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特集:2003 JAグループの新たなる挑戦―JA改革を考える

提言 情理にかなった組織こそ
道理にかなった食と農を約束する
―21世紀の日本農業と協同組合の役割―


宮村 光重 東都生活協同組合理事長・日本女子大学名誉教授


◆杞憂に過ぎぬ事ども、であるか―

宮村 光重氏
みやむら・みつしげ 大正15年東京都生まれ。東京大学農学部卒業。昭和37年青森短期大学助教授のち教授、43年日本女子大学家政学部助教授のち教授、56年日本女子大学生協理事長、58年日本生協連食糧問題・全国産直調査委員会主査、平成5年東都生活協同組合理事長、6年日本女子大学定年退職、同大名誉教授、8年東京都有機農産物流通推進協議会会長。

 NASA(米航空宇宙局)のグループが、最近まとめた研究結果として、新聞の報じた所によれば、21世紀中に、北極海の永久海氷は消滅する可能性がある、という(2002年11月29日共同通信)。その前提は、地球温暖化が、現在のペースで続いた場合なのだが、そうなれば、地球を巡る気候環境や、現状において一定のバランスを保っている生態系は、著しく変貌するに違いなかろう。
 地球に生息する人類をはじめ、夥しい動物どもは、ある範囲の大気構成のもとで、葉緑素をもつ植物どもの光合成機能にたよって、生存を続けている。もちろん、地球科学の教える所によれば、47億年の地球史において、おそらく、この数百ないし数千万年は、特異な自然環境のもとにあると考えてよいのだろう。
 それにしても、ここ100年そこそこの年月における自然変化は、自然学によって認識される地球環境の変化とは、決定的な違いをもつであろう。それは、地球温暖化が、人間社会の人間による行為を要因ないし原因としているという点にほかならない。ただし、地球温暖化に関して、科学的な認識にかなり開きがあるかとも思うが、まったく影響なし、ないしは別要因による、との把握は、根拠が乏しいと考えざるをえまい。
 昨2002年は、食肉の偽装表示とともに、中国産の冷凍野菜の農薬残留や、日本国内産の青果物への無登録農薬の使用などが、重大な問題となった。とうぜん、国民の健康保全のためには、厳格な農薬管理が求められる。しかしながら、農薬を使用しなければ、あるいは、より多く使用しなければ、安全、安心な農作物が生産できない、社会的なまた技術的な状態が、本来的には改善されるべき根本問題ではなかろうか。
 日本列島は、亜熱帯から亜寒帯にまたがり、多種類の土壌と多様で特異な地勢に富んでいる、地球上まれにみる農耕適地である。ところが、これを所与の自然農耕条件とする基盤に、ゆらぎが発生しつつあるのだ。
 地球温暖化の進行は、1つには、温帯を亜熱帯に近づけることによる病虫害の新たな発生をもたらすに違いない。あるいはそれ以前に、作物栽培の適地を大幅に移動させる可能性がある。たしかに、物事には、メリットとデメリットがあるから、すべてがマイナス事態の発生だけと考えることはできないであろう。
 だが、現在でさえ、農薬使用が重大問題化し、有機農法が難しい状況下にあるのに、さらに、事態を悪くする可能性が確実である。
 国民の食生活を問題にする際に、しばしば、旬にあった食べ物を、と言われる。むろん、それは日本の風土にあった情緒を伴う食生活ではあるけれども、いまや、旬そのものが発現しない気候、風土になってきつつあるのではなかろうか。
 これまでわが国では、春・夏・秋・冬が、ちゃんとまわってくることを前提にしておけばよかった。だが、21世紀への移り変わりで、すでに感じとれるのは、そうした大前提が崩れ落ちそうだ、という事どもなのである。
 本紙から与えられたテーマが、あまりにもデカイので、天地がくずれおちるという絶対にありえない事態の発生―つまり杞憂だとは言っておれない事どもに、われわれは逢着しているのだ、と記述しておきたい。
 2001年9月〜10月に発生したテロと報復戦争が、世界各国の経済情勢まで大きく変えたことは、さかんに指摘される。しかし、21世紀の3年目に、アメリカが始めんとするイラク攻撃は、杞憂どころの話ではないのである。

