農業協同組合新聞 JACOM
   

コラム 今村奈良臣の「地域農業活性化塾」

「1村1農場を推進しよう」
(農)サカタニ農産に学ぶ

 「1村1農場」を実現することが、当面する私の課題だと考えています。先日、お訪ねした折、こう語ってくれたのが富山県福野町(現南砺市)にある農事組合法人サカタニ農産代表の奥村一則さんである。
 サカタニ農産の経営規模は117.3haであるが、行政区ごとに分社化しており隣接する小矢部市に有限会社やまだカントリー・オヤベを、砺波市に有限会社ヤマダ農産を設立して地域分担型の分社化を図ってきたが、これら3つ合わせたサカタニ・グループ全体では264.1haというわが国有数の経営規模に達している。そのうえ、このところ毎年6〜8haずつ経営面積は増え、利用権設定の期限も10年というように長くなってきているという。この3社に(有)サカタニ造園土木を加えて、サカタニグループを作っている。
 「1村1農場」という場合の「1村」というのは旧村の範囲、あるいは小学校区という、日常的面識集団の範囲ということであろう。いま全国的に話題になっている「集落営農」をはるかに超える方向をめざしているのである。
 いまを去る36年前の1969年1月、大雪の中を私は生まれて間もないサカタニ農産の先代代表の故・酒谷実さんをお訪ねしたことがある。その時、「信用が第一」、「人は財産」、そして「二人のお客様」と言われたことがいまでも頭に残っている。「二人のお客様」の一人は農地を貸してくれる農家であり、いま一人は生産物を買ってくれる消費者ということである。
 この3つの信条を奥村一則さんは引き継がれ着実に実践されて、いま「1村1農場」をめざしておられるのだと思う。全国稲作経営者会議の会長などもされて過労がたたったのであろう酒谷実さんが急逝されたあと、甥の奥村一則さんが代表に就任されサカタニ農産は一段と飛躍された。奥村さんは当時国鉄マンであったが乞われてサカタニ農産代表に就任された。そして信条は先代の教えを踏まえ、実践は国鉄マンとして培った合理的精神をいかんなく発揮されているように思う。
 簡潔に経営活動のきわだった特徴を述べてみよう。
 (1)りんごを植えて委託農家などの高齢技能者に働いてもらい楽しんでもらう。町史を調べて開町以来作られてこなかったりんご(現在1.9ha)を植え、ゲートボールや温泉ではなく、雇用の場を作った。その用地は50年間3代借地契約をした。りんごの他にハウス桃やハウス野菜もやり、年間700〜800日雇用を地主である高齢技能者や女性のために創り出している。もちろん水路や畦畔管理なども希望に応じて部分的にだがお願いしている。
 (2)「人は財産」、「農業は心を耕す産業」という先代の遺訓を守りつつ、若者に魅力ある農業経営の実現をめざしている。現在、後業員24人中6割は非農家出身者(県外1人)、いずれも20〜30代の若い人で女性は5人。給与は地方公務員水準、賞与は3.4〜4カ月。厚生年金、労災保険、あるいは退職金等社会保障制度は完備している。入社4年目から出資することができ、従業員→組合員→理事→分社(のれん分け)という努力次第で発展しうる道が作られている。農業を継ぐのは親子でなくてよい。人材こそがいま農村に求められているという考え方が徹底している。
 (3)生産調整は割り当て以上に実施している。割り当ては72ha余りだったが100haの転作を行っている。機械の能力からみれば、従業員1人当たり15haは可能なのだが、いまは10haであって、まだ規模拡大して経営効率を高めたいと切望している。
 (4)JAとの関係はうまくいっているし、販売戦略をこれからさらに練りあげたい。JAからは肥料は7割、農薬は半々というところだし、米の販売では7割をJA共販へ、3割を自己直接販売している。直接販売の売り先は27、卸売5、小売店22でいずれも信用できるところだ。減々栽培の「ワールドエース」という銘柄で売っている。販売は分社も含めサカタニグループ1本で行っている。JAとは、色々の分野で話し合いが重要だと思っている。
 (5)この北陸では冬は農閑期と言われているが私どもにとっては、大変な繁忙期なのだと言う。委託者へのお礼、新しい委託者の開拓、さらに経営・財務の点検・総括、今年度の反省・改善の課題、次年度の詳細な計画の策定など、息つく暇もない程の繁忙期で、こういう検討の中から新しい飛躍が生まれてくると言う。
 さて、以上紙数の制約でサカタニ農産の活動を垣間見る程度で終わることにして、「1村1農場」を考えるにあたって時間軸、空間軸という双方の視点から世界の歴史的経験をふり返っておく必要があろう。
 イギリス型農場制農業の確立は18世紀後半から19世紀初頭にかけての第2次エンクロージャー(囲い込み)が原型である。地主、大農による強権力を背景とした小農や小作人の追放による土地収奪と集積、そして広大な共有地の囲い込みにより成立した。追放された無産の農民は折からの産業革命を担う労働者へと転化していったのである。
 アメリカ型農場制農業は西欧からの移民によるライフルやピストルによりインディアンの追放によって土地を囲い込み、さらに1862年のホームステッド法により、とりわけ中西部の広大な国有地の無償による払い下げによってアメリカ型農場ができ上がった。そして農場はライフルにより守られたことは数多くの西部劇に見ることができよう。
 他方、ソ連のコルホーズ、ソフォーズ、東欧諸国の農業共同化、さらに中国の人民公社は共産党政権による上からの強権的・指令的産物であり、それらはすでにもろくも崩れ、農民に甚大な悲劇をもたらしたことはもはや説明不要である。
 それに引きかえ、奥村一則さんの説く「1村1農場」は灌漑農業、分散錯圃という日本農業の特質を踏まえ、それらを前提に委託農家である地権者や地域住民との話し合いと合意により、強権力やライフルではなく平和的に合理的農業を可能とする世界史上類例のない地域の内発性にもとづく日本型農場制農業の実現をめざしているのである。
 いま全国各地で討議と実践が深められている集落営農や特定農業法人などの推進者の皆さん方も、是非この奥村一則さんの構想を研究して実践に移して頂きたいと切に希望する。

 
(2005.10.28)


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