◆グリーンツーリズムの原点
白神の森の散策を都会人に
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小坂さん
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世界自然遺産の原生のブナの森がひろがる秋田・青森県境の白神山地。その山麓の秋田県山本郡藤里(ふじさと)町は、人口4500人ほどの小さな農山村だ。
1昨年4月に設立された「白神山地きみまち舎」は、大人数の団体ツアー客ではなく、自然と共生し、自然をいたわるグリーンツーリズムやエコツーリズムの原点ともいうべき森の散策や農作業体験など、あくまでも少人数客の要望に沿った旅行企画を手がける。いわば、手づくりの旅行社だ。
たった1人で旅行社を立ち上げた小坂球実さん(41)は、白神のブナの森の大自然や、山麓の里の暮らしを経験し、往還する都市の人々との交流を続けている。これまで「白神山地きみまち舎」の企画で100人以上が訪れたが、四季ごとにやってくる旅行者もいるほどだ。
小坂さんは、県北の藤里町から遠い県南の羽後町出身。長い東京生活の後、白神山地の保護運動にかかわる地元の人々と交流を深め、3年前に藤里町に住むことを決心した。
じつは、2000年7月から2002年7月まで本紙に2年間にわたって連載された「手のひらの伝記」の主人公の「球菜さん」のモデルが、小坂さんだ。「球実さん」が「球菜さん」になっただけのことである。連載では、「球菜さん」は大都会の出身者として描かれているが、そうした点を除けば、内容はすべて実話であり、白神山地の山麓社会からの現場報告と言っていい。
◆天寿をまっとうさせたい
グレートマザー「たきこ」
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天寿をまっとうしたグレートマザー「たきこ」
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「秋田自然を守る少年団」の結成25周年を記念して、こどもたちの自然保護活動のために基金をつくろうと、「白神山地カレンダー」4000部を製作し、1部1000円でたちまち完売してしまった「球菜さん」は、小坂さんその人なのだ。連載のその後の展開も、実際にあった話だ。
たとえば、「廃用牛」となる運命にあった老牛「たきこ」のことを記憶されている読者もいるだろう。小坂さんの近所で飼われていた老齢の母牛だ。子牛を産めなくなったたきこが食用出荷されるのはしのびない、と小坂さんは飼い主に相談をもちかけた。老後のエサ代に見合う「たきこ基金」をつくるので、食用出荷しないでほしいと。
小坂さんはたきこの写真でポストカードを製作して、1枚100円で売ったり、たきこの牛糞堆肥で土づくりをした田んぼのコメを「たきこ米」として売るために、会員を募って活動を開始した。
子牛を産めなくなった老齢の母牛が天寿を全(まっと)うできるように「たきこ基金」にご協力ください。――そんな記事が、たきこの写真付きで新聞の家庭欄に大きく掲載され、全国に報道された。小坂さんが東京まで出かけていき、東奔西走した結果だった。
その日、朝の7時頃から「白神山地きみまち舎」の電話が鳴り始めた。電話は昼になっても、夜になっても鳴りやまなかった。結局その日は、全国から150件もの問い合わせがあったという。
いずれも「たきこに天寿を全うさせてほしい」「たきこを殺さないでほしい」という支援の声だった。「たきこ基金」への協力の申し出は、翌日も翌々日も電話が鳴り続け、3日間で300件を超えてしまった。新聞記事を読んだ翌日、わざわざ基金へのカンパを持参して、埼玉県から電車を乗り継ぎ、たきこに会うために小坂さんのもとを訪ねてきた女性もいたという。
昨年春の「たきこ基金」の話題は、この地域を明るくした。生き延びることになった老牛に会いにくる人々に、小坂さんはこう語った。
「たきこはこれまで10頭の子牛を産んできました。人間で言えば“明治の女”という年齢ですが、芯がつよく、心はやさしい、グレートマザーなんです。用済みだからといって邪魔者扱いにしたり、殺したりしないで、生きていてくれてありがとうという気持ちで、心おだやかに天寿を全うさせる道はいくらでもあると思うんです」
◆古い民家を買い取り
農村、農業の価値伝える
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小坂さんが買い取った民家。ここで民宿を始めた。
