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まつなか・しょういち 昭和2年三重県生まれ。昭和20年海軍兵学校卒業。27年大阪大学工学部発酵工学科卒業。30年同大学院修了、農業技術研究所生理遺伝部研究員、39年同生理遺伝部生理第2研究室長、40年同生理第6研究室長、53年神戸大学農学部教授、平成3年関西大学工学部教授、10年退職。農学博士、(財)関西グリーン研究所技術顧問。著書に『新農薬学』(ソフトサイエンス社)、『きらわれものの草の話』(岩波書店)、『農薬のおはなし』(日本規格協会)、『日本における農薬の歴史』(学会出版センター)など。 |
◆戦後の食料増産に大きな貢献
梶井 無登録農薬問題や輸入野菜から基準値を超える残留農薬が検出されたことなどから、農薬取締法が大きく改正されました。しかし、農薬の意義はあまり理解されず農薬を使うことそのものへの風当たりが強いという状況だと思います。
私は戦後日本の食糧生産力を高めるのに農薬が果たした役割は絶大なものがあったと思います。もちろん反面でいろいろな問題を起こしたことは確かです。たとえば、DDTやBHCなどは効果は非常に高かったんですが、後になってたとえば発癌性や催奇性の問題などが分かってきて、しかもなかなか分解せず土壌中にいつまでも残るというような問題もありました。
それでずいぶん農薬のイメージは悪くなったわけですが、そういう経験を経て農薬自体がずいぶん変わってきているし、低毒性のものや、また、農薬の使用回数を増やさないように、さまざまなかたちでの総合的な防除を工夫したりしています。ところが、それをあまり知らなくて、たとえば、残留農薬が検出された、というと昔のイメージのままに消費者が問題にするという傾向もあると思います。
今日は歴史的な開発経過も含めて現在の農薬とはどういうものであるのか、お聞かせいただければ思っています。
松中 実際に頭から農薬は悪いという人が非常に多いですね。戦後の農業生産にとっては、農薬以外にも品種改良や農地改良、栽培方法、もっと遡れば農地改革も大きく影響したと思いますが、農薬の必要性もはっきりしていると思います。
たとえば、米の反当り収量は100年間で倍以上になっているわけですが、そのなかでも、化学肥料と化学的な農薬の貢献は非常に大きいと思っています。
これまでに農薬がどれだけ役に立っているかを示すさまざまな試験が行われています。たとえば、農薬を散布した田んぼと散布しない田んぼのそれぞれで害虫の数を比較したり、あるいは病気の斑点が多いか少ないか、などを調べます。また、除草剤では1平方メートル程度の広さで、散布した場合と散布しなかった場合で残存雑草の数量を比較します。こういう方法で農薬の効果を実証してきたわけですが、さらに収量への影響までみるという研究も行われています。
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かじい・いそし 大正15年新潟県生まれ。昭和25年東京大学農学部卒業。39年鹿児島大学農学部助教授、42年同大学教授、46年東京農工大学教授、平成2年定年退官、7年東京農工大学学長。14年東京農工大名誉教授。著書に『梶井功著作集』(筑波書房)など。 |
◆使用しなければ収量は大きく減る――農薬の効果
松中 (社)日本植物防疫協会が各地の農業試験場などと協力して行った比較試験で、たとえば、米では農薬を使用しないと3割近く減収しますし、キャベツやキュウリなどは6割、リンゴなど果樹は100%近く減収になることが明らかになりました。これは農薬の必要性を示す試験としてはかなり決定的なデータです(表1)。
それから、農薬というのは衛生害虫の駆除にも役立っていますね。DDTはいろいろ問題がありましたが、たとえば、マラリア蚊の防除には非常に貢献したことは揺るがせにすることはできないと思います。これも農薬のプラス面です。
梶井 そうした農薬のプラス面がある一方、毒性も問題になりましたね。どのように対処してきたのでしょうか。
松中 戦後まもなくは有機リン剤のパラチオン(ホリドール)が使われていましたが、かなり急性毒性が強かったわけですね。
ここで急性毒性試験について、少し詳しく話しておきたいと思います。
普通はネズミを使いますが、その試験動物の半数が死に至る量(mg)を求めて、それを体重(kg)で割った値をLD50値(mg/kg)と呼んでいます。この値が小さいほうが急性毒性が強く、大きいほうが低いということになります。
