土佐のわらべうた
おなごの えらもん
おなごのえらもん 鉦たたき
鉦を 3つに 割ってみよ
はちきん
はちきん はちきん
ギャアス ギャアス
夜啼き=ちょっとエッチな土佐落語
明治の時分、今は春野町になった、土佐弘岡の大小路という集落に、豊吉という若い衆がおりました。当時の若い衆連中は、若衆組を作っておりまして、性教育なども、もっぱらこの組でしたもんです。
「おい。ぼつぼつ蛍の出る時期じゃが、毎年今頃になると、妙にのぼせてくるねや」
「それよ。蛍と聞いただけで、娘の浴衣姿が、目の前にチラツクきに、不思議なねや」
「娘の浴衣姿となると、オレは蝉の方がピッタリくるねや」
「ホリャ、また豊吉の蝉が始まった。豊吉は子供の時分から蝉狂いじゃが、皆んなァはどうなら? 娘の浴衣姿は蝉と蛍のどっちがピッタリくらァ」
「そりゃ蝉よ。なんというても風情がある」
「豊吉は蝉のどこが良けりゃ?」
「ウン、蛍は啼かんが、蝉は啼く…」
この若衆組は、女房を貰ったり、独身でも25歳になると、組から外される仕組みになっておりました。
さて、蝉の豊吉は甲斐性なし。25歳で独身のまま若衆組を定年になりましたので、叔父が心配してやってまいりました。
「豊吉。オンシは女房をよう貰わんうちに、若衆組を外されたつか?」
「ウン…」
「25にもなって、好きな女の一人も居らんかや」
「居らん…」
「ほんなら、オレが女房を世話しちゃるが、どんな女が良けりゃ?」
「蝉みたいに啼いてくれる女がエイ」
この叔父の世話で、豊吉はようやく女房を貰いましたが、注文をつけただけあって、その女はなかなか啼きっぷりがよろしゅうございます。
あんまり毎晩啼きますので、後家の母親から文句が出ました。
「豊吉よ。なんぼいうたち、嫁はもうピット、こまい声が啼けんもんかよ」
「お母ァ。そんなこというけんど、ワシの子供の時分、お母ァじゃち、存外啼きよったぜよ」
「アテも啼かんこともないが、ヒグラシばあの啼きかたじゃったぜよ」
「お母ァがヒグラシなら、ワシの女房は何ぜよ?」
「クマ蝉が百匹よ!」
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