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ダリアの愛好家だった皇后ジョセフィーヌ
《サカタのタネ》

(株)サカタのタネ ダリア フィガロ
©(株)サカタのタネ ダリア フィガロ
 (株)サカタのタネ(高橋英夫社長、本社:横浜市都筑区)が友の会会員向けに発行している『園芸通信』1月号では、『今、見直したいダリア ダリア・ルネッサンス』を特集した。ダリアの愛好家として知られるナポレオン一世の皇后「ジョセフィーヌ」の名を知る人は、相当のダリア通かもしれない。
 文・写真は、現在兵庫県で農業改良普及員として花きの生産指導に携わっている春井勝(はるい・まさる)さんが担当した。この分野の第一人者で、数多くの名花が存在するダリアの魅力を余すところなく紹介している。関西を中心とした「園芸研究会」所属。
 ダリアは、花型・花色が非常に豊富で、3万以上もの品種があるといわれており、毎年数百以上もの品種が新たに発表されているが、その元は原生地のコクシネア、ピンナータ、ジュアレジーなど6種(実際は5種)の原種からだといわれている。
 ヨーロッパ人が初めてダリアを見たのは1521年、コルテスに率いられたスペイン軍が、アステカ帝国を征服したときだといわれている。当地では、ダリアは神聖な花とされ、現地住民の庭にも栽培されていたが、花茎が空洞になっていることから「アコクトリ」(水笛の意味)と呼ばれていたそうだ。
(株)サカタのタネ ダリア フィガロ
©(株)サカタのタネ ダリア フィガロ
 その後、実際にヨーロッパへダリアが渡ったのは1789年のことで、この年ヨーロッパはフランス革命で揺れていた。スペインのマドリッド王立植物園長のカバニレスが送られてきたタネを開花させ、この花をスウェーデンの植物学者、アンドレアス・ダールの名にちなみ「ダーリア」と命名され、ヨーロッパ各地に広がっていった。
 フランスのナポレオン一世の皇后「ジョセフィーヌ」は、ダリアの愛好家として広く知られ、彼女自身がマルメゾン宮殿の庭に植え、大臣や皇族を招いたりしたが、花、タネ、球根の持ち出しは決して許さなかったそうだ。
 わが国にダリアが渡ってきたのは1841年、オランダ船が持ってきたという。当時は、「天竺牡丹」と呼ばれていた。
 現在、ダリアの球根は、年間約400万球利用されているといわれている。大半が、兵庫県と奈良県で生産されている。「ポンポンダリア」でも「百花繚乱のダリア」でも、今、ガーデニングの素材としてダリアが見直されている。1月号の『ダリア・ルネッサンス』は読み応えがある。
 『園芸通信』についての問い合わせ・・・サカタのタネ 通信販売部 電話045−945−8824
(2005.2.1)


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