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特集:2003 おんなたちのPOWERで「変革」の風を
    −第48回JA全国女性大会特集−

特別企画
座談会 安全で安心な食料と協同組合の役割

生活の豊かさをつくる協同組合へ
―暮らしとして農業・地域を考える視点にたち―
出席者
中島紀一 茨城大学農学部教授
日和佐信子 全国消費者団体連絡会前事務局長
根岸久子 (株)農林中金総合研究所副主任研究員(司会)


 雪印乳業事件、BSE(牛海綿状脳症)の発生とその後のJAグループや協同組合セクターの一部も関与した偽装問題、輸入農産物の残留農薬問題、そして無登録農薬問題など、ここわずか2〜3年の間に、食の安全性に関わる問題が相次いだ。こうしたなか、国民の国内農産物に対する期待感は高まっていると同時に、その農産物を供給する農業協同組合のあり方について、多くの疑問や批判が出されてきている。これにどう応え、安全な食料を供給する組織として国民の信頼をかちえていけばいいのかを、JAの政策づくりで多くの助言をされている中島紀一茨城大教授、消費者団体の役員を長く務められ食に関する国の委員会のメンバーとして活躍し、JA全中経済事業刷新委員でもある日和佐信子氏、JA女性部の活動や食の問題に詳しい農林中金総研の根岸久子氏に率直に語り合っていただいた。


◆行政ルールから民事ルールへ
  ―市民社会のルールで食システムを総点検

中島紀一氏
なかじま・きいち 昭和22年生まれ。東京教育大学農学部卒業。鯉淵学園教授を経て、平成13年より茨城大学農学部教授(緑環境システム科学担当、専門分野:総合農学、農業戦略論)。主な共著書は「有機農業―21世紀の課題と可能性」(コモンズ)、「転換期農村像の探求」(農村開発企画委員会)など多数。

 根岸 食品の安全性に関わる事件が相次ぎ、それに一部JAグループが関与し、農産物を生産する協同組合のあり方が問われています。消費者の信頼を回復して、21世紀の食料生産を担う協同組合組織としていくためには何が必要なのか、どうしたらいいのかについて話し合っていきたいと思いますが、まず、立て続けに問題が起きた背景についてはどう見ておられますか。

 日和佐 食品の安全を確保するためには「農場から食卓まで」の流れに関わっている生産者、加工メーカー、流通業者などすべての人や組織が完璧に責任を果たさないと、安全は消費者に届きません。このどこかでミスがあれば、修復ができず後がないというのが、食品の安全性の特徴です。生産段階でいかに安全な食材を生産し提供するかから始まりますから、非常に重要ですね。

 根岸 そのプロセスで行政が果たさなければならない役割もありますね。

 日和佐 行政の役割は、生産・加工・流通のそれぞれの段階で守らなければいけないルールを適切につくり、そのルールをきちんと守っているかどうかチェックすることだと思います。
 この間の不祥事をずっと検証してみますと、当事者が責任を果たしておらず、安全な食品を提供しなければいけないという自覚をどこまで持っていたのかという大きな問題と同時に、ルールも非常に甘かったということがいえます。
 JAS法が改正になり、農薬取締法も改正され、食品衛生法もやっと改正しようということになりましたが、私たちはずっとこういうルールでいいのかということを言い続けてきたわけです。しかし、BSE以降の不祥事が起きなければ、食品衛生法改正を厚生労働省はやろうとは思わなかった。ほかでは、規制緩和という流れの中で、いつまでも行政が事業者を指導することで物事を解決するのではなくて、事業者も消費者も自己責任でしっかりやっていきなさい、そのためにはルールづくりをということで、PL法、消費者契約法、金融商品サービス法のように行政ルールから民事ルールに移行したわけです。農業政策も「食料・農業・農村基本法」で消費者という言葉を入れ、抜本的に変わったわけです。ところが、食品衛生分野だけが旧態依然とした事業者取締法で、「衛生」という概念しかなく、「国民の健康を守る」という概念がなかったわけです。

 根岸 グローバル化の進展とともにまわりの状況が変わったにもかかわらず、行政の旧態依然とした対応も、こういった問題の背景にはあるということですね。

◆巨大な食システムそのものの見直しこそが求められている

日和佐信子氏
ひわさ・のぶこ 昭和11年生まれ。早稲田大学卒業。昭和60年都民生協(現コープとうきょう)理事、62年東京都生活協同組合連合会理事、平成元年日本生活協同組合連合会理事、7年同組織推進本部本部長補佐、9年全国消費者団体連絡会事務局長、14年雪印乳業(株)社外取締役。食料・農業・農村政策審議会委員。

