昭和1ケタ時代、志ん生が甚語楼といって、東京本所の業平の長屋で苦しい生活をしていた頃、黒門町の桂文楽の家へ、よく金を借りにきました。今の1万円か2万円、文楽はイヤな顔を見せずに貸してやりました。
あるとき、その甚語楼が顔色をかえて、格子戸をあけるなり、
「子どもがひきつけた。5万円貸して下さい!」
文楽はつりこまれて、
「そりゃ大変だ」
火鉢の引き出しから、いわれただけの金を出して渡すと、甚語楼は、ものも言わずに、とび出して行きました。
あとで文楽は考えました。
「子どもがひきつけた5万円貸して下さい」
それを甚語楼は一ト息に言いました。その間は、いつもの甚語楼の間とは違います。ちゃんと用意して、何べんもけいこした上の言葉です。
「こしらえたな」
と、文楽は思ったそうです。あとで、それがやっぱりこしらえ事だと分かったそうです。息子の馬生や志ん朝は、こうやって、何度も殺されかかったのでしょうね。
これは、宇野信夫が桂文楽から戦後すぐのラジオ番組で聞いた話です。番組が終わって、桂文楽は、運転手付きの自家用車で帰っていくぐらい稼いでいたのです。今回も、宇野の聞いた枕話です。
うぬぼれ
「お前さんにぞっこんという人がいるよ」
「わかった、魚屋の娘だろう」
「いいや」
「米屋の後家だろう」
「いいや」
「いったい誰だよ」
「お前さんだよ」
臨終
亭主の臨終に、若い女房が呼ばれた。
「この頃よく顔を見せる友三というキザな男、おれの死んだあと、あいつとだけは一しょになってくれるな。あんな野郎と夫婦になったら、おれは浮かばれないからな」
「お前さん、けっして心配することはありません。あんな人と一しょにはならないよ。べつの人だから、決して心配しないでおくんなさい」
即死
女房をこわがる者が3人集まって、酒を呑んで、女房の店(たな)おろし。
「おれのうちの山の神くれえ癪にさわる奴はねえ。いまいましくてやりきれねえ」
「おれのかかァにもうんざりする」
「面ァ見ただけで虫ずが走る」
そこへドヤドヤと3人の女房がどなりこんできた。
2人はすばやく逃げのびたが、1人、斜にかまえたまま動かない。女房3人は、あばれまわって帰っていった。
2人、戻ってきてそっと覗くと、友達はじっとして身動きもしない。
「これでこそまことの男だ。おれはお前を見直した」
ほめそやしながらそばへ寄ってみると、即死。
泥棒猫
河豚(ふぐ)を料理しているところへ、のら猫がきて、ちょいと一ト切れくわえて逃げる。この畜生めと追っかけようとすると、友達がとめて、
「うっちゃっておきねえ。あの猫があれを食うだろうから、あいつに毒味させ、猫が別条ねえようだったら、こっちも食おう」と、やがて鍋に入れて煮てしまい、さァ猫を見てこようと、庇間(ひやあい)をのぞいて見ると、猫が2、3匹寄っている。
「しめたものだ。あいつらが別条ねえ様子だ」とみんなあつまって、うめえうめえと言いながら食う。その声を聞いて庇間の猫。
「さァ、もういいから、食おう食おう」
八百八丁
「コウ、花の江戸というが、なぜだろう」
「知れたことよ。花は賑やかなものだ。江戸も賑やかに盛りなところだからさ」
「なるほど、お前は物知りだ」
「なんでも天地の間で、わからねえことがあったら、聞いてくれ」
「お江戸八百八丁というのは、なんのことだ。八百や千じゃきくめえ」
「あれか。あれはソノ、なによ、それ、江戸中で売れる豆腐の数よ」
手が長い
板の間かせぎ(湯屋の泥棒)、他人(ひと)の着物をきていると、番台の主人、
「モシモシ、着物がちがうよ」
「道理で、ゆきが短いと思った」
「ゆきが短いのじゃない。お前の手が長いのだ」
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パンフレット「近い将来必ず 南海地震に備えて」(春野町)より |
夜の稼ぎ
「そんな長年泥棒家業をやっていて、よくおてんとう様の罰(ばち)が当たらなかったな」
「当たらねえ筈だ、夜だけの稼ぎだからね」
金が敵
「よく人のいう事だが、金が敵(かたき)の世の中というが、お前はなんと思う」
「成程、いいも悪いもみんな金さ。だから己は、金を見るとじきにつかっちまうのさ」
「しかし、久しく敵にめぐりあわねえ」
さて、種田英幸氏のさし絵はいかがですか?春野町の消防団長の彼は、今月、「近い将来必ず 南海地震に備えて」という冊子を町から発行しました。カラーで、非常時の行動が毎頁彼のカットで紹介されています。色彩も楽しいですよ。 (2004.2.17)