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昨年は小坂さんにとって忙しい1年だった。借家と畑地を貸してくれていた温泉宿の老主人が亡くなった。老主人はいつも、「よそ者」の小坂さんを励まして、こう言っていた。
「田舎ではどんな人でも、自分の土地と自分の家というカマドを持たないと一人前とは認めてもらえないんだよ。だから、1年でも早く自分のカマドを持てるように頑張りなさい」
そこで心機一転、小坂さんは東京時代から転々としていた借家住まいに終止符を打つことを決意した。引越し先は、白神山地から流れてくる藤琴(ふじこと)川のほとりに建つ古くて大きな民家だった。
小坂さんは地元の知り合いで、引退していた大工の棟梁をひっぱり出した。現役時代は神社や仏閣も建てたという棟梁だった。何度も現場へ車でつれていき、古民家の床下までもぐっていってもらい、修繕の可能性をさぐってもらったところ、必要な手入れをほどこせば、あと50年はもつという見立てだった。
建坪が90坪近い。とにかくでかい総二階づくりの木造家屋だ。築60年近いというから、いまとなっては夢物語である天然秋田杉の全盛時代をほうふつとさせる。土間があり、薪ストーヴと囲炉裏がある。勝手口の方には牛舎の跡も残っていた。納屋の天井は吹き抜けになっており、屋根裏の構造がむき出しのまま黒光りしていた。
誰が見ても、女ひとりが住むにはあまりにも広すぎるのだが、小坂さんには夢があった。古民家を昔のままに修繕して、将来は農家民宿をいとなみ、グリーンツーリズムやエコツーリズムの拠点にしようというのだ。
◆命ってもったいない
田んぼや里山で学ぶこと
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古民家を利用した民宿「森のかぞく」。東京からの宿泊客とともに。
左から2人めが小坂さん。右端が簾内氏。 |
小坂さんは昨年4月、この古民家を買った。5月から修繕作業にとりかかり、地元の製材屋、大工、建具屋、畳屋といった職人たち、また東京時代の友人である女性建築設計士、そして地元の大勢の人々のボランティア活動の労力提供によって、7カ月にわたる再生事業はなしとげられた。小坂さんは、こうして再生されたこの古民家を「森のかぞく」と名付けた。
囲炉裏の炭火で郷土料理のキリタンポを焼きながら、小坂さんは言う。
「私って、ホタルやトンボのような小さいものや弱いものでも、生命(いのち)ってもったいないって思うんです。減反されている棚田でも、何とかしたいって思ってしまう。自然も生命も循環しているんだから、再生させる努力をしなければ。だから、循環型の農的暮らしって、とても大切なことを私たちに教え導いてくれているんだなって思うんです」
「森のかぞく」の再生がなしとげられて間もない12月2日、たきこが17歳10カ月の天寿を全うして、息をひきとった。小坂さんは牛舎に寝泊まりして、たきこの傍らでその末期をみとった。
「思い出の森」とは、小坂さんが勝手に名付けた55ヘクタールほどもある山林だ。起伏のある道を歩いていると、ばったりカモシカと出会ったりもする。春になると山桜の花が咲き乱れ、湿地ではミズバショウが白い花を咲かせる。水辺では稀少種のモリアオガエルが産卵し、サンショウウオも棲息している。山林全体が沸石(ふっせき)とも呼ばれるゼオライトの岩盤に覆われているから、湧水が浄化されているのだ。頂上にのぼると、白神山地がみごとに眺望できる。そういう里山はこのあたりでも珍しい。
その55ヘクタールの山林を売り払うという話があったのは、昨年の春だ。「白神山地きみまち舎」では、ブナ原生林にやってくる旅行客のために、里山も案内しているが、そこを「思い出の森」と名付けるほど魅力を感じている小坂さんは、山主に掛け合った。売り払うのも、伐り払うのも、考え直してほしいと。「思い出の森」の景観をそのまま保全してほしいというわけだ。100年でも200年でも・・・・。
◆「桃源郷」づくりに向けて
世界自然遺産の地だからこそ
小坂さんがいま考えていることは、鳥獣保護区でもあるこの森を、自然葬や樹木葬ができる“聖域”としたいということだ。そのことによって、里山保全にもつながる。世界自然遺産の白神山地を眺望する里山で、山川草木とともに眠ることができる“桃源郷づくり”とでもいうべきスケールの大きい構想を、小坂さんはいま、仲間たちと準備中だ。 簾内敬司
(連絡先)
白神山地きみまち舎=秋田県山本郡藤里町藤琴田中107-5 電話・FAX=0185-79-2282〉
◎本紙に連載された簾内敬司さんの「手のひらの伝記」が『友だちの木の下で―白神 ブナの森から吹く風』と改題して刊行されます。(予価1700円、四六判272頁、3月初旬刊行 発行元・新宿書房)