 中島 「農場から食卓まで」の食のシステムは、およそ90兆円近い巨大な産業システムに成長しています。しかし、その中身は「問題おおいにあり」だったということがこの間の事実で明らかになりました。それは、個々の部分的な問題を修正すればすむことではなく、食のシステムのあり方全体をもう一度、根本的に考え直さなくてはいけない問題だといえます。

 日和佐さんが「民事ルール」といわれましたが、それは企業が自由勝手にやればいいというルールではなくて、「市民社会のルール」なわけです。
 市民社会のルールを基に農場から食卓までの仕組みを総点検し、組み立て直していくという課題が、きわめて鮮明に提起されたというのが、21世紀になってから数年のできごとだと思います。
 そういう意味では、生産者も加工・流通に携わる人も、もう1度、自分たちの仕事を根本的に見直す時がきているわけで、その見直しが「始まりだした」と私は見ています。しかし、まだ見直しが開始されただけで、国民の間では、この問題についてほとんど議論がされていません。「食の安全」とはどういう概念なのかについて、専門家の間でもほとんど合意はありませんし、専門家の認識と国民の常識の間にもかなりのズレがあります。
 20世紀につくり上げてきた食と農の仕組みがダメだということが明らかになったわけですから、落ち着いて、時間をかけてこの問題の見直しをはかるべきだと思います。その取り組みのなかで、協同組合セクターが消費者側にも生産者側にもあるわけですから、そこが有効な機能・役割を果たしていくことが期待されているわけです。

 根岸 「食の安全」を確かなものにする上で、消費者の協同組合も含めた協同組合の役割が問われているわけですね。

 中島 日本でBSE感染牛が発見されてから数カ月後に、米国農務省が日本の全国紙に「アメリカの牛肉は安全です」という意見広告をだしました。これを見たときに、これで輸入肉が増えると思いました。しかし、国民は日本でBSE感染が発見されたにもかかわらず米国牛肉を食べなくなり、国産牛肉の消費減はアメリカ等からの輸入牛肉の消費減よりも小さいものでした。これはBSE発生によって国民は、巨大システムの中の1つひとつのシステムの運営管理をきちんとやって欲しいけれども、同時に巨大システムを見直さなければいけないことにも気がついたということでしょう。だから、こうした問題が起これば起こるほど地産地消への国民的な支持が広がってきているわけです。
 つまり、グローバリズムと巨大産業システムという枠組みの中での、たとえばBSE問題などの1つひとつのパーツの運営管理の適切化と同時に、20世紀がつくってきた食システム全体がこのままではおかしいので全体的な方向転換が必要だということに国民が気付きはじめているということであり、これからはこの両方の課題に適切に応えていかなければいけないということです。

◆恐るべき「食」と「農」の断絶
  ―世界の食ビジネスに翻弄される日本の食

根岸久子氏
ねぎし・ひさこ 埼玉県生まれ。農林中央金庫に就職後、昭和51年から調査部(現農林中金総合研究所)で調査研究に携わる。主な著書は「農産物自給運動」(昭和61年)、「学校給食を考える」(平成5年)、「協同で再生する地域と暮らし」(平成14年)等。日本農村生活学会理事。

 根岸 この問題の背景には、農場から食卓までが断絶してしまっている今の食生活が大きな要因としてあるということですか。

 中島 恐るべき断絶ですね。私自身もこの事件が発覚するまでは「肉骨粉」が今日の畜産における基本的な技術になっていることをはっきり認識をしていませんでした。実際には肉骨粉が世界を駆け回っていて、英国では禁止されたのに堂々と輸入されていた。そんな世界の食ビジネスに日本の食が翻弄されながら巻き込まれている。そして、これを国民の健全な食という視点からきちんとコントロールできるかといえば、現在の国際的な経済関係でいえば、主権がおよばないわけですから、完璧なコントロールはできないと思います。そう考えると、実態が分かれば分かるほど、現在の食システムは、コントロールしたいのですが、厳しく事実上コントロール不可能な部分が相当にあり、これは危ないなと思いました。