これをひとつの目安にして農薬の毒性を規定しています。その規定にしたがって農薬を毒性が強いものから順に「毒物」、「劇物」、そしてこれは正規の名前ではありませんがそれより毒性の低いものを「普通物」としています。また、「毒物」の上にはさらに毒性の強いものとして「特定毒物」というものもあります。これには農薬登録されているものは2つしかありませんが、普通の農家では使えず、取り扱いについての試験などを終えた人しか使用できません。
「毒物」というのは、LD50値が30mg/kg以下。たとえば、パラチオンは9〜13mg/kgですから、明らかに毒物ということになるわけです。そして、LD50値が300mg/kg〜30mg/kgのものが「劇物」で、300mg/kg以上のものを「普通物」としています。
◆「普通物」が主流の現在の農薬――農薬の毒性
松中 農薬の歴史をみますと、たしかにかつてはこのLD50値が非常に小さかった。つまり、毒性の強いものが多かったわけです。
1971年をみますと、農薬全体のLD50値の平均は1819mg/kgでした。殺虫剤は442mg/kg、殺菌剤は3606mg/kg、除草剤は2770mg/kgです(表2)。
ところが、1997年になりますと、農薬全体の平均で3434mg/kgとLD50値は大きくなる。つまり、毒性が低くなっているのです。種類別にみると殺虫剤は1782mmg/kg、殺菌剤は5419mg/kg、除草剤は3857mg/kgとなっています。
これを先ほどお話した毒物、劇物、普通物の分類でみると、1999年には、殺虫剤は毒物が1.1%、劇物が46.4%、普通物が52.4%です。殺菌剤では毒物が0.04%、劇物が13.6%、普通物が86.4%です。さらに除草剤になると、毒物が2.0%、劇物が2.6%で普通物が95.4%を占めています。除草剤で毒物が2.0%なのは、パラコートが劇物から毒物になったためですが、現在では使用しなくなりましたからもっと割合は低くなっています。
こうしたデータをみると、依然として殺虫剤は劇物が半分程度を占めるわけですから、やはり殺虫剤の管理などは非常に重要になるということが示されているといえます。殺虫剤は動物の神経を犯す薬剤が多く、したがって、人間にも影響するものが多いということですね。
現在は研究が進み人間の神経と昆虫の神経の違いを狙って殺虫作用が発揮されるタイプのものも開発されてきていますが、全体として農薬は安全になったといっても殺虫剤についてはまだ注意が必要ということだと思います。
ただ、この間、農薬の急性毒性は非常に低くなっていることは事実ですね。
梶井 農薬というとどうしても毒物と考えがちですが、現在は毒性も低くなり「普通物」のカテゴリーに入るものが多くなっているということはもっと知られる必要がありますね。
◆使用量もかつての1000分の1 ――農薬使用量の変遷
松中 それから、もうひとつ指摘しておきたいのが使用量です。使用量はとても減っています。
たとえば、1950年代に使用されていたPCPは原体にして1ヘクタールあたり10kg使ったんですね。それが現在では1ヘクタールあたり10g以下で効果のあるものも開発されています。1ヘクタールあたり10gということは、1平方メートルあたり1mgですね。非常に量は減って、かつてとくらべると1000分の1以下の量で効果があるようになったのです(図1)。
このように使用量が少なくてもいいということは、かなり毒性が強いのだろうと思われるかもしれませんが、毒性はさきほど紹介したように近年は弱くなっている。こういう点は農薬の歴史のなかでひとつの誇りにすべきことだと思っています。
つまり、現在の農薬は少ない使用量で効果を発揮するが、しかし、毒性は弱くなっているということです。これには昆虫や雑草そのものの研究が進んだためでもあります。
たとえば、除草剤の場合でも、やみくもに叩くのではなく、植物独特のポイントを絞って叩くというようになったわけですね。除草剤の場合であれば、光合成を阻害するというように。人間は光合成はできませんから、植物には効果があっても人間には無関係ということになります。
また、必須アミノ酸の合成を阻害するという考え方もあります。必須アミノ酸とは、人間にとって必要なアミノ酸ですが、人間は自分の体内でつくりだすことはできない。したがって、食物から必ず摂取しなければならないという意味で必須アミノ酸というわけですね。それを合成しているのは植物ですから、合成を阻害しても、光合成と同じようにその機能がない人間には無害ということになります。
