農業協同組合新聞 JACOM
   

コラム 日系農協の底力を見た!(9)

南米最大の農業国ブラジルで活躍



◆135万人にのぼる日系人

 1908年、笠戸丸で791名の日本人が、ブラジルに移住しました。以後、計画的に移住が進められました。多くの移住者は、農業移民でコーヒーやサトウキビのプランテーションの契約雇用労働者でした。日本人移住者数は、累計で30万人を超えるに至ったのです。
 劣悪な労働条件の下にもかかわらず、日本人移民は、持ち前の勤勉性と明敏性で、次第に頭角を現し自営農家として独立し、パトロン(大農場主)になる人が出てきました。まさに、「日本人、ここにあり」の気概を南米の大地で発揮したといえるでしょう。
 現在は、二世、三世、四世と世代は移りつつあり、日系ブラジル人は約135万人を超えると推定されています。
 当初、農業を目的とした移住がほとんどでしたが、ブラジル社会に順応する間に、優秀な日系人は、そのほかの分野でも大きく進出しました。たとえば、経済界、政界、医学界、法曹界で成功した人、軍や警察の幹部になった人など輩出して、ブラジル国家の発展に寄与しています。
 なかでも、農業分野での日系人の貢献は、ヨーロッパ系移民とともに特筆すべきものがあります。とくに日系人は、野菜、果物、香辛料、コーヒー、綿花、フェイジョン(豆)などの栽培で、生産性の向上や品質の改善で市場の信頼を得ました。その後、トウモロコシ、小麦、大豆などの畑作物の不耕起栽培で大規模経営化に成功し、ブラジルの穀物輸出の振興に多大な貢献をしています。
 日本人移住者の農業経営の定着拡大にともない、日系の農協が全国的に組織されていったのも当然でしょう。連合会として、コチア産業組合中央会と南伯(スールブラジル)農協中央会が活躍したことは周知のところです。1960年代には、全中が2500人を超える「コチア青年移住」を行った経緯もありました。

◆深刻な経営危機を乗り切った日系農協

 日系農協の大きな連合組織であった「コチア産業組合中央会」(略称コチア)と「南伯農業協同組合中央会」(略称南伯)が、1994年に相次いで解散。日系の「南米銀行」も倒産したため、多くの日系農協は経営不振に陥り、大きな試練に直面しました。
 コチアや南伯の全盛時代には、傘下の日系農協は90を数えていました。コチア青年の中からも、大規模農業経営に成功した人も多く誕生していますが、ブラジルの経営危機を契機に、コチアと南伯の倒産が拍車をかけ、日系農協の前途は暗転しました。
 そうした危機的状況にあっても、苦境に耐えて日系農協は復活の道を力強く歩んでいます。再建目覚ましい農協を紹介しましょう。

◆地域振興の旗手、コンパセントロ農業協同組合

 「コチア」の崩壊の翌年、95年の10月にコチア時代の日系組合員21名が、コチアの施設を引き継ぎ、債務弁済を覚悟で苦渋の決断をして新しい農協を設立しました。現在は、128名の組合員(50%が日系人)が加入しています。組合員は、それぞれの農業経営の規模拡大に努力するとともに、農協の内部留保積立てを逐年励行して財務基盤強化を図っています。
 主な取り扱いは、大豆3万トン、トウモロコシ3万トン、小麦3000トン、綿花300トンと大きいものがあります。
 理事長の城田芳久ジョセさんは、日系二世44歳の若き指導者です。ブラジル人の妻との間に3児に恵まれ、日本語学校の校長先生を勤めるお母さんと同居する円満な家庭人です。城田さんは、組合員の「絆」を一層強くし、国際市場での信頼を得るように栽培技術の向上を図り、さらに、地域の活性化のためにコンパセントロを発展させたいと意欲を見せています。
(NPO法人国際開発フロンティア機構会長 山内偉生)

(2005.1.21)



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