◆モダリティー1次案は一部の輸出国寄り
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ひので・えいすけ 昭和16年宮城県生まれ。東北大学法学部卒。昭和39年農水省入省。食糧庁企画課長、官房企画室長、大臣官房総務審議官、農蚕園芸局長、農産園芸局長を歴任、平成8年退官。10年参議院議員当選(全国比例区)。外務大臣政務官、全国農政協顧問。 |
梶井 WTO農業委員会ハービンソン議長のモダリティ1次案が12日示されました。内容は日本にとって大変厳しい提案になっています。
たとえば、関税引き下げでは、かたちはウルグアイ・ラウンド方式を取り入れていますが、引き下げ率が大幅で、実質はアメリカ案に近いと言えます。かりに1次案どおりになると、米国や中国のコメは関税を上乗せしても国産米と同等か、あるいはそれより安い価格で入ってくることにもなりかねない。
国内支持の削減についても、黄の政策の削減スピードや、青の政策について50%カットするなど、厳しいものです。外務大臣政務官として1次案をどう受け止めましたか。
日出 このモダリティ1次案は大変問題が多いもので、大島農相は日本にとって受け入れ難いと表明しましたし、EUもこれはとても議論にならないと主張したように、全体としてかなり輸出国寄り、あるいは米国、ケアンズ諸国寄りなのは歴然としていると思います。
いくつか問題がありますが、関税の引き下げについては、90%以上のものは最低45%削減という提案です。これは米だけではなくて、酪農製品や小麦なども対象になりますし、ほかにも関税90%以上の農産物はかなりあります。
梶井 ウルグアイ・ラウンド合意で関税化した品目はほとんどが90%以上ですから。
日出 そうですね。ウルグアイ・ラウンドでの議論は、農産物も輸入制限をやめて関税化するということでした。しかし、激変緩和という意味で、当時の国内価格と輸入価格の差を関税率とするという現実的な解決をした。これはある意味では上手なやり方だったと思います。しかし、門は開けられた。
そこで、今度の交渉では高関税をばっさりと落とそうということですが、この議論をやっていますと、今回はかりにそこそこの削減率で終わったとしても、この次の、たとえば2010年ぐらいの交渉では、どうなるのかということになります。
やはり1次案はどう見ても非常に野心的すぎるし、バランスが悪い。関税率以外にも、国内支持、ミニマム・アクセスの部分でも大いに問題があります。
いずれにしても、この交渉は今回の結果だけを見るのではなく、前回のウルグアイ・ラウンド交渉からの引き続きであること、あるいはこれから先もあるであろう多角的貿易交渉も含めて考えなければならず、それをふまえるとやはり容易ならざる提案だということです。
その意味で先日東京で行なわれた非公式閣僚会合で議長を務めた川口外相が、1次案について“触媒”と言ったのは、政治的な用語という面はありますが適切なまとめだったと思っています。これは交渉のベース、あるいはスターティング・ポイントではないということですから。
◆輸入国として仲間増やす
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かじい・いそし 大正15年新潟県生まれ。昭和25年東京大学農学部卒。39年鹿児島大学農学部助教授、42年同教授。46年東京農工大学教授、平成2年退官。7年東京農工大学学長。14年同大名誉教授。著書に『梶井功著作集』(筑波書房)など。 |
梶井 WTO農業協定では、次期交渉は“実質的かつ漸進的に削減するという長期目標が進行中の過程であることを認識”して進めるとなっていました。今回の議長案は、とても「漸進的」とはいえません。
日出 ウルグアイ・ラウンド合意は高関税問題を残しましたから、ケアンズ諸国やアメリカなどの急進的な考え方からすると不満足だった。だから、たとえば、ドーハの閣僚宣言のなかでも「野心的」という言葉が盛り込まれた。もちろん、一方で「非貿易的関心事項への配慮」ということも書かれているわけです。
ですから、1次案に対して日本やEUにすれば、非貿易的関心事項が真っ正面から反映されていないではないかとなるし、一方は、野心的と書いてあるにもかかわらず、これはまだ野心的ではない、という議論になる。
WTOの枠で議論している限りでは輸出国が輸出しやすくなるという方向に走っていくわけですから、やはり大きな問題は残ります。
梶井 WTOの機構自体がそれを目的にした機構ですからね。
日出 結局、途上国であれ先進国であれ輸入国という立場で仲間を増やして、あまりにも急進的な改革を志向する輸出国への対応を考えなければいけないということだと思います。
その対応ですが、ウルグアイ・ラウンドで学んだことのいくつかのうちで大事なことは、やはり日本はただ守るだけでは守れないということです。攻めて守る。そのために日本がある種の価値観を出していく。
今回は農業の多面的機能、非貿易的関心事項など、こういう価値観を出してその中身を具体的に説明をしながら、それで輸入国の立場を守っていこうということですね。そういう意味では前回より今度のわが国の交渉手法は進んだと思います。
梶井 今回の交渉に向けての日本提案では、はっきりとわれわれの哲学はこうだ、と打ち出しました。それは食料安全保障を含む農業の多面的機能を維持するには、各国の農業を共存させていかなくてはいけないということでしたね。
