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松木理事長 |
「組合員の相互扶助の精神に基づいたもの」と、松木理事長は全農薬創立の主旨を語る。当時、商系卸業者としては各県卸商組を会員とした全国農薬商業協同組合連合会(全商連)が結成(昭和27年)されていたが経済的基盤も盤石なものとはいえず、これを強固な組織に結集するため農薬の経済事業(共同購買事業)を中心とした組織として全農薬が結成(40年)された。
新組織を牽引したのは、殺菌剤のダイセン水和剤だ。全農薬の一元販売で結束力を高めたもので、この意味では三洋貿易の果たした役割は計り知れない。組織として「情熱を燃やしていた」(松木理事長)もので、切り替えられた総合殺菌剤のジマンダイセンも好評を博し、順調に事業を伸ばす中で全農薬の経営基盤を確立していった。
その後、ジマンダイセンの競合品としてペンコゼブがでてくる。いわゆるジェネリック(特許切れ)農薬と呼ばれるもので、外資系を中心にR&D(研究開発)への再投資ができにくくなっていることから、このジェネリック農薬への対応こそ将来的な課題の一つとして残されそうだ。
ともあれ、三洋貿易としては後発品に危機感をもち独自の特約店組織である「錦会」ルートと全農薬ルートの併売に至った。現在、「錦会」はアグロパートナ−ズの「陶農会」に変遷しているが、「経済事業の核にあったジマンダイセンの取扱の減少は全農薬にとって大きな打撃となった」(同)ことは否めない。
現在、全農薬の事業の柱には経済事業と教育安全事業がある。前述の通り前者は、ジマンダイセンを中心に10数商品を取り扱い、取引メーカーも2桁におよぶ。後者は、日本植物防疫協会に委託している研修会で、「農薬安全コンサルタント」を養成するもの。これを中軸に組織化した全国農薬安全指導者協議会(安全協)の活動は、地道だがもっと高く評価されてもよいのではないか。
全農薬では、農薬取締法の改正や安全・安心な農産物生産などに対応するために独自の企業倫理を構築している。「農業そのものが大きな変革の時期にあり、組合の新たな機能を創造していくことが大切」(同)とした言葉が印象に残る。
昭和20年代後半〜昭和40年代にかけて体制が固められた植物防疫行政と植物防疫関連団体。「背景には、食料増産に向け農薬需要が増えたことから、総合的なシステムの構築といった社会的要請があった」(同)が、現在の植物防疫・農薬産業はいっそう社会的な責任や安全に対する責任を自覚しなくてはならない時代に突入しており、新たな創造を謳う全農薬の今後に期待したい。
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