農業協同組合新聞 JACOM
   
特集 これで良いのか 日本の食料

基調論文 これで良いのか食料政策
人類の生存権として自給率向上を
田代洋一 横浜国立大学大学院教授

◆食料政策ー見直しの季節

田代洋一教授
たしろ・よういち
昭和18年千葉県生まれ。東京教育大学文学部卒業。経済学博士。昭和41年農林水産省入省、林野庁、農業総合研究所を経て50年横浜国立大学助教授、60年同大学教授、平成11年同大学大学院国際社会科学研究科教授。主な著書に『新版 農業問題入門』(大月書店)、『農政「改革」の構図』(筑波書房)、『WTOと日本農業』(同)など。

 個人的な感慨を述べる。1992年の新政策で「食料・農業・農村」と食料が政策のトップに据えられた時、「これで日本から農業政策はなくなるな」と苦い思いをした。食料・農業・農村基本法の制定でその思いは深まった。だがそれは間違っていた。直後からの食の安全性問題の噴出がそのことを教えた。消費者のための政策が、安全性を介して生産者のための政策にもなる時代がきたのだ。その一つが世界に類をみない食料自給率目標の設定である。
 BSE問題に関連した全頭検査もしかりだった。30ヶ月齢以上という当時のヨーロッパの科学の「常識」に対して全頭検査は日本特有の過剰反応に思えた。しかしその全頭検査の結果、「常識」を破って21ヶ月、23ヶ月の牛の感染が日本でみつかった。
 食料自給率目標の設定といい全頭検査といい、日本の食料政策の旗幟は鮮明である。いや、正確には「鮮明だった」。その背景はいうまでもなく、食料自給率のあまりの低さであり、そのことに対する国民の強い危惧感である。農政はそれに背中を押されたのであって、旗幟鮮明が農政の本音だったとはいえない。そこで今や「見直しの季節」だ。自給率しかり、全頭検査しかり。
 しかし国民の期待を一身に担った食料政策の見直しをすることになれば、国民の農政に対する期待を大きく裏切ることになるだろう。

