12月上旬は、道路関係四公団民営化推進委員会報告が話題の主役を務めていた。報告内容自体もさることながら、委員会の運営、今井委員長の辞任、報告に対する自民党道路族の対応、などが関心を呼んでいたといえよう。
国家政策としての道路建設の基本方針、地方における道路需要とその必要性などの基本論議を、さし置かれたが、それなりの時宜を得た論議が展開された。特に、報告書本文以外の番外において、所期以上の成果を得たと、筆者は評価している。
その一は、委員長の辞任である。彼の動きを見ると、既成の権威がいかに空虚なものであったかを感じざるを得ない。新日鉄会長、経団連会長という日本を代表するポストを占めていた人間のレベルと、従来の官製審議会の実態が、白日の下にさらされたといえよう。この財界トップの状況判断能力、システム混乱時の大銀行代表者の答弁能力、前民主党代表の迷走をみるとき、硬直的な組織体の閉鎖体質のなかで、育まれた指導層の限界を感じざるを得ない。このことは農協組織にあっても他人事ではあるまい。
その二は、素人、物書きと揶揄された多彩な委員の顔ぶれである。特に、猪瀬委員の存在は大きい。彼の風姿、言動は嫌悪感すら抱くところがあるが、彼の果たした役割は高く買うものである。公開性の導入は、虚構に満ちた権威となれあいの議事運営手法(先送りと多数決の拒否など)をあばくなど、今後の各種審議会の改革への道筋を示したといえよう。またファミリイ企業の実態なども、過去の手法では闇に隠されたままに終わったであろう。偉大なる素人軍団の成果である。
この組織ずれしていない素人的第三者の活用こそ、農協陣営がもっとも必要とするところであろう。いつまでも一握りの政治家を頼りにする時代ではなかろう。
その三は政治の横暴と行政の怠慢である。道路公団の腐敗を許し無計画な公共投資に奔走し、巨大な財政赤字を生み出しながら、報告書を無視し後は政治が決めるとの姿勢である。無責任そのものである。かような政治家の存在を許しているのは誰か、と自問している次第である。
報告書にもとづく法案論議は再来年の春になるとのことである。いかにも間延びした話であり、我々にはとうてい理解しがたいところである。先延ばし体質そのものを見る思いでもある。
このあたりも農協としても考えるべきところである。政治家は大声をあげて叫ぶが、本当に地域振興に尽力してきたのか。先送りは農協の得意技では? などなど。
コメの生産調整と関連し、小生の知る都市生活者のなかに、意外に米食推進と食料自給率アップ支持の声は強い。小生の意に反し、学校給食もコメたるべしとの論者もいる。思いのほか、日本の将来と農業のあり方についての関心は深い。偉大な素人軍団に語りかけ、農業支援グループの広がりに取り組むべきではなかろうか。生産調整答申の一般紙の論調は、かなり政府寄りである。これに対し農協陣営の考えは、ほとんど公にはされていない。国民の信を得る基本方針を打ち立て、理解者と応援団の裾野を広げる対外発信の端を開く時であろう。 (藤塚捨雄)