◆農と食は、いかに平和と安全に係わるか

 21世紀の食糧・農業を論ずるにあたって、もっとも基本的に期待される前提は、上述した農の営み、つまり、人々が土地を耕して澱粉質を中心とした栄養素含有の産物を手に入れることのできる枠組みがこわされずに、むしろ、もっと優れた条件が生まれる、という点であろう。もちろん、土地に働きかける人々の科学水準や技術力の側面も重要である。
 こうした農の営みについて、筆者は、以前に次の叙述をしていた。
 「農業生産、食糧生産は、古来、いたって平和的な形状をもっており、また平和な環境が、その存続にとってもっとも望ましく、高い生産力を発揮させうる条件なのである」(拙論集 第1巻『食糧問題と国民生活』序文)。
 この拙論にたいして、農業は、そんなにキレイで平和な事柄でなく、自然を変形・破壊し、土地を略奪する、あるいは、農を巡って血の雨が降るなどの指摘がなされるかもしれない。それ自体は、歴史的に見て事実であり、科学で説明できると思う。
 一方、加工業は、キタナク、争いをもたらす事柄だ、そんな風に評価するとすれば、牽強付会のそしりを招くのは明らかだ。だけれども、無機的・機械的な工業生産と、有機的・生物的な農業生産の区別について、一定の認識をととのえておく必要がある。重要なポイントは、加工製造が、分割生産に基づくという点であろう。
 これらの点を正確に論ずるには、資本主義のもとにおける論理と展開形態にまで及ぶべきだが、それは略し、導かれる2点だけの指摘をしておきたい。
 第1に、農の営みが、滞りなく、平常に行われるのに、もっとも好都合な条件は、人的資源を含む諸環境が、戦争など人為手法によって損傷を受けないことである。つまり、平和な世の中こそが、展望ある農と食の基礎なのである。
 第2に、食は、人々の生き・死に、いのちとくらしに係わる事柄であり、暮らしの根本条件だから、食をネタにして、金儲けをしようとか、相手をこらしめてやろうとかは、望ましからぬ行為だ、ということである。つまり、営利や支配を主たる目的に置かない在り方こそが、道理にかなった食と農の将来を約束する。

◆協同組合が、農と食の担い手たる所以

 農と食が、根源的に、世の中に暮らす人々の生命に係わればこそ、それらを担うのに、もっとも適合的で、情理にかなう組織は、平和を望み、営利を目的としないことを原則にする協同組合であろう。
 2002年に発生した食品企業の倒産は、人々の食べ物のことで、ごまかしをやったために起きた。つまり社会的批判を受けたのは、株式会社であっても営利の追求だけでは、通用しないことを示唆している。食や農の事業分野には、すでに多くの営利企業が担い手になっている。しかも、財界と政府、それに市場原理主義を信奉する学者たちは、農業への株式会社参入ならびに、食・農領域からの協同組合おいだしに懸命である。だが、いずれは、その愚が明らかにされるだろう。
 とはいえ、現局面は、先読みの悠長な話ですませる場合ではない。そこで、営利企業を、食・農の分野から排除するといってしまえば、過激かもしれない。しかし、望ましい状態は、何であるか、といえば、営利を目的としない人々の協同組織、その重要な部分である協同組合が、食と農の分野で事業を担う在り方だ、という話になるのではなかろうか。
 市場原理主義のウイルスにおかされると、何でもお金が儲けられないとダメだ、と観念する。それは、根本的に、生きている人間が、生き続けられることこそ、一番大事なのだ、と考えない理念から生まれる。
 「生物の中で、人間だけが、地球上で『専横に』生き続けてよいだろうか、という問題の設定は、たしかに成り立つにちがいない」(前出 第四章)。そうだとしても、「人間である以上、だれでも勤労を通じて同じように食事ができなければならない、これが民主的社会の最低条件であろうが、商業主義の食糧領域への浸透は、これをくずす作用をする」(前出、序文)。
 日本国憲法に定めた生存権の意味あいと重さを、半世紀たって強調しなければならないほど、今の世の中は、情ない要素をかかえている。
 ところで、考えてみれば、協同組合の社会的存在の認知が、きちんとなされたのは、いくつかの社会権の確定と連動している。だから、食と農を担うのに最適な協同組合は、営利を目的としないことを原則とする組織でなければならないことになる。

