農業・農村の21世紀を切り拓くJAグループの取り組み方向」が提示されている。打ち出されている方針は食料自給率目標達成のための消費者との連携と地域農業・農村づくりであるが、ここに書かれていることについて異議のある人はあまりいないだろう。それらは少なくとも農業農村の再生を願う地域、単協では先進、後進の差はあれすでに真剣に取り組まれているからである。

◆悪化たどる情勢はねのけ、やる気起こす取り組みを

 組合員や役職員が知りたいのはむしろ現場のそうした努力をあざ笑うかのように悪化の一方をたどる情勢をはねのけて、議案がよびかける具体的取り組みへのやる気を起こさせるにはどうしたらよいのかということではないだろうか。
 早い話が下がり続ける米価をどうするのかである。9月10日付け本紙で森島賢教授は「米価が下がりつづけるのはいまの米政策の政治哲学が米価は下がってもいいという経済思想に基づいているからではないか」と喝破している。それならばそのような政治に対してJAグループはどうするのか、皆が聞きたいのはそういう話なのである。

 この議案は「基本法に食料自給率向上を明記してもらった、当面の達成目標も示された、あとは生産者の責任を果すだけだ」という立場から書かれているのではないだろうか。もしそうだとすれば、それは違うと言わなければならない。

◆基本法に欠けている食料自給率向上の裏づけ

 新しい基本法にはたしかに「自給率向上」の文言があるが、あれは後から挿入されたもので原案では削除されていた。市場開放と競争原理を基本論理とする以上、自給率向上が約束できるはずもなく、出来ないことは書かないのが役人の鉄則である。しかし世論の反発をおそれた政治家サイドがこの文言を最終盤で入れさせたというのが舞台裏である。
 したがって食料自給率の向上をうたった総論を裏づける各論が基本法には欠けている。JAグループが基本法制定過程でかなりのエネルギーと費用を使って要求したことは未だ実現していないのである。生産者の責任以前に政治と行政の責任が果されていない。

 食料・農業・農村基本法へのJAグループの評価という点ではこのことをきちんと指摘しなければならないし、それを是正させる運動方針があわせて提示されなければ、ここでの21世紀戦略は絵に画いたモチに終わるだろう。そこをどうするのかという一歩踏み込んだ議論の展開を期待したい。

協同組合の基本的価値
経営・事業・組織の改革は協同組合らしさを前面に

◆目指すべき事業方式 明確な内容で確信持てるものに

 議案の第2の柱は「JAグループの経営・事業・組織の改革」である。事業と経営については長期的な低落傾向に歯止めがかかっていない現状を深刻に認識し、大胆な改革に踏み込むことの必要性はだれしもが認めるところであろう。したがってこの部分はとくに力を入れてきれいごとにならない率直な討議を期待したい。

 その場合、よくあるように現状の厳しさを強調すればするほど自信喪失を生み組織への信頼を低下させるような討議をするわけにはいかない。むしろ討議を通じて目指すべき協同組合的事業方式の内容が明確になり、それへの確信が生まれることが必要である。

◆企業追随をやめ、協同組合の有利性の再発見を

 議案には「参加型組織である農業協同組合の特性を生かし組合員組織の活性化を通じ組合員・地域住民のニーズを反映した事業運営をはかる」とある。当たり前のこととして読み過ごしやすいが、これはきわめて大切な指摘である。というのはバブル期の農協事業は協同組合の特性を生かすよりも営利企業の事業方式の後追いになっていて、そのことがその後の低落の内部的な要因になっていると考えられるからである。
 バブル期というよりももっと以前から、効率化の観点から「企業に学べ」という意識が組織内に強く、事実上それが事業・経営の指導方針になっていたと言っても誤りではないであろう。協同組合らしさということは気にしながらも無視されていたというのが実情ではなかったか。「原則や理念でメシが食えるか」というセリフがまかり通っていた。

