農業協同組合新聞 JACOM
   

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俳優「須貝智郎」のデビュー(その1)

斎藤監督と須貝智郎さん(左)
斎藤監督と須貝智郎さん(左)
 映画は総合芸術だと言われている。監督一人でできるものではなく、またスター一人でできるものでもない。いろんな種類の、いろんな立場の人たちの力が結集されて初めて完成する。今回の映画「おにぎり」では特にその想いが強く、プロもアマチュアも、裏方も表方も、製作に携わった全ての人たちの努力こそがこの作品の支えだった。
 中でも特筆すべきは出演者の一人、須貝智郎さんの力である。彼の存在がなければ、この映画は実現しなかったと言っても過言ではない。
 評論家の白井佳夫氏は驚異の新人と言い、映画翻訳家の戸田奈津子さんは決して忘れられない山形の怪優と言い、黒木和雄監督は素晴らしい詩の作者と絶賛してくれた。映画初出演の人物、しかもアイドルでもない中年の農夫が、これほど注目されるのも珍しい。しかし私に言わせてもらえればそれも飽くまで表方の、つまり俳優としてキャメラに写される側の評価で、実際の彼の貢献度はむしろ画面に見えない部分、つまり裏方に回った場合の功績の方がはるかに大きかった。
 農業が本職であるため、撮影全般にわたる農業指導から農機具の提供、美術交渉から衣装の選定、土地っ子ならではの天気予報から、他の出演者たちの方言指導(これは須貝さんの奥さんの功績が大)。さらにはタイトル文字の作成からラストシーンに登場する生まれたばかりの赤ちゃんの提供(撮影可能ぎりぎりの生後4日目のこの赤ちゃん、実は須貝氏のお孫さんである)から、お疲れ会の宴会係。そして本来の起用目的であるキャメラ前で演じ歌う俳優業と…一体一人何役だったのだろう。考えてみれば我々映画人は抱っこにおんぶ、全て彼に頼り切っていたような撮影だった。
農業指導する須貝智郎さん
農業指導する須貝智郎さん
 須貝氏と私が出逢ったのは、私が山形に通い始めて4年程経ってからである。私が会長をしている東京・八王子市の文化連盟と、山形県南陽市の文化連盟との交流会が企画され、その席上南陽市側から紹介された副会長が須貝氏だった。もちろん歌手としても当地ではかなり有名で私も名前だけは知っていたが、実際にお会いしてみて忽ちその魅力に取りつかれた。何よりもかなり辛酸を舐めたであろう「出稼ぎ時代」を体験していながら、それが屈託なく喋れる明るさ。そして本業である農業に対しても全く負のイメージがなく、とことん農業を信じ愛していること。「監督、俺たちはどんなことがあっても絶対生き残る。俺たちの食う分のコメだけは俺たちが作ってるんだから」といって笑う須貝氏の言葉はそのまま映画の中のセリフとして使わせてもらった。もっとも「自分本位の考え方だけど…」という但し書きはつけたが、この彼の自分本位と誤解されそうな言葉の裏に潜むしたたかな農民魂に私は感動した。逆境を逆手に取った逞しさ、これはそれまで出逢ったどんな農家の方よりも強烈なインパクトを私に与えた。
 かくして「大日本生き残り隊」構想は須貝氏のヒントで生まれ、また彼の周辺にはそういう若者が大勢集まり、須貝氏をカリスマにして集団生活をしていた。その後私は自分のスタッフを手始めに出演する俳優さんに至るまで、順次須貝氏を紹介し、その反応を密かに観察したのであるが、全く例外なく、一人残らず須貝氏の人柄に惚れ込んだ。決してそのキャラクターだけで農業の抱える諸問題が解決できるとは思わないが、少なくとも暗く悲観的なスタンスよりは問題の正しい解決に近づけるのではないか。
 以後須貝氏に会う回数が増え、話し合う内容が深まるにつれ、その思いはますます強まった。これでは原作者のタイトルにも彼の名前を出さなくてはならない。 (2004.8.4)


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