JACOM ---農業協同組合新聞/トップページへジャンプします

特集:農業・農村に“新風を送る”JAをめざして

安全・安心の風

今、求められる「食と農の距離」の接近
安全・安心への情報公開が決め手に

 松岡公明 JA全中営農企画課長

 JAグループが「安心・安全の風」を送るには、離れてしまった食と農の関係をいかに接近させるかが大きな課題となる。そのための具体的な取組みとしてJAグループは「生産工程管理・記帳運動」を推進していくことにしている。取組みが必要になった背景と実施にあたっての課題などをJA全中の松岡公明営農企画課長に解説してもらった。

 BSE(牛海綿状脳症)問題、偽装表示事件、無登録農薬問題などが発生し、国民・消費者の食品に対する不安・不信感が増大し、いまや社会問題となっている。残念の極みだが、JAグループの一部からも問題が発生した。そのようななかで、食品危害から消費者を守り、風評被害から生産者を守るため、「生産履歴の遡及」(トレーサビリティ)の必要性、重要性について認識が高まってきている。

何のため、誰のために農作物をつくるのか

松岡公明 JA全中営農企画課長 トレーサビリティの確立、すなわち、農産物の情報開示型流通は、販売の付加サービスや差別化戦略という位置づけではなく、現在のBSE対策や偽装表示、無登録農薬問題等の根本的解決策として、今や農産物流通の社会的インフラ整備としての次元の位置づけへ変わってきている。
 マーケティング論的にみても、トレーサビリティとアカウンタビリティー(説明責任)は重要である。食料の安全・安心対策では、消費者と生産者の利害は一致する。当然ながら、消費者の利益は健康と安全の確保である。生産者の利益は、食料の安全確保により消費者の信頼を得ることによって、市場を確保でき、所得の機会を得られることになる。
 これからの農産物マーケティングでは、「安全・安心な食の提供」に向けた正確な情報開示(ウソをつかない・つけない)が顧客づくり・関係づくりの決め手になる。
また、市場の役割も、貨幣価値に集約される商品の交換の場としての機能が小さくなり、農産物にかけられた時間や生産者の想いやこだわりといった「価値」が交換される場へと変化していくだろう。すなわち、「価値」の競争が本格化してくる。価格の競争は悪い競争で、価値の競争はいい競争である。そして、生産現場にとって、何のために、誰のために、どのような農産物を作るのか、という「農業哲学」や明確なビジョンが求められる時代となってくるだろう。


必要な生産現場の意識改革 自ら積極的に情報発信を

 いま、日本農業に求められる課題は、《安全・安心》をキーワードに、離れてしまった「食と農の距離」の接近を、いかに生産者・流通業・生活者のパートナーシップで実現するかである。生産者は消費者の求めるものを作り、消費者は農産物の価値と食生活を通じて自国の農業を支える意味を理解する・・・・そういう相思相愛の関係づくりが求められている。時の政権も国民的な支持がなければもたないように、日本農業もお客さまという支持基盤がなければ存続しない。農業も「信なくば立たず」である。
 JAグループにおいても、食の安全・安心確保に向けて、生産者とJAの間で生産基準の協定を結び、圃場を登録し、その生産基準を遵守、それを記帳し、情報開示していくという「生産工程管理・記帳運動」の取り組みをすすめていくことにしている。今や、この取り組みができない産地は、「有利販売」以前に、売り場さえ確保できない、あるいは、産地として認められないという事態となっている。
 しかし、この生産工程管理・記帳運動についてはいくつかの課題がある。1つ目は、生産現場の意識改革である。
 今般、JAS法や農薬取締法の罰則規定が大幅に強化されるが、禁固刑や罰金の大きさより恐いのは、消費者の不信・不買であり、ウソをついたら産地がつぶれるという時代認識であろう。生産履歴の記帳・記録ができなければ、産地として認められない時代になったこと、風評に対して証明できるものがないと産地として取引停止になる場合も出てくること、つまり産地がつぶれるかもしれないという認識を新たにする必要がある。逆に、受け身でなく、自分達の農産物はこういう安全基準でルール通りに生産していると、自ら情報発信していくためにトレーサビリティを能動的・積極的に活用していくことが求められる。
 2つ目は、人材育成である。トレーサビリティが法制化され、システムが整備されても、それがワークするには、最後は人である。生産者リーダー、生産工程管理者、検査員、認証委員、情報管理者、分別流通管理者などの養成プログラムをつくり、早急にそれぞれの人材を養成していくことが課題である。
 3つ目は、モノづくりである。ソフト面では、導入マニュアルの整備やデータベースシステムの開発など、ハード面では、トレーサビリティを前提とした分別流通が可能な農業関連施設の整備や施設運営方法の工夫を急がなければならない。
 4つ目は、コスト問題である。システム開発等のイニシャルコスト、検査・認証料、データベース利用料、物流施設の再整備などのコストアップについて、今日の価格破壊のなかで、その負担をどうするかである。トレーサビリティに乗る農産物が特性をもった差別化商品として高い値段で取り引きされ、結果としてコスト吸収されればよいが、差別化でなく、食品安全行政のインフラ整備として位置づけるならば、生産者サイドに一方的かつ過度な負担が生じないよう、政策的な課題としてオープンに議論されなければならない。