先ほど紹介した1ヘクタールあたり10g程度の使用量で効果があるという農薬はこうした原理に着目して開発されたものです。だから、毒性も低く事故も減った。これは今、日本の田んぼの半分以上に使用されています。
殺菌剤でも菌そのものを殺すのではなくて、作物のほうを強くするという農薬もかなり出てきました。一種の免疫療法みたいなものですね。試験管内の実験では菌は死なないんです。ところが、ほ場で実験すると病害がでない。いもち病などはかなりこれで助かっているんですね。
メカニズムは、いもち菌が稲の葉の中に入るときにはメラニン色素を作ってその力で中に入るんですが、このメラニンの合成を阻害するというものです。だから、いもち菌が稲に侵入できないわけです。人間でいえば、自分の体のほうを強くして病気にならないようにするという免疫力をアップするような薬ともいえるわけです。
◆基準値超えた農産物はごくわずか――残留農薬分析
梶井 なるほど。農薬といえば、われわれは薬を使って菌や害虫をやっつけるもの、生物をやっつける毒物だから人間にも有害という観念しかないですが、菌や害虫には卓効があっても人間には無縁な機能をやっつける観点から開発されているという基礎的な知識も消費者に広めることも大切ですね。ところで、農薬の残留についてはどのような対応がなされているのでしょうか。
松中 残留については、今回の農薬取締法改正以前に確立していたことですが、慢性毒性試験を行うわけです。
ただ、急性毒性と違って慢性毒性というのは簡単には分からないわけで時間をかけた試験が必要になります。
試験としては、犬では10ヶ月、ネズミでは2年近くかけて毎日、毎日、農薬を与えて慢性毒性的な影響が出るかどうかを調べて、慢性毒性的な影響が出ないいちばん多い量を求めるわけです。これは最大無作用量とか、最大無毒性量といいますが、この量までなら慢性毒性としても影響がないというものです。
この最大無毒性量を求め、一方では、ある食品についてわれわれが毎日食べる量と照合して、たとえば、米なら米、大根なら大根について、どれだけまでなら残留していても大丈夫かを決めるわけです。これが残留農薬の基準値になります。そして、基準値を超えた食品は売ってはいけないことになっています。
基準値を超えたかどうかの検査は全国でかなりの量を分析していて、実は年間20万件前後の分析が行われています。食品の安全性確保のためにこれだけの仕事が行なわれているのだから、同じ国民の安全を守るということからすれば、極端な言い方ですが、自衛隊の要員を減らしてでも食品分析をする人を増やしてほしいと私は言っているんです。食品の安全性確保のためさまざまことが行われていることもあまり知られていませんが、分析を丹念に行うということは非常に重要なことです。
その分析の結果はどうかといえば、私としては安心をしています。というのは、年間これだけ膨大な量を分析しても、基準値を超えるものはほとんどないからです。
99年の調査では、国産の農産物で基準を超えたのは0.02%、輸入品でも0.03%ですね。
梶井 そういうデータを知ると、昨年、中国産の冷凍野菜から基準値を超える残留農薬が検出された例が頻発したわけですが、あれは異常なケースですか。
松中 そう思いますね。最近は改善されてきたようですが、日本の農薬取締法のような概念のない国ですから、農薬の使い方が適切ではなかった。しかし、安いからといってそういう国から輸入した。だから検査でひっかかるのは当たり前だ、という状況だったと思いますね。
国産の農産物に関しては安全性は確保されていると思います。基準値を超えたものは0.02%だったということを、多いとみるか、少ないとみるか、これは考え方の違いですが、この基準値はその農産物を毎日、毎日食べて問題になる数字だということを指摘しておきたいですね。つまり、たまたま基準値を超えた農産物があったといっても、実際に食べる量は少ないということです。
こういったことを考えると農薬を適正に使用されたものは、もう安心して食べていいということだと私は判断します。
◆「特定農薬」の問題点――改正農薬取締法をめぐって
梶井 ところで今回の農薬取締法改正で「特定農薬」という考え方が出てきましたね。これはどう理解すればいいのでしょうか。
松中 「特定農薬」は、安全性が明らかなものまで農薬登録を義務づける過剰な規制とならないように作られた仕組みだということですね。