 根岸 そうすると、「食の安全」に関するルールをつくっても限界があるわけで、消費者としては「安全」の中身が信じられないですね。

◆普通の消費者・生産者に視点をおいた農政への転換こそ

 中島 日和佐さんから食品衛生法は業界管理法だという指摘がありましたが、農薬取締法もほぼ完璧に農薬業界取締法だったわけで、そこには、農民も消費者も市民もいないんです。
 民事のルールは市民社会のルールであって、いまの時代、市民社会として食と農の問題をどうコントロールすべきなのかを、市民社会としてよく考えて、そのルールを支えるような行政、国の政策の体系に切り替えていくことが必要だと思います。そうしないと、巨大システムを運営しているのは主には巨大資本ですから、そこへのコントロールがうまく届かないことになると思いますね。

 根岸 消費者の信頼を回復するために国は、いままでの生産者重視から消費者重視に軸足を移すといっています。しかし、今、農薬取締法では生産者が見えないという指摘がありましたが、いままでは本当に生産者重視だったのか。その意味ではこれからは本当に消費者重視になるのか、何となく釈然としないものがありますね。

 日和佐 農政は生産者を念頭においていたとは思いますが、本当の意味で生産者のことを考えて農業政策を行ってきたかといえば、疑問ですね。本当の意味で生産者のことを考えていたなら、BSE問題でもっと早く手を打ったはずです。BSEで一番被害をこうむったのは生産者ですからね・・・。もちろん消費者重視でもなかったわけです。ですから、何のために、どこに価値観をおいて役所が仕事をしているのか?。そこがはっきり見えるように態度で示してくれないと、いくら消費者に軸足を移しましたといわれても信じきれないものがありますね。

 中島 これまでの農政は、生産者重視と言うよりもむしろ、全体として産業政策なんですよ。生産性重視であって、食べ物でもなければ、生活者でもなければ、農業生産者でもなく、日本における食と農の産業をいかに育成するかに主軸がおかれていたわけです。産業は大切であり育てなければいけないけれど、それは何のためにあるかを考えなければいけない。重化学工業とは違い、生活に直結する食べ物の生産ですから、食べる人たち、そして普通の農家が生産しているのですから普通の農業者、そこに視点をおいた政策に切替えていくことが非常に大事なことです。

◆食の安全性を守る枠組みはできたが
  ―食品安全委員会の設置

 根岸 そうした中で、食べものに対する消費者の信頼を回復するために、食品安全基本法の制定や、食品安全委員会が設置されようとしています。先ほど日和佐さんがいわれた「行政ルールから民事ルールへ」という視点から、これを見るといかがでしょうか。

 日和佐 公表されている内容そのものは、私はいいと思っています。なぜリスク分析を取りいれようと「報告書」でいったかといえば、「透明性」を確保したかったからです。

 根岸 食品安全委員会ではリスク評価のみを行い、リスク管理は既存の行政がするということで、食の安全確保等の観点からは不充分だという意見もありますね。

 日和佐 私は1つの食品安全庁というような仕組みが理想的だと思いましたが、そのことがいえませんでした。なぜかといえば、食糧庁を廃止するという話がすでにあって、食糧庁がイコール食品安全庁になってしまう雰囲気があったからです。そうなれば、結局、農水省は焼け太りになる。そういうことに加担するのはやめようというのが委員会の合意だったわけです。
 分けることで、役所が違いますから、リスク評価の結果が外にでることになり情報公開されざるを得なくなり透明性が確保され、みんなが知ることができるようになり、みんなが意見をいうことができるような仕組みが実現できたと考えています。それから、食品安全基本法の中に「国民の健康を第一とする」ということも入りましたから、枠組としてはできました。
 後は意図したとおりに運用されるかどうかですが、どう運用されるかは、最後は人が決めるわけですから、どういう方たちが食品安全委員会のボードメンバーになるのかだと思います。

 根岸 食品安全基本法や食品安全委員会の設置によって、食の安全が確保され消費者の信頼を回復していく道筋ができるわけですね。

 日和佐 食品安全委員会でされたリスク評価については、必ずリスクコミュニケーションをする仕組みになっています。リスクコミュニケーションは、どういう経過でそういう評価になったのかを、生産者・消費者に説明をし、合意をえるわけです。そのときに、学説が違うということがあります。海外ではそのときに、リスク評価のやり直しをしています。ここまでの公開された運営がなされるかどうかですね。英国では、ボードメンバーを公募し、年間に8回も消費者などと意見交換をし、その意見によって政策策定をするところまでしています。

 根岸 日本でもそうするためにはどうすればいいんですか。

 日和佐 やはりボードメンバーの一部公募でしょうね。

◆リスク分析よりも食の総合政策論議こそがまず必要

 

