私の「ガッツ伝説」
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ガッツ石松は現在大変な人気者である。
この映画のロケに参加していた頃、去年の刈り入れ時期にはまだ例の「ガッツ伝説」は世に出ていなかったが、それでも初めて山形南陽市の赤湯温泉に現れた時には、大勢の客や旅館の従業員にまで取り囲まれ、サイン攻めや記念写真で大変な騒ぎになった。
それでもイヤな顔一つせずそれに応じていたガッツは、多分その旅館に宿泊した誰よりも評判が良かったのではないだろうか。思えば苦労人である。考えてみれば私とガッツの仕事上の付き合いも早7年になり、最初が「稚内発・学び座・ソーランの歌が聞こえる」の非行学生の息子に鉄拳を振るう父親。その次が「親分はイエス様」で入れ墨のクリスチャンたちの十字架行進に参加するトラック運転手、そして今度の「おにぎり」では青刈りの雇われ人で、主人公の若い娘の恨みを買う役と、いずれも個性的で存在感のある役を見事にこなしている。
私たちスタッフはガッツを信頼し、キャスティングの際もいつでも何かガッツにやって貰う役はないかと探すようになり、ガッツもまた私の作品なら何でも出ると公言してはばからない。彼はスタッフの中でもまた人気者なのである。
「ガッツ伝説」の中身も真実かもしれないが、私たちにはもう一つの一般の人にはあまり知られていない「ガッツ伝説」がある。はなわ君の伝説があまりにも面白く有名になってしまったためにいささか消されてしまいそうだが、私たちが彼に惚れ込んでいる要素の一つに人間として貴重な生真面目さがある。北海道の最北端・稚内市のホテルで、ほとんどアルコールを飲まないガッツと、子どもの非行について語り明かしたことがある。詳しい内容は忘れたが、当時私たちの撮っていた映画「学び座」の話から一般論になり、非行が起きる理由からその対応に至るまで、実体験に基づいたガッツの理論には極めて説得力があり、同席していた私の家内などはすっかり感動し、その後私は映画を離れ、そのガッツの若者への熱い思いを軸にステージで大勢の観客相手に教育論を企画し実行したのだが、当日は何故かガッツが非常にあがってしまい、私が何度も額の汗をハンカチで拭ってあげた記憶がある。思えばいい人である。
「おにぎり」の撮影の時も、その前夜旅館の一室で日本の農業に対するガッツの考え方から、ズバリ青刈りに対する意見まで食事を共にしながら話し込んだ。
「現在の農業では青刈りは必要だと思う。生産調整はできればやらない方がいいけど、そういう世界を指向しながら過渡期ではしょうがないんじゃないの。お前どう思う?」ガッツは隣の息子さんに尋ねた。「僕にゃ解らないスよ」と息子さんは笑ってはぐらかしていた。しかしガッツは相変わらず真剣で、目の前に並んだ旅館のお膳を指さし、「俺たちがこんなご馳走を食べられるのも、そういう苦労を皆さんがして下さるお陰なんだ」と真顔である。
今の世の中で実際のところこんな会話は聞く機会が少ない。これを笑い話とするか、本音として受け止めるかで世の中の見方が大きく変わる。私はガッツと同じ本音で聞く方である。その夜は久しぶりに歓談した私はガッツとの本音トークを楽しんだ。
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翌日の撮影は天候にも恵まれ、順調に進んだ。「人殺しー!」といって少女は絶叫し、青刈りのコンバインの運転手のガッツを罵倒し、ガッツはむきになって「これがあるからコメの値段が守れるんだ。もっと農業のこと勉強しろッ!」とやり返す。どう見ても対決する二人は本物、演技という枠を越えていた。
日本農業における矛盾の一端を表現するのに、これほどの適役はいなかったと思うのは、もしこの役を通常のベテランが演じたら、この青刈りの男の役は、単なる悪役というだけの図式になりかねない。生真面目なガッツが本気でむきになるだけに、観客は男の人柄を知り問題の矛盾点に視点が届く。
それに驚くことはこの場面、ガッツが脚本4ページに及ぶ長ゼリフを全くNGなしで一発OKで演じたことである。
「よくあれだけ覚えたね、あの長ゼリフ」私が傍らの息子さんに言うと、「幾日も前から大変でした。昨日のここへ来る新幹線のなかでもまだやってました」という答えだった。
私にとって「ガッツの生真面目伝説」が、また1ページ増えた。
(2004.12.27) |