◆食料自給率をめぐる攻防

 新基本法論議の最初から自給率向上は最大の争点の一つだった。農政は率直にいって自給率を取り上げることに消極的だった。にもかかわらず国民の声に押されて食料自給率の向上を唱うようになった。ひとたび決断したらそこは良くも悪しくも官僚制で、自給率を基本計画唯一の目標とするところまで突っ走った。お隣の韓国が慎重に「農業・農村基本法」「農業・農村総合計画」にとどめているのとは対照的である。
 しかし基本計画見直しにあたって、それが重荷、足枷となっていることは否めない。2003年度のカロリー自給率は四捨五入すればかろうじて40%維持だが、肝心の穀物自給率や飼料自給率は各1ポイント下がった。農業白書も指摘するように、自給率の低下傾向に歯止めはかかっていない。そこで基本計画見直しにあたっては、自給率の検討は先送りし、目標年度を2015年度に引き延ばし、かつ唯一の目標から引きずり降ろしたい意向だ(拙著『食料・農業・農村基本計画の見直しを切るー財界農政批判ー』筑波書房)。
 マスコミ論調も以前は「直接支払い」一辺倒だったが、参議院選の前後から、早くも「ばらまき農政でいいのか」と、牽制に回った。曰く「方向はいいが、市場開放を進めながら、自給率も向上させるとしたら、直接支払額が膨らむのは目に見えている」「直接支払いにより、無理に高い自給率達成を急げば、農業予算の膨張に歯止めがかからなくなる」(日経、2004年7月6日)。要するに直接支払いは認めるとしても、自給率向上とは切り離せと言うわけだ。韓国が自給率目標を掲げていないにもかかわらず、今後の10年間に新規予算も含めて119兆ウオンの農業予算を確保するのと大違いである。
 問題を整理しよう。第一に、自給率向上は切実な国民的目標である。先の参議院選で全政党が自給率向上を訴えたことはなお記憶にある。
 個々の政策は、その自給率目標に対する手段に過ぎない。手段は目標によって決まる。しかるに基本計画の見直し論議は、目標を検討する前に手段をあれこれ論じている。これほどの本末転倒はない。自給率向上という政策目標に照らしていかなる政策が有効か。改めてそういう論議をすべきだ。
 第二に、本末転倒が政策設計上の混乱を生んでいる。例えば経営安定対策の内外価格差の補てん分について、(1)過去面積当たり支払い、(2)毎年の生産量等に応じた支払いの二つをドッキングさせる案である。(1)は生産を刺激しないと言うWTOの方針に沿った削減対象外の政策だが、それでは自給率向上を掲げる日本の現実と矛盾するので、(2)の生産刺激的政策(削減対象)を「日本型」としてドッキングさせようとする。
 これは言ってみれば、生産に対するブレーキとアクセルを同時に踏もうとするようなものである。あるいはWTOと消費者国民の両方に「いい顔」をするものである。自給率向上という目標に対して、そもそもWTO対応型のデカップリング政策がなじむのか、一握りの担い手のみの選別政策で面的にとりくむべき自給率の維持向上が果たせるのか、を根底から再考すべきである。
 第三に、自給率を大きく左右するものとして飼料自給率があるが、それが自給率向上のアキレス腱になっている。しかるに最近では「飼料自給率を高めても自給率の向上につながらない」といった否定的キャンペーンが強まっている。
 その場合の自給率とはカロリー自給率を指すが、そこに自給率論議の一つの陥穽がある。すなわちカロリー自給率は、総合的な指標としてポピュラーだが、いろんな要素の合成指標であり、個々の政策にはなじみにくい。カロリー自給率に貢献しないものはだめだとなったら、そもそもカロリーの少ない野菜や果物の自給はナンセンスということになる。カロリーさえ確保すればよいという時代はとっくに過ぎ去った。

◆有事法制万能論のウソ

 自給率向上という国民的期待に対して、「有事の食料確保策は必要だが、政策の自由度を狭める自給率へのこだわりは捨てるべき」、有事法制に組みこむことで「食料の安全保障が確保されれば、平時の自給率にこだわる必要はない」という論議がある(本間正義「食料自給率にこだわるな」日経2004年7月15日)。
 今の世の中、明日は何が起こるか分からない。その意味では「不測の事態」に備えておくに越したことはない。有事というとすぐ「戦争」になるが、輸入が途絶するほどの戦争は人類破滅的とみるべきだろう。またL.ブラウンなどはトレンドを越えた構造変化を強調するが、そのような長期的な構造変化に対して人類は必ず対応策を見いだすはずである。
 しかしそれは不測の事態や構造変化に対して日頃から備えている場合についてのみ言えることである。第一に、将来における食料不足は、「不測の事態」でもなんでもなく、農水省の世界食料需給予測にも明らかなように、「予測される事態」である。それに備えずして「不測の事態」もクソもない。
 第二に、「不測の事態」に対し食料安全保障を最初に提起した1980年農政審第二章のタイトルは「食料の安全保障ー平素からの備え」だった。まさに「平時からの備え」を怠り、将来に対する保険料支払い(自給率向上)を徹底的にケチり、「平時の自給率にこだわる必要はない」とうそぶき、有事法制だけを整備しておけば足りるとするフリーライダーの国を、いざ有事の時に誰が助けるだろうか。ヨーロッパ諸国が歴史の教訓に学んで自給率向上につくしてきた経験に見習うべきだ。
 本間氏はスイスをもちあげるが、スイスは永世中立を誓って「有事」に陥ることを避け、アルプスの斜面から谷まで牛を飼うなど潜在自給力を掘り尽くしたうえでの備えであり、日本が同日に論じるのはおこがましい限りである。
 また自給率向上は、輸入不可能な自給財としての農業の多面的機能の確保でもあり、また脂質過多傾向に突入した食生活を改善する誓いでもある。これら自給率向上の「多面的機能」も無視できない。

