1999年12月初めに米国・シアトルで開かれたWTO(世界貿易機関)の閣僚交渉がなんのとりまとめもできず散会せざるを得なかったことは、多くの人の予想を超えたものであった。しかしここから教訓として得るところは多々ある。国際関係の枠組みとしては、WTO以外に多くの国際機関があり、国連は5常任理事国に拒否権を持たせた安全保障理事会という異質の機関をもつとはいえ、基本は1国1票制度である。財産や出身に関わりなく、1人1票の平等な権利を成人に保証する選挙制度を政治の民主主義と呼ぶならば、1国1票制度は国際機関における政治の民主主義といえよう。
しかし同じ国際機関であるIMF(国際通貨基金)は、1国1票ではなく出資金の大きさに応じた投票権を持つ国々による投票である。ときに株式会社は現代の経営組織の代表的なものだが、株式会社の最高意志決定機関である株主総会での投票権は、保有株式の大きさに比例する。これを経済の民主主義というならば、経済関係の国際機関は経済の民主主義を取るものが多く、国連とは仕組みが異なることになる。
さてWTOはどうか。最終決定の原則は、1国1票の政治の民主主義となっているはずである。しかしWTOの発足を決めたガット・ウルグアイラウンド交渉は、貿易量の大きい貿易大国によって主導され、米国とEU(ヨーロッパ連合)の「密室」協議による案が最終案になってきた経緯がある。多くの国がその結論に反発しながら、最終ラウンドに来ていることをもって、受け入れざるを得なかったという不満が残っていた。シアトルも特定の大国間協議が先行し、それで物事が決まるかのように交渉が進んで、あたかも経済の民主主義かのような流れであったわけである。WTOが扱うのは経済問題が主だから、他の経済にかかわる国際機関のように、大国のみで決定できるかのように先進国は振る舞ったのである。これに対して途上国が強く反発した。交渉の仕方やまとめ方そのものに強く反対したのである。これが閣僚交渉のとりまとめに失敗した大きな原因の1つであるである。
今後、政治の民主主義と経済の民主主義とを、世界の動きの中でどう考え、どう折り合いを付けるか、難しい課題が我々の前に突きつけられている。米国は経済力や国力を反映できるような国際機関なり国際機構への改変に関心が向かっているようにみえ、自らの国益と意志を反映させることに意を注いでいるようにみえる。一方、これに対抗して地域的な関係を結び、グローバル化にはリージョナル化で迎え撃つ動きが、EUを筆頭に世界の各地域にみられる。単純なグローバル化のみで世界の動きを規定できない。
途上国は自国の発展のために、先進国に有利な自由貿易論をそのまま取り入れることはせず、途上国産品への優遇措置を求め、先進国に有利な知的所有権や特許についての保護をそのままは認めず、途上国への開放を求めてくるものと思われる。
外交交渉はその意味で多数派工作である。多数派工作には色々な外交戦術があり、捕鯨に関わる国際会議に漁業や海に直接関係を持たない多くの途上国が加わっていて反捕鯨派に組みしていることはようやく世間に知られるところとなった。
日本はODA(政府開発援助)実績の推移でこの8年間世界のトップを占めているが、しかし、この実績が外交交渉に大きく役立っているとはいえない。ようやく「政府開発援助に関する中期政策」(平成12年閣議報告)で、「ODAと我が国の外交政策や国益に関わる重要な政策との間の連携を図っていく」と述べられるようになった。途上国はWTO加盟国の4分の3を占めていて、この約100カ国の動きは重要である。とりわけ、日本のODAの主たる対象となっているアジアの途上国の動きに我々は注目すべきであろう。
そして、日本が主張する農業の多面的機能は、アジア・モンスーン地域の稲作国にかなり共通するものがあるとみられる。農業の多面的機能は、公共財や外部経済の側面がある。対価を支払わずに利益を享受することを排除できないような性質である非排除性をもち、かつ追加的な消費があっても従前の消費に否定的な影響を与えない性質である非競合性を持つものが公共財であるが、農業が提供する正の外部経済(ある行為が他に影響を与えるものの、その対価は金額で支払われることはなく――環境保全に役立つような正の外部経済、また行為者が支払うこともない――「公害」のような負の外部経済)に着目するならば、公共財の性格を有している産業といってよいであろう。国土の保全、水源の涵養、自然環境の保全、良好な景観の形成といった、環境保全は正の外部経済という性格が強い。さらには広く文化の伝承、保健休養、地域社会の維持活性化といったことや安全保障にまで範囲を広げてよいかもしれない。
たしかに多面的機能フレンズ国(農業の多面的機能に理解を示す国)はアジア以外の国が多い。だが、こうした非貿易的関心事項としての農業の多面的機能は、努力次第でアジアの途上国の関心をより引きつけられるものであろう。
輸出国の共通利益を代表しているといわれるケアンズグループも、それに含まれる途上国15カ国があり、オーストラリア等の先進・輸出国と違い、食料輸入に依存している面もある。食料増産のための国内補助金の役割を認めたり、輸入側の負担を軽減する輸出補助金や食料援助を評価する国なども混在しているのである。
ミニマムアクセスの提供義務や国内支持の補助金をめぐり、議論がこれから行われるだろうが、関税の一律引き下げ適用の是非なども含めて、日本の立場と共通する国の拡大を図るべきであろう。
安全保障の観点から、食料と農業に関わって、非貿易的関心事項の重要性を強調する国がかなりあることも念頭に置いておきたい。自国農業の生産力が弱く、そのため輸入に依存せざるを得ないものの外貨の蓄積がない途上国にとって、なんとしてでも自国農業の生産力の引き上げに関心が強いのは当然であろう。そのために日本からのODAなり農業への技術指導等への期待は強く、そのために必要以上の外国農産物が流入し自国農業の生産基盤が崩されては困る。それは安全保障上の問題として強く認識されているのであり、この点で日本の貿易交渉に関わる主張点が共通するところが多い。
