子守歌
この子が泣いたら 俵に入れて
土佐の清水へ おくります
土佐の清水は 海より深い
底は油で 煮え殺す
(奈良)
節分の豆
子どもの頃、雷が鳴りはじめたのに、裸で走りまわっていると、
「雷にヘソを取られるぞ」
と、家に呼びかえされましたね。
雷からヘソを守るために、節分の晩にまいた豆を残しておいて、雷が鳴ると、急いで食べたそうです。
土佐の西、足摺岬の根元、清水の町に、松之助とお時という若夫婦が、細々と、駄菓子屋をやっていました。
お時が妊娠し、初産が近づいたので、大事をとって、実家へ帰しました。
家事も店番もろくにできない、亭主の松之助が目をつけたのが、近所で子守奉公をしている、お春という、16歳の可愛らしい娘。
「お春、子守をしながら、店番をせんか。賃にお菓子をやるぞ」
と、松之助はお春を誘いました。
何日かたったある日の昼過ぎ、突然、ピカッ・ドンと、雷があばれ始めました。
そして、とうとう、ピカッ・ドンと、庭先の松の木におちました。
「オンチャン(おじさん)、怖い」
と、お春が、松之助の部屋へ走り込んできました。
ところが、翌日から、雷が鳴りもしないのに、
「オンチャン、雷」
「押し入れへ入れ」
と、二人は毎日のように、押し入れにもぐり込みました。ある日、お春ともぐり込んだところへ、
「義兄さん、産まれたよ」
と、女房の弟が知らせてきました。
女房の実家へかけつけると、お時は、赤ん坊を松之助に見せながら、
「こないだの雷は近かったでしょう」
「ウン、庭の松の木へ落ちた」
「まあ、そのとき、あんたはどうしたの」
松之助は大あわて、
「お、おれは、雷よけのまじないに、押し入れで、お春の、その…、いや、節分の…」
「お春の、何?」
「豆を喰うた」
豆を喰っても
「土佐の清水へおくります」と、奈良の子守が、赤ん坊をおどかしているのは、古代、清水が流刑地として知られる、日本のはずれだったからですね。
土佐の高知でも、清水ははずれでした。画家の英幸さんや私たちの村をつくってくれた野中兼山が同僚に憎まれ、子どもたちが半世紀も流されたのも、この近くでした。
結婚していない娘の豆を喰うのはよくある話ですが、このあたりでは、産まれた子どもを欲しがる人が多くて、解決が早かったそうです。
年の始めから楽しい絵を描いてくれる種田英幸さんの本業は農家で、ハウスで野菜のとり入れで正月もありませんでした。そして町の消防団長で、元日から走り回っていました。今年もよろしく。
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