その定義は「その原材料に照らし農作物等、人畜及び水産動植物に害が及ぼすおそれがないことが明らかなもの」となっていますが、では、一体だれがどのように害を及ぼさないと決めるのかということをめぐって大変な議論になったようです。かなり多くの候補が検討されましたが、今のところ、食酢、重曹、そしてその地域に生息している天敵生物の3つになりました。
ただ、いわゆる普通の農薬でも、今日お話したようにこれまでもきちんと毒性試験をやって安全性は確認されているわけですし、先ほども指摘しましたが、できるだけ毒性の低いものを優先して使用しているのが実態です。しばしば農薬の使用量を従来の半分にすればいいという話がありますが、それよりも毒性の低いものを選んだほうがいいし、昔にくらべれば実際に毒性の低い農薬が開発されてきているわけですね。
こう考えると、今までの毒性試験で毒性が非常に低いことが分かったものは特定農薬の定義「害を及ぼすおそれがないことが明らかなもの」に該当するのではないか。残留分析にしても非常の多くの方が努力してデータを今まで積み上げてきているわけで、こういう結果はどうなるのかと思いますね。ですから、私としては「特定農薬」という概念には疑問があるし、不満なんですね。
梶井 農薬は適正使用すれば安全であるということがもっとも重要なことだと思いますね。ただ一方で、減農薬、あるいは無農薬栽培をという生産者も消費者もいますが、その点はどう考えておられますか。
◆正しい知識をもとに自信を持って生産を
松中 私はいわゆる無農薬栽培については、お百姓さんが相当無理をしていると思うんです。汗水たらして苦労されても、それは結局、昔の農業に戻ることではないかと思います。かつての苦労をなくすために、農薬や化学肥料の専門家が努力してきたわけですから。そういうご苦労を踏まえないで、頭から無農薬、有機栽培であるべきというのはどうでしょうか。
そういう意味から言っても、有機食品について行政が認証するという制度ができましたが、一方では農薬取締法に基づいて適正に農薬を使用していれば安全であるとしているわけですから、これもおかしいのではないかと思いますね。認証制度によって、どうしても有機農産物のほうが安全で農薬を使用したものは安全でないと受け止められてしまうのではないかということです。
私は、実際は農薬を使用しても問題がないけれども、減農薬や無農薬にすれば確実に消費者をつかむことができる、という考えから取り組んでいるということではないかと思います。もちろん高くてもそれを買いますという消費者がいるのならそれはそれでいいと思います。
ただ、問題は、消費者のほうにもあると思いますね。「農薬は怖い」という思い込みですが、これは事実が報道機関などから正確に伝えられなかったこともあると思っていますし、そのことによって生半可な知識を持ったということが背景にあると思いますね。
梶井 行政としても農薬は適正に使用すれば安全であるということは明確に国民に伝えるべきだと思います。
松中 そうですね。私自身も田の草取りを経験していますが、除草剤というのはあの労働を軽減してくれるものです。反面、毒性の問題もありましたがそれは今日お話ししたように研究が進んで毒性の低いものへと変わってきているわけです。
今回の農薬取締法改正は、農家にとっても不適正な使用をすれば罰則が課せられるなどの面もありますが、これを機会に適正に使用すれば安全性に問題はなく誇りをもって生産していいということを改めて知ってもらいたいし、また、消費者にも正しい理解を広めるメディアも含めた関係者の努力が大切になると考えています。
梶井 どうもありがとうございました。
対談を終えて
“同じ国民の安全を守るということからすれば、極端な言い方ですが、自衛隊の要員を減らしてでも食品分析をする人を増やしてほしい……”と松中先生は言われる。賛成である。農民連の分析で輸入冷凍ホウレンソウの残留農薬が指摘されてから、慌てて冷凍野菜の分析を厚生労働省も始めるというようなことは、もうしてほしくない。
20万件前後の調査で基準値を超えたのは、国産品で0.02%、輸入品で0.03%だそうだが、それは99年の調査である。輸入農産物、とくに冷凍物が激増してきたのは2000年以降であり、冷凍ホウレンソウなどの残留毒性問題がクローズアップしたのは02年だった。輸入急増以降、国の検査分析体制が各段に強化されたという話は聞こえてこない。国内産0.02%は使用基準は厳守されていることだから、心配ないとして、輸入品の0.03%を今も信用していいのか、である。(梶井)
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