 中島 リスク分析・リスク管理というシステムは、1990年代半ばに欧州で形成されてきた1つの提案なのであって、これでうまくいくかどうか、これで市民社会が納得するかどうか、まだ検証されていないと思います。

 日和佐 そうですね。

 中島 私たちもそう受けとめ、これによって日本の食がうまくコントロールできるかどうかについては、十分によく考えるべきだと思います。それから欧州と日本の違いもあります。欧州では、市民社会が主導しながら、科学・科学者を含めて70年代から揉んで揉んだうえでこういうものができてきています。だから、リスク分析に対応する科学の体制も、科学者の体制もあり、それを受けとめるNGOの体制もあります。ところが率直にいうと、日本にはそういう体制がなく、消費者サイドも農業サイドも含めて市民社会側の準備が不足しています。
 科学者の側でいえば、日本の科学はリスク分析という視点で組織されてきていません。食に関してどういうリスクがあるかについて、科学者としてあるいは科学としての合意はまったくできていないと思います。そして、そういうことについて責任をもてる科学者がいるとは私は思えません。しかも、市民社会に、そういう科学に、科学者に食の安全判断を付託するという合意ができているとも思えません。
 欧州でも、これは固定的なシステムではなく緊急対策として組みたてているという認識があります。だから食品安全委員会ができたらすぐにリスク評価をするという対応ではなく、十分に時間をかけて、食の安全という概念はどういうものであるのかということを、科学者も国民も含めた討論を組織するとか、そういうプロセスがあって、その上で食の安全はどうなのかを考えるべきだと思います。

 日和佐 非常に鋭い指摘だと思いますね。

 中島 現在の食品安全委員会の視点は食べ物の安全性であって、食のシステム全体を見直すような専門家をボードメンバーに集めるようにはなっていません。委員会ができることは賛成ですが、これで終わりということではなくて、これを1つのトライアルとして、もう少し大きなシステム構築に向かって進むべきではないかと思いますね。

 日和佐 まったく賛成です。食品安全委員会はリスク評価をすることがメインの仕事という位置づけになってしまっていますね。私もそれは問題だと思い、食に対する総合的な政策を議論するところでなければいけないとずいぶん主張したのですが、「リスク評価イコール食品安全政策」という考えがあり、認識がずいぶん違いましたね。

 根岸 食の安全問題の背景には、日本農業の衰退や自給率が低下してきたなかで、日本企業による開発輸入によって海外から農産物が入ってくることも大きな要因だという認識が法制定の関係者にはないように思いますね。食の安全を高めることと、健全な農業が国内で営まれていることとは表裏一体だと位置づけた上で、狭義の安全性確保の問題と現在の食システム全体を視野に入れた広義の安全問題を考えていかないと、安全なら外国産でもいいではないかとなってしまいますね。

 日和佐 総合的に食の安全を考えるところがないんですよ。

 中島 いま始まっている食のシステムの見直しを中断したり頓挫させることはまずいと思いますが、もっと本格的に国民的な課題として、検討したり試行錯誤していかなければいけないと思います。これは国にお願いするのではなく、市民社会の側から、問題をきちんと認識して行政のあり方をコントロールしていくようにしたらいいのではないかと思いますね。

◆経済性よりも人の暮らしを優先
  ―安全性にマイナスな生産はやめる

 根岸 そのときに協同組合が果たすべき役割はなんですか。まず、農協については・・・。

 中島 農協も20世紀的な食のトータルシステムの重要な担い手として、農業産業システムの重要な担い手としての農協になっていて、食べ物を生産する農業協同組合でも、農村で生活する生活者のための地域協同組合でもなかった。20世紀的なシステムが社会的にも経済的にも崩れるなかで、農協という存在意義も非常に激しく問われてきていますから、農協のあり方をかなり抜本的に見直していかないといけないと思います。そのときに、農場から食卓までのトータルシステムの厳しい見直しを、自らの仕事として取組んでいけるのか。そして、農村で暮らしている生活者は、どのような暮らしをつくっていきたいと思っているのか、そのこともきちんと提起して、農村生活者・組合員の間で考えていくべきではないかと思います。