◆協同組合に、独占禁止法が適用されない理由は、何であるか

 消費者に軸足を移した農政と喧伝される「食と農の再生プラン」が、昨年4月に発表され、その後、8月の「経済財政諮問会議」、9月の「農協あり方研究会」、11月の「総合規制改革会議」以降と、相ついで、独占禁止法の適用除外とされる協同組合が、槍玉にあげられてきた。
 このテーマは、実のところ非常に古くから、財界によって提示されてきた。協同組合に関する教科書や論稿の中で、このテーマに意を尽くした記述は、そう多くなかったように思っている。
 そのつけが、まわってきたとは、あえて申しません。しかし、農協法が1947年に、生協法が1948年に、日本では個別法として策定された経緯は述べられるものの、それらが、戦後民主改革の一環として、財閥解体、過度経済力集中排除、独占禁止法(原始、法律名称は、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律、1947年)との見合いで制定された関係が、明解されているとはいえないのである。
 独占禁止法第22条が、第6章適用除外の2番目にあって、「一定の組合の行為」については、独禁法の適用を除外すると規定している。
 2000年改正までの旧法第5章、第24条とは、僅かな字句修正だが、原始独占禁止法の成立時からの姿である。
 肝心な問題は何かといえば、人々に惨禍を与えた太平洋戦争の反省に立って、対外侵略の動因をつくった大財閥を解体する戦後平和経済への移行が、独占禁止法にいたるのだということ。そして、その規定を受けて、大きな私的企業同士の連携は弱肉強食をもたらし、世のため人のためによろしくない。しかし、経済的弱者は、協同と提携を進めることが、自由競争の原理に背馳することなく、社会的権利として認知されるということ、なのである。
 言いかたを換えれば、一定の要件を備えた(協同)組合は、独禁法の精神とは、矛盾なく存在できるし、その適用除外規定が廃止されれば、協同組合を存立せしめる法的根拠が失われる、という関係にある。
 したがって、そこでいう一定の要件を備えていないのであれば、適用除外されずに、独禁法による生産・販売・価格などにわたる提携の禁止があてはめられることになる。
 一体、その要件とは何か。(1)小規模事業者、消費者の相互扶助目的、(2)任意設立、加入・脱退の自由、(3)組合員の平等議決権、(4)利益配分の限定、である。むろん、但し書もあるが、いずれにしろ、この本則が、協同組合をして、組合員あるいは会員による連帯・提携・共同の事業と活動を可能とする社会的・法的認知の裏づけである。
 この独禁法規定を受けて、農協法にしろ生協法にしろ、「農民の協同組織」、「人と人との結合」と謳い、組合員・会員資格と組織原則を定め、かつ重要なことは、最大奉仕原則、つまり「組合員のために最大の奉仕をすることを目的とし、営利を目的としてその事業を行ってはならない」と法定明記をしているのである。
 上記の要件が、ロッチデール以来の協同組合原則と符合する所があることに留意してよい。また、忘れてはいけないのは、財閥解体と独占禁止法は、天皇制の廃止、軍隊武装解除、家父長制廃止、女性参政権、農地改革・農地法による働く農民の農地所有、そのほか人権・労働権などなど、民主改革の不可欠な一環であるという問題である。
 このように考えれば、大テーマである21世紀の食糧・農業は、まさしく、平和と安全な暮らしを求めつつ、協同組合の原則的な組織と事業の展開によって、切り拓かれるべきことが、明確にされてゆくであろう。



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