ムイ・ビエン!セントラル・ニッケイ
日系農業協同組合中央会は、パラグアイの日系農協の連合組織として、パラグアイ国の「協同組合法」に基づき設立されました。経済事業、信用事業、指導事業を行う組織です。セントラル・ニッケイの呼び名で、全国的によく知られています。パラグアイの政界、経済界からも、「ムイ・ビエン!セントラル・ニッケイ(素晴らしい!日系中央会)」とその存在が高く評価されています。
この国の協同組合は、協同組合法によって三段階に区分されます。第一級区分が単位協同組合で、信用協同組合、生産協同組合(農協)、消費者協同組合(生協)、利用協同組合、事業協同組合(トラック、バスやタクシーの輸送関係の組合等)があります。第二級が中央会で、経済事業、信用事業など各種事業を行う組織。現在、日系中央会も含めて、全国に7つの中央会があります。
また、対外活動と指導事業を中心にした連合会があり、とくにドイツ系の農協連合会(フェコプロッド)は、最強の圧力団体として有名です。日系の4農協が加入し、副会長などの役員も送り込んでいます。
最後の第三級が、協同組合法で定める協同組合連盟(コンパコープ)。日本の農協における全中といえるでしょう。第二級の中央会と連合会が設立する指導機関で、類似の機関の存立を認めない全国唯一の組織と位置付けされています。
◆影響力発揮の日系中央
日系中央会本部の農協会館は、アスンシオン首都圏の南部フェルナンド・デ・ラ・モラ市という閑静な住宅地にあります。アスンシオンの中心から、車で30分、監督官庁である「国立協同組合院」まで10分の便利なところにあります。
約1500坪の敷地に、中央会事務所のレンガ造り建物の本館と、とんがり帽子屋根のある果物、野菜などの集配センターがあります。さらに、三大都市に、中央会運営の農産物販売所が設けられ、主として野菜と果実を販売しています。本館には、中央会の事務室、役員室、加入農協の宿泊施設、大会議用のホールなどが整備されています。
1980年9月の創立で、初代会長は、ピラポ農協の小田義彦氏、15年在任でした。2代目会長を引き継いだのは、イグアス農協の久保田洋史氏、3代目会長は、ラパス農協の田岡功氏という顔ぶれ。初代小田会長は、中央会草創期に、混迷するパラグアイ経済の中で、強い個性を発揮して日系農協発展の道を切り拓きました。2代目の久保田会長(東京農大OB)は、加入農協間の交流を深め、難しい経営状態の克服のため事業連携を強化し、カーギルなど穀物メジャーに対抗し、大豆の生産と流通の改善強化に尽力した人です。現在も中央会相談役として、政府側、ヨーロッパ系農協陣営から信頼されています。
田岡功現会長は、ラパス市長でもあり、日系社会きっての政治家ですが、9月上旬に駐日パラグアイ全権大使として赴任されます。
中央会事務局のまとめ役は、松岡章夫参事。東京九段の暁星中学・高校、日大経済の出身で、大手商社の駐在員として着任した後、帰国命令に従わず永住を決意して日系農協中央会のベテラン参事として活躍中という異色の人物です。パラグアイ人の奥さんとの間に2人のお子さんに恵まれた良き家庭人です。特筆すべきは、パラグアイの先住民族言語のガラニー語の達人。タフネゴシエーターとして、商談や政府との折衡など重要な局面で欠かせない人物です。
顧問会計士の永井初治氏(元参事)が、財政経理を預かっています。国立アスンシオン大学経済学部の出身で、国立協同組合院の業務推進にも深く参画するなど行政機関から信頼されています。
毎日、日系人ばかりでなく、パラグアイ人も大勢来訪しますが、女性職員とともにスペイン語で明るく対応する姿には、パラグアイ在住の年輪が醸し出すラテンアメリカの熱情が伝わってきます。
(NPO法人国際開発フロンティア機構会長 山内偉生) (2004.8.11)
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