 根岸 具体的にいうと・・・。

 中島 すでにJAグループがいっているように、食べ物には安全性が不可欠ですから、農業生産において安全性を第一に考え、安全性にとってマイナスな経済性はやめるということです。もう1つは、安全性と同時に農業に期待されている環境を第一に考えることです。さらに農業に対して期待されているのは、文化とかソフトに関わる機能ですから、文化を大事にする農業をし、文化を大事にしない農業はやめるということです。これはすでに掲げられていることですから、それを国民的な検討に耐えられる水準できちんと実行することですよ。
 この間の食品不祥事には農協が関わっていた問題もあり、スローガンは掲げてきたが実際にはやってこなかったではないかという批判があります。これは深刻な問題で、スローガンを降ろすのか、実態を改めるのかを問われているわけです。実態を改めるというのは、不祥事が起こらないようにするだけではなく、従来、農協組織が進めてきた事業の体質に問題を起こす要因があったのだから、その体質を改めるというところまで踏み込むということです。

◆女性部の活動をJA内部で組織的に位置づけることから

 

 根岸 生産者も究極の目的は「健康で心ゆたかな暮らし」で、そのために農業を営んでいる生活者であるわけですから、JAは農村で暮らす生活者の協同組合という視点で事業や活動を展開するということですね。真の意味での生活の豊かさをつくる協同組合に転換できるか否かが問われているわけですね。

 中島 いま子どもたちに農業・農村の優れた文化を継承させたいということで食農教育ということがいわれていますが、これを見てみると、現在、普通に行われている農業を子どもたちに見てもらうのではなく、一時代前の農業を理解してもらいたいという形になっています。これはどこか変で、戦後の日本の農村や農協は誇ることができるような農業文化、農村文化をつくってこなかったことになりますね。そのことは深く反省すべきだと思います。
 ただし、農村には誇るべき文化の根拠は残っています。美味しい野菜や漬物をはじめ美味しい食文化があります。それはお年寄りの文化になっていますが、そういうものの価値を振り返りながら現実の普通の生活のなかに取り戻していくことにこそ、農協はイニシアティブを発揮すべきではないでしょうか。

 根岸 経済性や、生産性を重視するだけではなくて、地域や人の暮らしを重視した協同組合としての役割ですね・・・。

 中島 それは、JA女性部がずっといってきたことですし、取り組んできたことです。都市との交流にも取り組んできています。しかし、女性部の活動がJA内部で組織的に位置づけられず事業運営の根幹に据わらなかったことを、JAの中核を担ってきた男性たちは深く反省すべきだと思いますね。

 根岸 JAの運営も行政ルールではなく市民社会ルールに移行しなければいけないですね。

 日和佐 農協は統轄したり指導するだけではなく、自立した生産者を育てることに力を注いで欲しいと思います。いま生産者が農協の主人公になっていませんね。生産者が自立して、自分の意見をいえば、自分たちの農協、自分たちが運営している農協になると思います。それが、本来の姿なわけですからね。

 根岸 安心・安全な食料を提供する組織となるために、農協は歴史的な体質転換を迫られているということですね。

 中島 日本の農村にくまなく協同組合組織が存在していることは、これからのことを考えるうえで、1つの基盤だと思います。もし、農村に協同組合がなければ、消費者は誰を相手にしたらいいのか分からなくなってしまいます。しかし、農協については、市民社会はそれを協同組合セクターとして考えていいのかどうか、重大な疑いを持ちはじめています。一般的な論調は、農協はすでに企業システム化しており、協同組合セクターではないという議論が優勢だと思いますから、農協は深刻に問題を受け止めて、決意を新たにすべきですね。

◆生活者として自立した組合員をいかに育成していくのか

 根岸 消費者の組織である生協も偽装表示などに関わったわけですが、その要因と安全な食べ物を供給する役割を果たしていく上での課題としてはどのようなことがありますか。

 日和佐 組織が大きくなり、流通業的な色彩を強くもたざるをえなくなったことによる悲劇かなと思います。そういう意味では、生協も協同組合として見直していかなければいけないと思いますね。特に、共同購入の商品アイテムが非常に増えていて、なかでも加工食品が増えています。暮らしの実態を反映している結果だといえますが、日本の食をどうするかを、もう1回みんなで語り合う必要があると思います。日本では、スーパーへ行くとものすごい数があって、消費者の選択の基準が見えません。これは生協も一緒で、もう少し消費者の選択が見えるような市場になって欲しいですね。

 根岸 本当に「豊かな食」とは、「安全な食」とは何かを考えて、的確に選択できる知識をもつ消費者を増やしていくことが大事ですね。そうでないと売る側の企業に引っ張られてしまい、結果として輸入農産物が入ってくるという構図になってしまう・・・。

