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塩味をもう少し… なかには栃木県の農業の方で、偶然銀座の劇場でご覧になって、すっかり感激、その後は他県の上映会にまで足を伸ばし、既に数回見ていただいている奇特なご夫婦もいる。いつの間にか私たちスタッフとも顔なじみになり、公然と「私たちはこの映画の追っかけですわ」といって自ら大笑い。おまけに栃木県名物のコンニャクなどもミヤゲにいただき、ゲスト参加の出演者、浅茅陽子さんなどは大感激だった。 また、名古屋地区の上映会では、上映後行われた「国際コメ年」記念座談会で司会をした新聞社の方が、すっかり私と意気投合、「よくぞ、こういう映画を作ってくれた」と、今ではお互いに名古屋と東京の八王子を行き来して、酒を酌み交わしては農業と日本映画につい論じる楽しい仲間になった。 誠に1本の映画が人間と人間を結びつけ、知らない世界へとお互いの視野を広めているのである。 ところが、そんな良い話ばかりでもない。 ◇ 埼玉県の所沢での上映会では、後日送られてきたアンケートを見て愕然としたことがあった。「“おにぎり”にもう少し塩味が欲しかった」という苦言が目についたからである。アンケートの大部分が感動・感激の言葉で埋められているなかで、この言葉は気になった。それは私の映画作風で時々起こる問題で、私の映画では決して物事を過激に押しつけたり、一刀両断でその傷口を見せつけたりという手法は取らない。あくまで自然にテーマを観る人の心の奥底に浸透させるという語り口である。 かつて、黒澤明監督から絶賛された私の「旅の重さ」などがその例で、映画の結末がハッピーエンドなのか、アンラッキーなのか、それも観る人の判断にまかせるという手法である。 それでも昔学生運動が盛んだった頃、結構彼等の中に私の作品の支持者が多く、キャンパスに呼ばれることが多かったが、なかには過激な学生がいて「もう解りましたよ、監督の意図は。でも僕らはそんな社会の不条理よりも、早い話、監督から右の頬でも左の頬でも、どっちでもいいから早く横面をぶん殴って欲しいんですよ。僕らはそれを待ってるんです!」と私に食ってかかる奴がいた。「バカ!そんなこと言ってるからヒットラーが現れるんだ」と私もやり返した。30年前ぐらいの前の私まだ若かりし頃の話である。 近頃の暴力全盛のアメリカ映画や、日本映画でも興業的にはより刺激の強い映画をと求められる時代、「おにぎり」のような作品はやはり理解しない客もいるんだなと私もいささか落ち込んだ時、その話を聞いた関係者が、「違いますよ、監督、あれは映画のことではなくて、あの会場で宣伝のために客に出した“おにぎり”のこと。あの“おにぎり”の塩味がなかったことへの苦情なんです」と私に説明した。 私の家の近くに行きつけのラーメン屋があり、そこのオヤジが、「監督さんいいですよ、どうぞ映画のポスターを持ってきて下さい。客の目につく場所に貼りますから」と親切に言ってくれたことがある。後日その反響を聞きに行くと、貼ってあるはずのポスターがない。オヤジが苦笑して、「困りましたよ、お客がポスターを見て、そうかこの店、今度“おにぎり”も始めたのか、よし今日は“おにぎりを一丁”なんて言うんですよ。そのたびにお客に謝って…」とぼやいた。そうか…、私としては近頃出色のタイトルであると同業者に褒められたポスターも、反対にラーメン屋ではオヤジには親切を仇で返したようなことになった。上映会のアンケートで誤解した私も決して他人のことは笑えない。 しかし、いいタイトルだと思うけどなあ。よし、この映画「おにぎり」の知名度がもっと上がれば、そんな悩みは消し飛ぶ。頑張ろう。また次の上映会が待っている。皆さんよろしく。 |
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(2005.3.11) |
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