◆BSE全頭検査と輸入再開問題

 今日の食の安全性問題の際だった特徴はグローバル化だ。そして食の安全性問題のグローバル化に対する根本対策は自給率向上と水際での検疫体制しかない。BSE問題はそのような今日の食料問題、食料政策の象徴である。
 日本はBSEの発生に対して全頭検査を実施した。これは一つの英断である。しかるに牛肉トレーサビリティ法にあたっては、輸入牛肉を対象にしなかった。その理由を担当者は「GATTの技術的協定のルールを越える規則を課するのはSPS協定(衛生植物検疫措置の適用に関する協定)などに反することになるし、基本的に未発生国からの輸入に限られることから日本と同じ基準を課する必要はないというのが論理的な整理だった」(梅津準士「食品安全基本法について」農政ジャーナリストの会編『日本農業の動き147』農林統計協会、2004年)としている。
 実は日本が再三の国際的警告にもかかわらず肉骨粉の禁輸措置を講じようとしなかったのも、科学的に証明されない限り国際標準を上回る規制は不可とするSPS協定に反することを恐れてのことだった。このように国際基準への追随が日本外政のDNAになっているが、SPS協定等の国際基準を金科玉条とする限り、国民の安全は守れない。
 ところで、その「未発生国」アメリカでBSEは発生した。そこで輸入禁止措置が採られたわけだが、その解禁には内外無差別の原則から国内の全頭検査の見直しが必要であり、食品安全委員会への諮問となった。同委員会は(1)20カ月齢以下の感染牛を現在の検査法で発見することは困難、(2)その事実をBSE対策の検討において十分考慮すべき、とした。
 (1)については委員会内でも異論が出て、一時は「検出できなかった」という事実の記述にとどめたが、最終報告では復活した。その間に何があったのかを詮索するまでもなく、(2)と合わせれば委員会が輸入解禁へのお墨付きを与えたことは確かだ。かくして同報告は、アメリカからの外圧で、リスク管理のみならずリスク評価まで左右されかねない日本の現実をまたしても露呈してしまった。国内でも牛肉輸入の関税収入千億円を当て込んで業官界では早期解禁論が強まっている(朝日、2004年7月18日)。これまたエコノミック・アニマルDNAのなせる技か。
 (1)は、現在の技術水準では検出できないという技術的限界の指摘に過ぎず、若齢牛にBSEが存在するか否かという客観的事実ではない。その点は科学的に不明だ。このような科学的に不明ないしは知見不足の問題に対して、「予防原則」を踏まえてどう対処するかが、今日の安全性問題の核心である。しかるに日本では「予防原則」が早くも言葉だけになっている。
 食品安全委員会はリスク評価機関として発足したが、(2)の発言はリスク評価のみならずリスク管理に踏み込んでいる。リスク評価と管理は峻別しがたいから、その点を批判する気はないが、だからこそ同委員会は科学者だけでなく、ヨーロッパ並みに消費者等の関係者を委員に加えるべきなのである。
 
◆世界に誇る食料政策国へ

 日本は食料自給率目標を掲げる唯一の国、全頭検査を実施している唯一の国であり、その動静は世界の注目するところだが、残念ながらその名誉は風前の灯火である。
 日本が食料自給率を高めようとすると、生産刺激的政策を削減対象とするWTOの農業協定がたちはだかり、予防原則を貫こうとすると、それを「科学」の名のもとに否定するWTOのSPS協定が立ちはだかる。だが国民の安全を守るのはWTOではなく個々の国でしかない。日本はそのような国の権利、すなわち食料主権を、「『多様な農業の共存』という人類の生存権」としてWTOに提起した。その主張を自ら誠実に追求することこそが、農政への国民の信頼を回復し、日本の主張を国際的にアピールする何よりの道である。

(2004.10.1)


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