 中島 食システムの成長力は、基本的には最終消費のマーケットにあると思います。供給側がコマーシャルベースで商品提供し、それを消費者が積極的に受け止めているわけです。こうした状況に協同組合がどうメスをいれていくのか。そして、流通における協同組合事業体としてよい仕事をしていく。この2つの仕事が生協には求められているわけです。そして、協同組合事業体としての活動が、激しい競争のなかで、とりあえず競争に負けないための施策をとっているけれども、必ずしもそれに成功していないことを自覚すべきですね。生協も消費者の協同組合という側面と協同組合事業体という側面があり、その双方で新しい時代に応えることができるのかと問われていると思います。

 根岸 生協も、顧客ではなくて、的確な選択力をもつ自立した組合員をいかに育て、増やすかが重要になっているわけですね。

 中島 食の安全について基本的に行政が責任を持つべきだとは思います。しかし、暮らしの問題は根本的には市民社会の自己責任の問題だと思います。市民が生活者として自立し、必要な情報はとり、自分たちで選択し、きちんとした仕組みづくりをし、マーケットも作り替えるということを市民社会が考えなければ、20世紀が残した負債は処理できないと思いますね。

◆女性のパワーでJA改革を
  ―大胆な発想と行動力で

 

 根岸 農村女性たちは「金にはならない」といわれながら、直売所とか地産地消運動に取り組んできたわけですが、この運動はイタリアのスローフード運動に比べても、豊かさ・深さ・広がりにおいて勝る素晴らしいものだと思います。

 日和佐 中山間地域活性化のための活動に関わっていますが、素晴らしいと思うのは女性たちですね。地域が活性するのは、よそ者と若者と女性だといいますが、それを実感します。発想がいままでのことに捉われなくてすごくいいんです。そして行動力と大胆さがあります。そのエネルギーに感動しますね。

 根岸 農水省の調査では食や農にもとづく仕事おこしに取り組む女性グループが7300あります。この人たちは、自分たちの暮らし方を含めてスローライフを体現していると思いますが、そういう農村女性と都市部の生協の女性との日常的なネットワークができないかなと思いますね。

 中島 国は産業として農業が自立するようにと農業育成をはかってきましたが、これは事実上惨憺たる状況にあると思いますが、農村女性の活動だけは非常に活発化しています。彼女たちは、農業も地域も暮らしとして考えています。暮らしとして農業や地域を考える考え方がいま活力があり、産業として考える考え方は非常に生きにくくなっているわけです。
 そして、自分たち自身の生きがいや成長を実感しながら、よりよく生きる道を求めて活動しています。21世紀は生活をすることが、よりよく生きることと結びつくのが夢であって、そのことを部分的に実現していると思います。この想いは生協の女性たちも同じだと思いますので、提携をされつつ、男性を啓発していただきたいと思います。

 根岸 自立した女性が、農協や農業のさまざまな面で参画することが必要ですね。

 日和佐 農協の集会に行くとほとんど男性ですね。

 中島 地域では女性が大活躍しているのに、広い立場で見ると農村女性のNGOはどこにあるのかという感じですね。農村女性の活動が地域的な活動だけに終わるのではなく、全国的な問題での活動や提言ができるような自立的なNGOになっていくことは大事な課題ですね。

 日和佐 JAの全国組織の中枢の半分は女性でいいと思います。日本生協連もそうだったんですが、改革されたんです。JA改革はまずそこからだと思います。

 根岸 農協の体質を変えるには、新しい発想をする人を意志決定の場に入れなければいけないと思いますが、そうなればこれまでこうした場から排除されていた女性しかいませんね。農村女性は自信をもって、参画をしていって欲しいですし、JAも女性パワーがなければこれからのJAは存続できないという気持ちで臨んでいただきたいと思います。


座談会を終えて

 「食の安全性」問題にどう対応するかは農業・JAへの信頼や将来に関わること、従って、対症療法ではなく、暮らしを重視するJAへの体質転換が迫られていることをお二人は共通して指摘された。JAはこれを真摯に受け止めなければならないだろう。さらに、食のグローバル化が進んでいる現在、巨大化した食システムそのものの見直しや、食と農を接近させる取り組みの重要性にも触れているが、それは生産者・消費者双方の協同組合が健全に発展していく上でも欠かせない課題になってきているという。その意味で、今は、あるべき食と農を紡いでいくチャンスでもあろう。
 その中心的役割を担い得る女性たちが農業・農村の現場には「キラ星」のごとく存在することを指摘されている点も共通している。このことをJAトップは認識し、「女性への期待」を単にリップサービスに留めるのではなく、現実の舞台を用意してほしい。それなくしてJAと農業の未来はないのだから。(根岸)



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