「21世紀に向けて食料・農業・農村に新しい風を」 特別対談 歌うっていうことは いちばん農業に近い 歌手 加藤 登紀子さん 東京農工大学学長 梶井 功さん
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■■ 農業も、歌手の世界も同じですね ■■ 梶井 昨日、環境問題を扱ったテレビ番組を見ていましたら、エンディングに加藤さんの歌が流れていました。(「宇宙船地球号」=テレビ朝日系、日曜23時)
加藤 「Seeds in the fields」ですね。人はみんなひとつぶの種、偶然の土に落ちて芽を出す、という歌詞ですが、みな同じフィールドにいるんだ、そこから環境を考えようというのがテーマなんです。10月からは「土に帰る」という歌に変わります。 ですから地域の人たちと近いところで歌ってこれたと思うんですが、私は、歌って、いちばん農業に近いと考えているんですよ。歌をつくってその種を播いて歩くんだと。うまく咲く種もあれば、うまく咲かない種もあるけれども、種播きをするという仕事は絶えずやる。歌もいろいろな人たちと出会ってどんなふうにその人のなかで花咲くのかを楽しみにしながら、丹念に丹念に、毎日、毎日歌って歩く。すごく農業に似ていると思ってます。 梶井 農業者にとってすばらしいメッセージだと思います。 加藤 ただ、農業をやっている方も、地道に種を播き、育て、成長していく時間を楽しむというような感覚で農業をやっている場合じゃない、と何年も思ってきたと思うんですよ。そんなことはとてもやってられない、どうすれば計算通り収穫が上がり利潤が出るかをずっと考えてきたんじゃないでしょうか。 梶井 それに振り回されたということはあると思います。
加藤 実は、歌手の世界も同じなんです。こうつくれば何枚売れる、という計算をしながら作曲するという傾向にどんどんなっていった。でも本当は自分の感じたことを一生懸命伝えるという、その日常的な営みの延長に仕事が成り立っている、営むことが私の仕事だと思いたいんですね。 梶井 1961年に前の農業基本法ができて、そのときからまさに効率一本やりで、いかにコストを下げて売れるものをつくるかと突っ走った時代になりました。 加藤 単一作物を徹底的に作るみたいなことですよね。 梶井 そうです。作物を複数つくると効率が悪くなるため単作化の方向に行った。それが結果として土を悪くし連作障害などで生産自体も不安定になります。そのしっぺ返しがきていて、今度の新しい基本法では、これからの農業のやり方は環境保全型だとしています。 加藤 私の子どものころは、農家といえば豚がいたり鶏がいたりして牛も使っていましたね。そういう小規模家族農業ですか、自分たちの食べるものを作り余剰物を売って収入にするというような、そういう農業が、ものすごくぜいたくで楽しみだというような時代にならないでしょうか。それとも、もう戻れないかしら。 梶井 うーん、それで食べていくのは難しいかもしれませんが、そういう農業をやる人たちが一部にいてもいいわけですね。 加藤 それから、町や村、あるいは集落のなかで総合的なネットワークをつくって、生産の分担はするけれども全体としてはすごく多角的な農業ができているようなことができたらと思うんです。 ■■ 若い人が本腰入れると新しい農村の姿が ■■ 加藤 有機農法の人たちのことでいえば、これまではどちらかというと地域では孤立していたわけですが、最近は、有機農業を軸に地域が連帯していくという構図が少しずつ生まれているんじゃないかと思いますが。 梶井 そういうなかから環境保全型農業も強まっていくんだろうと思いますね。その点でいえば、JAグループは今度の大会で地域農業戦略づくりを大きなテーマとして打ち出しています。地域全体としての生産性をいかに高めていくか、ただ、そのためには特定の農産物で考えるのではなくて、地域の土地をいちばんうまく使うやり方は一体何か、みんなで相談しながらやろうじゃないかということです。これが本当に定着すれば一つの方向が出てくるでしょう。 加藤 大きな波のなかでは、なかなか違う方向に行けずに仕方なく、という面もあったと思います。ですから、農業基本法が新しくなったとき、私は夫としみじみ飲みました。乾杯!って。こういうテーマで乾杯するのはなかなかないですけどね(笑)。なんでこんなに時間がかかったのかと、ちょっと悔しい気持ちもありますが、よかったなと感じましたね。 梶井 乾杯してくれたのですか・・・。加藤さんと藤本さんの対談では、まなじりを決して農業に入っていくというやり方では挫折する人も結構多かった。これからはときどき農村をのぞいてみるような人もいいし、いろんな関わり方を認めるほうがいいんじゃないか、と藤本さんはおっしゃってますね。 加藤 農業外の世界から農業に入るとき、昔は何もかも捨ててという感覚があった、と藤本はいうわけです。同時に私が思うのは、ずっと農業をやってきた人たちも、今までは生活をあまり楽しまない感覚もあったんじゃないでしょうか。本当は村には楽しいことが豊富にあって、農村で生きるとはなんて幸せなんだと思います。 梶井 そういう生き方でいいんだよ、ということをおおらかに認めていくような雰囲気が地域には必要ということになりますね。ところで、スケジュールを拝見しますと、大変な数のライブですね。ライブで都会と農村の違いを感じることはありますか。 加藤 ここ数年は都会のほうが落ち込んでいるなと感じますね。暗いんですよ、聴衆が。それにくらべると地方のほうが柔らかいし開放されやすい感じですね。いろいろあっても、やはり空気のいいところに暮らしている人のほうが感覚的には健全ということなんでしょうね。 ■■
古い文化との共生も考えて ■■ 梶井 今度のJAの大会は「共生」というテーマを掲げています。加藤さんのお考えを聞かせてください。 加藤 これは当然のテーマだと思います。農業の現場から発するものがもっと都会を動かすぐらいのエネルギーを持ってほしいということからいうと、農村では何かというと集まって飲んだりしますが、そうするとおい太鼓持ってこいとか、笛持ってこいとか、すごく盛り上がるわけです。しかもみんなうまい。とかく日本人はリズムが苦手だとか、日常のなかに音楽がないとかいわれていますが、こんな生き生きとできるのかと思います。日本にはまだまだいろんなものが残っているのがすばらしいですよね。だから、古い文化との共生もぜひ考えていきたいと思いますね。 梶井 農業、農村の多面的機能ということが盛んに言われていますが、そのなかには文化の継承の場としての農村ということもありますからね。 加藤 今までは方言も地方の習慣も大事にされなくて、できるだけ画一化していくことをめざしてしまいましたね。だけど、今言っている共生という考え方のなかには、違いが面白いんだということがあると思います。そのためには、ものすごくきめこまやかに何がそこにあるのか、違いは何か、それを感じ取る仕事をしていかないといけませんね。そうしないと強いものに軍配が上がっちゃって、強いものが、共生だ、共生だと言って、強いほうのやり方を押し切っていくために共生という言葉が使われる危険もあると思うんです。まだ今なら古い文化や習慣などを憶えている人がいるんですから、この時期にリターンできるのはチャンスだと思います。 梶井 今日はどうもありがとうございました。
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農業協同組合新聞(社団法人農協協会)
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