 しかし企業の間でも不況の中での大競争を経て「勝ち組・負け組」がはっきりしてきた。にわか仕立ての後追いが負け組になるのは当然である。全盛を誇っていたヨーロッパの生協が70年代から後退を重ねた原因をめぐって「協同組合の基本的価値」の議論が国際的に行われ、営利企業後追い路線が否定的に総括されたことは記憶に新しい。
 わが国でもすべての農協が後退しているわけではない。明らかに「勝ち組」に入っている農協も少数ではあるが各地に存在する。そうした事例を研究すればそこに必ず「協同組合らしさとは何か」のヒントがある。このようなところにも視野をひろげて事業・経営について企業追随の考え方を転換し、協同組合の有利性を再発見することが期待される。

◆もう一度、基本に立ち返った議論が必要では・・・

 組織再編問題もこの項の焦点の一つである。全国のJA数は4月時点で1,022とあるから現在ではおそらく1,000を割っているだろう。これからの議論の中心は合併JAが協同組合としての機能をどう発揮するかという点に置かれなければならない。
 これにくらべて連合会統合の方は共済連を除いてはあまりはかばかしくない。というよりも全国2段階方針を決めた時点と現在では組織をめぐる状況が一変している。この方針が決められたのはバブルの頂点の頃なのであって、計画全体にバブル期特有の根拠のない楽観主義と没理念性が伺える。もう一度基本に立ち返った議論が必要ではないだろうか。

国内農業農政の転換
参加と連携の農業協同組合運動の方向

◆「内向け」の課題でなく、外に向けた運動の展開を

 第3の柱は「参加・参画・連携の促進による農業協同組合運動の展開」であるが、この項は他の項目にくらべて極端に分量が少ないうえに、女性や担い手の参画、組合員組織の活性化といった「内向け」の課題ばかりで、連携の相手も漁協、森林組合、生協との協同組合間協同があげられているだけである。
 いずれも重要喫緊の課題であることは確かだが「運動」というからにはこれだけでよいのかという疑問が出てくるのは当然であろう。いま国民の間には食糧自給率の低下や食の安全性への不安が充満しておりそれに基づく多様な運動がある。そうした人々が農業者や農業団体との連携を強く望んでいるときにこうした内向きの姿勢はやや異常に思える。

 それは参加や連携がもっぱら事業の観点からとらえられ、運動が「利用結集」に矮小化されているからだといえないか。当面それが最大の問題だと言われればその通りだが、問題は肝心の組合員や地域住民がそれをどう受け取るかである。
 単なる利用結集運動を組合員は自分たちのための運動とは思わず、役職員のための運動だと思っているのである。こうした受け止め方を打開する力強い説得力を残念ながらこの議案はもっていない。組合を強くすることが自分たちの利益になると素直に信じることができた世代は高齢者になってしまった。今の組合員やその家族にもう一度そのことを信じてもらえるためには何が必要だろうか。

 それはやはり農業・農村が置かれた苦境を打開するための本当の、外に向いた運動を真摯によびかけることではないだろうか。そのための材料はいくらでもあり、連携の相手にもこと欠かない。客観情勢はウルグアイ・ラウンド当時とは大きく変わっているのである。

◆生ける魚は流れに逆らって泳ぐ 死せる魚は・・・

 第1項で触れているWTO農業交渉についても、EUや韓国と「多面的機能フレンズ」を組めるところまで到達したという大きな前進があるのだが、これらの友邦からも「日本は本当に農業を大事にしているのか」という疑念が出されていることを重く受け止める必要があろう。国内農業政策の転換は今や国際的にもわが国の責務になっているのである。
 こうした問題にすっきりした態度を打ち出せないのは、要するに永田町ー霞ヶ関ー大手町の関係が切れないからだろうと世間は見ている。生き残るためには仕方がないという議論も成り立たないわけではないが、それでは営利企業の業界団体と変わるところがない。

 JAグループが今なお一定の社会的信用があり、私なども応援しなければならないと思うのは、それが非営利協同の組織であって並の業界団体とは異なる公共性をもつと期待されているからである。「運動」の問題はこの原点から発想されなければならない。

 ここで述べたことはいずれも大議論になることばかりである。大議論は避けるというのが全国大会の基本コンセプトだと聞いたこともある。しかしそれでは何も変わらないと思うので、大会参加者にあえて次のことばを捧げたい。「生ける魚は流れに逆らいて泳ぎ死せる魚は流れと共に流る」(内村鑑三)。




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