夏は来ぬ(唱歌)
うの花の におう垣根に
ほととぎす 早も来鳴きて
忍音もらす 夏は来ぬ
さみだれの そそぐ山田に
早乙女が もすそぬらして
玉苗うるる 夏は来ぬ
たちばなの かおるのきばの
窓近く 蛍とびかい
おこたり諫むる 夏は来ぬ
あうちちる 川べの宿の
門遠く くいな声して
夕月すずしき 夏は来ぬ
さつきやみ 蛍とびかい
くいななき 卯の花さきて
早苗うえわたす 夏は来ぬ
(佐々木信綱 詞)
朝顔は(わらべうた)
朝顔は 朝開いて 昼すぼんで
やっさ振袖 袖の長さは 4尺5寸で
裾をからげて 岩へこしかけ
砂をつかんで あっぱっぱ(大阪)
夏の乳房4句
おそるべき君等の乳房夏来る
(西東三鬼)
浴衣着て少女の乳房高からず
(高浜虚子)
乳房やああ身をそらす春の虹
(富澤赤黄男)
乳垂るる妻となりつも草の餅
(芥川龍之介)
蝦夷の雷
蝦夷の雷さんは気短で、えらいあばれもんだそうな。
あるとき、アイヌの女がふたりほど、むしろを編む蒲を採りに草原へ行った。しばらくすると空にぽちんと黒雲が出た。見る間にそれは広がって、ゴロゴロと雷が鳴りだし、ポツン、ポツンと雨も来た。
なにかまうもんかと、女ふたりは採った蒲を沼地の水につけていた。
「雨が降ってもわたしらは働いているのに、雷さんは空をころげ回って遊ぶだけ」
「ほんとにしようのない雷だよ。ガラゴロ、うるさいったらないよ。遊んでばかりいないで、少しはわたしらのように働いたらどうだろう」
女ふたりは雷さんをののしった。
空の上で悪口を耳にした雷さんは、おこったのなんの。
シャーッ、ガラガラ、ドーン
地上にころげ落ちるや、女ふたりをつかまえ、髪の毛つかんで着物を引き裂き、素裸にして引きずり回した。
さんざん痛めつけられてから、ひとりの女の股にはどろの木の葉を1枚つけ、夕張の山奥へ吹き飛ばした。もうひとりの女のあそこにはかしわの葉をぺたんとつけて、十勝の方へぶっ飛ばした。
それでも気がおさまらず、女ふたりの家へ行って、そいら一面、あとかたもなく焼き払ってしまった。だから、今でもそこはシュマルッペ(まいずる草)しかはえておらず、地名もシュマルッペと呼ばれている。
(北海道 瀬川拓男・文)
乳房は消えた?
明治に入って、日本のすべての子どもが、教育を受けられるようになり、科目には、寺子屋になかった唱歌も入っていました。「夏は来ぬ」は歌人・佐々木信綱の作詞で、明治29年の「新編教育唱歌集」に入り、戦後、私たちも教わりました。
男どもが、どんとつき出た、おそるべき乳房に悩まされる夏になりました。伝統的な「侘び」「寂び」から自由になろうとした、新興俳句の旗手の一人、西東三鬼の代表作の1つです。その他、乳房を歌った芥川など文人の句を3ついれておきました。
これらの句の生まれた戦前、ブラジャーなどなかったので、若い女性のナマの乳房が見えることは多かったのです。
戦後数年して、高校の上級生の女子が高知市の病院に入院、そこでブラジャーを手に入れ、ぬいで見せびらかしていたことを思い出します。
その後、あっという間にナマの乳房を見る機会は少なくなりました。
夏は雷の季節でもあります。葉っぱで、アイヌの若い女性の大切なところをかくすのは、旧約聖書の人間のはじまり、アダムとイブの話にもつながりますね。5月の号でアイヌのビッキ蛙が、日本列島をつなげていると書きましたが、ここでのアイヌの女性の描き方は、世界をつなげているといえないでしょうか?
再話者・瀬川拓男氏は、戦後間もなく、人形劇団を設立、日本中を廻っていたとき、民話に出会い、当時の夫人・松谷みよ子氏に「龍の子太郎」を書かせました。「日本の民話」全12巻を松谷氏と共編、この話はその第2巻に入っています。瀬川氏は松谷氏のロングセラー「モモちゃんシリーズ」で、家族を捨てたお父さんとしても登場しています。さあ、種田英幸さんはどんな画を描かれるでしょうか。 (2004.8.2)
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