「関東の空っ風」が毎日のように吹き荒れ、土ぼこりで先がまったく見えなくなるほどの日々が続いた。雨はまったく降らず、大地は真っ白に乾ききって作物も人も水を求めている。そんな時、待ちに待った(!)まさに天地を潤す恵みの雨が降った。自然というのは実に不思議で、偉大だとしみじみ思う。
いよいよ種籾を浸し、田植えの季節が始まる。雨がなければ作物は育たない。昨年のような、10年振りの不作にはならないようにと祈るばかりだ。
今年はまた国の新しい米政策「大綱」実施の初年度でもある。減反達成者に全国一律に支払われてきた転作奨励金は大幅に引き下げられ、極端に「担い手加算」を厚くした。しかし国の対象とする「担い手」農家の要件は、水田規模で都府県4ヘクタール以上となっており、当村の場合2人しかいないのが現状で、今のままでは米生産の大部分を担ってきた稲作農家は切り捨てられることになる。米のいっそうの輸入自由化を前提とし、現実を無視した国の農政は、ますますこの国の食料自給率を引き下げることは明らかである。
◎信頼築く「感謝の集い」
先日、あるスーパーの「生産者に感謝する集い」に参加した。2年前に1店舗からスタートして以来、実に数十店舗を関東一円に展開しているという。その店の特徴は入り口の一番目立つ場所に、生産者コーナーを設け「顔の見える品物」を大々的に販売していることだ。
生産者は自ら、値札を貼って品物を並べる。店側はそこから一定の手数料を取って、商品を販売する。もう1つの大きな特徴は別の店へ転送荷を扱ってくれることだ(これが最大の利点だと思われるが…)。だから生産者はある程度の数量を、安心して出荷できるというわけだ。店側も毎日、目玉としての新鮮な「差別化商品」をお客さんに売ることができ、しかも無駄がない。なぜなら仕入れをしなくて済むし、売れた分だけ確実に手数料が入る仕組みだからだ。
農家は長い間、自分で作った商品の値段を決めることができなかったし、そういうことが苦手だ。だから目の前で自分の品物が勢いよく売れていくのが楽しくて、毎朝早くから納品に行く。あの「感謝の集い」で表彰された農家の売り上げはかなりの額に達し、生産者のやる気を大いに引き出していることも確かだ。小泉内閣の三位一体の「改革」ではないが、これからはこうした売る側と生産者そして消費者が、同じ土俵に立ってその築かれた信頼関係の中で、工夫をこらして流通を進めていく時代である。
「今晩雨乞い〜やっぺ!」いつもの仲間が誘ってくれた。3月15日は農家にとって、年に一度の税金申告が完了する日であり、また自分たちの1年の経営内容をしみじみ振り返る“悲喜こもごも”の瞬間でもある。夜の更けるのを忘れて自慢の経営談義に花が咲いたのは言うまでもない。
今年も大和村で5回目の「雨引の里と彫刻展」が開かれた。40数カ所の野外の作品の中に、今年も「遠く霞む筑波山を背にした雑木林の一角に、天の気を地に導きつなぐ、憑代(よりしろ)を立てたいと思います。雨を引く里の天気。雨を集めるイメージを塔状の彫刻に作りたい。願わくば、そこに目には見えない、大いなる何かが気配されることを期待して」のコメントと共に、作家・國安孝昌氏の丸太で組まれた神秘的な『集雨塔』が、つい先日までそこに立っていた。(茨城県大和村在住、農業)(野沢博) (2004.3.25)