JA事業のあり方を変える生産履歴の記帳運動

JAが運営するファーマーズ・マーケットが増えてきた。「地産地消」は最善のトレーサビリティだ。

 一方、生産履歴の記帳運動は、JAグループにとって「メイフラワー号」かもしれない。このままいけば「タイタニック号」になったかもしれない。生産基準に基づく記帳運動は、販売・購買・営農指導・加工・地域振興等の分野におけるJAの事業のあり方を大きく変えることになる。JAグループとして、この運動をイノベーションの「黒船」として、21世紀型のJA事業改革のプランとしていくことがことさら重要である。
 トレーサビリティといっても、実際には生産から加工・流通まで、多くの複線があり、すべてトレースするのは不可能である。トレーサビリティのシステム整備も重要だが、トレースができやすい農産物流通を再構築していくことも重要である。「地産地消」は最善のトレーサビリティである。鮮度と多品目生産を活かした消費者と生産者の「顔の見える関係づくり」ができる。
 韓国では「身土不二」、イタリアではファストフードに対抗して「スローフード運動」、イギリスではフード・マイル(食べ物の輸送距離)を小さくする運動が始まっている。生産者は生産履歴の情報開示と自らの農業哲学を情報発信する。消費者からはトレーサビリティを通じて、日本農業を支持する食生活運動について情報発信し、生産者の営農意欲と生産努力を促す。そういうパートナーシップによる「共創」が求められている。


「安全」はタダではない 消費者の価値観も

 新潟県・犀潟病院の池田正行医師は著書『食のリスクを問いなおす』のなかで、BSEパニックにおける消費者行動を「ゼロリスク探求症候群」として、食品の安全性を求めるあまり、リスクバランス感覚を失い、自分に正義があると信じ込んで、自分の行動が差別や風評被害など重大な社会的問題を引き起こしていることを理解できないでいる病的心理を指摘している。さらに、「安全はただではない。この当たり前のことを納得して割高なものを買う。そういう賢い消費者があってこそ、食のインフォームドコンセントが成り立つ。しかし、現実には無着色より着色したら、このほうが売れ行きがよく、曲がったきゅうりには人気がない。安全とは全く関係のない外見に注目する消費者がまだまだ多い。BSEは、消費者の価値観の改革をも求めている」と語る。
 昔から「良い芸術家は、良い聴衆、観客、鑑賞者がつくる」と言われる。買い手が作り手を評価して、その評価に相応した対価を支払う関係が構築されない限り、作り手はその仕事を継続することができない。食に関するリスクコミュニケーションは、情報の送り手と受け手の相互作用過程と考えられ、双方向の情報の共有化が求められる。まさに、食のインフォームドコンセントは、生産、流通、消費を通じるフードシステムのそれぞれ構成主体が政策決定とそのリスクについて責任を負うということであり、その社会的責任の自覚と情報リテラシーの成熟がなければ成功しない。情報開示を通じたリスクコミュニケーションを愚直に続けなければ、食の信頼は戻ってこない。

価格破壊下の農業問う思考も、安心への道

 経済評論家の内橋克人氏は「人間マルゴトの思想」の重要性を主張する。すなわち、現在のマネー資本主義のもとでは「生きる」「働く」「暮らす」という本来の人間生存の全体がバラバラにされているとして、例えば都市と農村、生産者と消費者が分断されていると指摘する。
 そして「モノの値段が下がって賃金・所得が下がらないはずがない。人は消費者であると同時に勤労者である。モノの値段は安ければ安いにこしたことはないが、しかし、なぜ安いのか、ひょっとして生産者に正当な生産費も払わないで安いのではないか、とそう問うことのできる消費者を育てていく。つまり人間は『暮らす』だけをよくしようとしてもそれは達成できない、同時に『働く』もよくなってこそ『生きる』という全体がよくなるのだ、ということを知らなければならない。このようなあり方を見直し、再び『生きる』『働く』『暮らす』の統合を図る――それを実践してみせることができるのは、まさに農業をおいてほかにないといえるのではないでしょうか」と語る。
 今日、食と農が分断されている。それに、BSE問題や一連の偽装表示問題が拍車をかけ、ある種パニック状態になっている。しかし、パニックと言えば、喉元過ぎれば何とかで、平成6年のお米パニックのことはすっかり忘れられているではないか。毎日の食生活の向こうにお天道様相手の農業があることを忘れて、食品の安全問題だけが議論尽くされても、生産費も賄えない価格破壊下の農業問題をどう解決していくかというというリアリティがなければ、「人間マルゴトの思想」の議論とはいえないだろう。そうしたリアリティのない、食と農が分断された議論が、最終的には、ブーメランのごとく、生産者の営農にも、そして消費者の食生活にも、そして国民全体にも跳ね返ってくるという、「食」と「農」双方のリスクマネジメントが問われている。


農業協同組合新聞(社団法人農協協会)
webmaster@jacom.or.jp