さらにこの哲学の賛同国を広めようと、フレンズ国をまとめてきた。従来の交渉にくらべればずいぶん前進したという印象を受けます。先日の東京会合でその成果が感じられましたか。
◆自国の農業を奪われるな 共通の価値観を打ち出せ
日出 会議場で議論を聞いていてそれは感じましたね。日本とEUは以前から連携しようとしてきましたが、そのほかに韓国、スイスなども日本に賛同する立場からの発言でした。
ただ、少し残念なのは多面的機能とは具体的にどういうことなのかという点でまだ理解が広まっていないと感じられたことです。EUの主張している多面的機能と日本は同じなのかどうか、こういう点を深化させていけばもっとエネルギーを持った言葉になるはずです。
梶井 東京会合の際にインドの農業大臣は大島大臣との会談で、関税の大幅引き下げ案に反対し各国とも農業と環境を守る権利があり、日本と連携していくことを表明したそうですね。
日出 今回の会合に出てみて途上国への働きかけをもっと強めるべきだと思いましたね。
というのも、1次案の関税引き下げ部分では途上国について少し緩やかな扱いとなっていますが、そこに食料安全保障上の観点から重要な品目については削減率を緩やかにしてもいい、というくだりがあるからです。
この部分は、途上国だけではなく先進国も含めて、「“輸入国”は食料安全保障上の観点から〜」と考えられるべきです。これをもっと途上国をはじめ全世界の輸入国に訴えるべきです。
WTO加盟の145か国のうち、100か国は開発途上国で、多くは自分たちの作っている単品の農産物の輸出を拡大しようという考えですが、1次提案を受けるとこれらの国は食料の自給力を売り渡してしまうことになる。それがいかに怖いことかを訴えていく。1次案にはそういう隙間もあると私は思いました。
梶井 途上国のなかには、食料自給は考えずに輸出に非常に特化した農産物を生産している国がありますね。たとえば、コーヒー豆は輸出しているものの、国内食料は非常にピンチだという国もあります。そういう国にとって、本当に現在のような貿易ルールでいいのかと問題提起していくことは大事ですね。
日出 そのことに途上国も気がついていると思いますが、ついつい目先の輸出戦略作物のさらなる輸出拡大を、という主張になってしまう。しかし、それを促進すればその国の自給力の基盤がこわれ、食料を全部、ごく少数の輸出国に握られるのは見え見えではないか。今回は途上国が特例扱いされ関税削減率が小さくなったとしても、将来の交渉ではどうなるのか、という問題もあります。
こういう観点の議論は、今回の会合ではあまり出なかったのが残念です。途上国のなかには気象条件が非常に厳しく、まともに水の確保もできずに自国の農業をどうしようかと苦労している国もあります。そういう国は日本にもっと市場開放をとは言いませんよ。そういう国こそ日本として緑化などの支援する対象でしょう。
日本の対応も日々上手になっていると思いますが、もっと仲間づくりができるような理念や共通価値観というものを明確にして交渉を進めていかないと日本外交としてうまくいかなくなるということだと思います。
◆国内改革と両睨みで交渉を
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2月14日から東京都内で開かれた非公式ミニ閣僚会合。22ヵ国・地域の閣僚が参加した。 |
梶井 このところ農政は米政策改革などに見るように自給率などにこだわらないようですが、WTO提案との整合性からいって私などは大変気になります。国内政策も含め、今後考えておかなくてはならないことは何でしょうか。
日出 交渉は交渉、国内の改革は改革と割り切れるものではなく両方をにらみながら冷静に見ていくことが大事だと思います。輸出国の横暴だとだけいって国内の改革を進めなかったら何もなりません。しかし、国内改革とWTO交渉が少し離れているという感じがしているのが気になります。
ウルグアイ・ラウンドのときの問題は、日本として仲間づくりが不十分だったことと、交渉経過、日本の対応について十分に国民に情報を出さなかったことです。それはあまりにもコメ問題に特化したために、情報を出さなかったという面があります。ここは今回は劇的に変わっているところですし、外務省と農水省の連携もうまくいっています。そういう問題も含めて、前回の欠点を直し、WTO交渉のやり方を変えていくという面ではずいぶん変化したと思っています。
梶井 どうもありがとうございました。(2003.3.5)
対談を終えて
触媒というのは、反応物質以外の物質でありながら反応に影響を与える物質だから、当事者である議長提案の性格づけとして適当だったのか、疑問の余地はあるが、議員の話では外務省苦慮の末の用語だという。そういう言葉を捻り出さなければならなかったほどに、ハービンソン議長のモダリティ1次提案をめぐる対立は厳しいものだった。
交渉はまさにこれからということになるが、会議場の中に入って−−これは外務政務官が物を言ったのだろう−−各国代表の演説をじかに聞いた議員の感触では、日本の主張への理解が進んでいることは確かだという。特化した農産物の輸出拡大を言う途上国にとっても、食料安全保障問題は重要であり、その認識を深めさせることで日本の主張への支持を広める“隙間”ができるのでは、と議員は語っていたが、重要な論点である。この“隙間”を活用するためにも“国内改革とWTO交渉が少し離れている”状況にしておくのは、よくないのではないか。(梶井) |