農業協同組合新聞 JACOM
   

コラム 今村奈良臣の「地域農業活性化塾」

改革への熱きエネルギーはどこに?

 戦後の日本農業は還暦を迎えた。
 みかけの体力はたしかに大きく落ちてきてはいるが、その60年にわたり培われてきた智力はなお衰えをみせず、国民に安全、安心な食料を供給しなければならないという熱情はなお全身にみなぎっているように見える。
 しかし、農業就業者の高齢化や耕作放棄地の激増に象徴されるような、いわゆる成人病とでも呼ぶべき症状が随所に見られるようになったことも確かである。
 還暦を迎えた現在、体力の落ちてきた原因はどこにあるのか、外部からは一見して見え難い内部にひそむ病因を突き止め、国民の負託に応えうる体力をいかに回復し充実させるべきか、その回春へのたしかな診断と的確な処方とが求められている。
 そこで、戦後日本農業の還暦に至る足跡を大きく振り返ってみよう。
 第二次大戦敗戦の年、農地改革への胎動がすでに始まり、翌1946年には農地改革の法制度が定まり、実施に移された。戦前の地主制は解体され、自作農の広範な創出による新生日本農業が誕生した。そして、そのエネルギーが飢餓にあえぐ日本国民に対して食料の供給を可能とさせる食糧増産への道につながったのである。
 さらに、小学校入学の年(1952年)には農地改革の成果を恒久的に維持するという目的のもとに農地法が制定された。しかし、1950年代後半以降の日本経済の高度成長の中で農工間所得格差が顕著となり、また食生活の構造も大きく変化する中で、高校入学の年(1961年)には、農業生産の選択的拡大や零細な自作農構造の改善などを内容とする農業基本法が制定されることになった。ついで、高校を卒業し大学に入学してそれを卒業する頃(1970年)には、米の減反政策が実施され、また、農地法の大改正も行われるような、農政の大転換期にさしかかっていた。
 不惑(1985年)を迎える頃を転機に、農業の国際化に急速なドライブがかかってくる。プラザ合意による急激な円高の進行と農畜産物輸入の増大、RMAによる米市場開放要求、ガット・ウルグアイ・ラウンド農業交渉の開始、その交渉をめぐる内外の激論等々、激動の時代であった。
 知命(1995年)を前にウルグアイ・ラウンド農業交渉は妥結し、WTOの発足を迎えた。
 こうした日本農業を取り巻く新たな国内外の枠組みを前にして新しい農業基本法制定への動きが始まる。97年の食料・農業・農村基本問題調査会の発足とそこでの2年余の討議を経て、99年7月に食料・農業・農村基本法が制定された。さらにそれを受けて、2010年を目標年次とする食料・農業・農村基本計画が策定され、21世紀初頭の食料・農業・農村政策の基本政策が決定された。
 しかし、還暦を迎えた現在、この食料・農業・農村基本計画の5年ごとの改定作業がいま進められつつある。検討されるべき課題は多岐にわたるが、さしあたり列記すれば(1)食料自給率の停滞、(2)食料の安全性をめぐる問題、(3)WTO、FTA等国際農産物貿易交渉、(4)望ましい農業構造の実現、(5)米政策改革、(6)農地制度のあり方、(7)資源・環境保全等多面的機能の充実、(8)農政システム改革、(9)農産物流通システム改革、(10)JA改革など多岐にわたる。とりわけ、食料・農業・農村政策審議会企画部会でいま重点的かつ集中的な論議の焦点となっているのが、(1)品目横断的改革への転換、(2)担い手・農地制度の見直し、(3)農業環境・資源保全政策の確立、の3点である。
 これらの課題については、いずれ本欄でも論じるつもりでいるが、最大の焦点は「農業改革の推進力」の解明にあると考えられる。そのために、いま私は、農村の現場に旧知を訪ね、先進農民の智恵を探るため手弁当で全国行脚を続けている。還暦を迎えた日本農業の改革への熱き新たなエネルギーの核心はどこにあるかを求めて。

(2004.9.16)


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