3.地域貿易協定の提案と先進国・開発途上国との連携
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だが、こうした主張は途上国のみに適用されるべきで、日本のような先進国とは事情が違うといわれる恐れもある。
というのは、WTO協定では開発途上国に対し協定上の義務の緩和や除外を認めているので、それが認められていない先進国の日本とは事情が異なるといわれかねないからである。農業面での関税等をWTOに示す譲許表において、約100カ国の途上国は削減義務の緩和措置を認められており、この先進国と途上国との違いはむしろ拡大すべきで、日本とは共通点は少ない、あるいは立場が逆だといわれかねない。日本国内での競争力が弱い農産物は途上国と共通するものがあるとしても、日本全体は先進国なのだから、農産物だけを別に取り上げることに対する途上国の違和感があるかもしれない。
そして、日本は先進国として開発途上国から輸入される産品に対し、一般の国から輸入される産品に適用する関税率(最恵国待遇税率)に比べて特別に低い関税率適用という特恵関税制度を適用しているが、その拡充をむしろ求められている。さらには日本という市場へのアクセスの改善も求められており、日本政府も後発開発途上国に対して市場アクセスの改善と技術援助に積極的に取り組むことを表明している。
さて、そういう状況のなかで途上国との関係をどうするか。その1つの解決の方向として、地域貿易協定の締結という方法があろう。
世界貿易に占める主な地域貿易協定の割合はすでに大きく、EUとNAFTA(北米自由貿易協定)はそれぞれ1998年の世界の輸出額の41%、19%、輸入額の40%、23%を占めていて、両者を合わせると6割を超えることになる。加盟国以外の国に対しては各加盟国の関税等の貿易条件は変更せずそのままにしておいて、加盟国同士の貿易についてのみ原則として関税撤廃等の優遇条件を相互に与える自由貿易協定と、域内の関税撤廃は同様だが加盟国は域外国に対して共通の関税を設定するなど加盟国全体として貿易政策の統一化を図る関税同盟、の二者が地域貿易協定にはある。
EUは域内の貿易について関税その他の通商制限をすべて撤廃した関税同盟であるが、同時に域外の国と自由貿易協定を締結している。加盟を申請している国とは先に自由貿易協定を結ぶやり方なのである。NAFTAは1994年に発足したが、加盟国の外に対しては関税・非関税の国境措置は維持しつつ、加盟国間の国境措置を15年間かけて段階的に撤廃することになっている。
いずれにしろ、この2つ以外にも多数の地域貿易協定が結ばれていて、参加していない国は珍しい。日本、韓国、モンゴル、香港、マカオ、パナマがそれであり、WTOに参加しておらず地域貿易協定にも参加していない国は、中国、台湾である。しかも大事なことは、こうした地域貿易協定の多くは関税撤廃の原則が地域貿易協定とはいえ、多数の農水産品の関税撤廃例外品目があることを知っておきたい。ということは、非農産物の分野における資本投下や貿易の拡大を望みながらも、農水産物を例外扱いできるよう農業の多面的機能について同意を得ながら、アジアの途上国との地域貿易協定を模索することが十分に考えられるのである。
今のところ自由貿易協定が現実的であり、関税同盟のように域外に統一した貿易政策を取る地域共同体をアジアで想定することは困難であろう。自由貿易協定として域内の貿易拡大や経済の改革などを促進させる効果があるから、農業の問題を置くことで協定の可能性を探るのが現実的である。ただしこの場合、資金協力のようなバックアップ体制が必要であると同様に、農業の場合はそうした国際機関がないので、技術援助だけではなく農産物のストックや非常時の物的支援が可能な機関を構想する必要があろう。
今回の一般セーフガード導入を、自由貿易論の単純適用から問題視して終わりとする批判が多い。だが洪水的輸入を制限する協定上の手段であり、WTO加盟国はパネルに訴えることは可能でもその間は対抗措置をとれない。また導入をいわない限り、相手国に秩序だった輸出を求める交渉はまとまらないだろうから使わざるを得ない。中国も加盟するとなると、従来の報復関税はとれないから、水面下での交渉を継続せざるを得ないであろう。
その場合、参考になるのは韓国と中国との間のニンニクをめぐる同様の問題の経緯であり、妥協に至った点である。関税割当の量の問題として決着した、韓国・中国方式かあるいは中国の輸出自主規制に落ち着かざるを得ないであろう。
だが、批判に共通する問題はそこにあるのではなく、新たな国際関係での日本の戦略が問われているのに導入の可否のみ問題とする視野の狭さである。
今や、資本投下や貿易の拡大を目指しつつ、農水産物を例外扱いできるよう農業の多面的機能や食料供給での安全保障上の問題について同意を得ながら、アジアの途上国と地域貿易協定を求める戦略を日本がとる時期に来ているのではないか。恐らく米国は反対するだろうが、アジア内での経済依存度の深まりや政治的安定を求めるとすると、全方位的で実際は米国をターゲットとした自由貿易を輸出の立場からのみ求める従来の戦略を、転換すべき段階に来ていると思われる。セーフガードはそれに至る過程上の問題であろう。工夫は要る。特に途上国に対して資金援助と同様、技術援助プラス農産物の国際備蓄や非常時の食料支援が可能な仕組みを構想する必要があろう。さらに言えば、飼料穀物等農産物の輸入契約を国として進め、米国以外の供給先を確保することで、安全保障とともにアジアとの農業面での棲み分けも期待したいのである。