農耕民族の美学
最近、なかなか味のある言葉が目に止まる。農政確立全国代表者集会(8月28日)で、門傳JA全青協会長が「土健やかなれば農健やかなり、農健やかなれば食健やかなり」と先人の味わい深い言葉を引用された決意表明。
だいぶ前になるが、JA全中の宮田新会長が打ち出した〈三つの新しい風を送るJA〉、(1)安全とやすらぎの風を国民・消費者に送る、(2)改革の風を農家組合員に送る、(3)地域社会へ元気な風を送る。じつに良いスローガンだ。
先日の朝日新聞(夕刊)のコラム“経済気象台”では、「農耕民族の美学」という記事があった。コメの国日本は農業の思想を軸にして、価値観や美意識の足並みをそろえて発展してきたが、昨今は他人が育ててきたものを研ぎすました武器で奪いとる狩猟型の発想が台頭してきているという。
たしかに、近ごろは、農耕民族の美学といわれる勤勉・実直であり質素倹約であり、コツコツと額に汗して働くことが尊いという日本人の美意識が崩れてきている。何より、頭の構造がおかしくなっている。曲がったキューリはいらない、虫のついたコメはダメといいながら、農薬散布はまかりならないという矛盾した精神。
コメが余るから転作で麦や大豆をつくる。しかし、長く外国産にならされてきた国内の実需者は、やれ品質が悪い、値段が高いとかで、自給率1割にも満たないこれら国産を買いたがらない精神。
なぜだろう。日本人がいつのまにか、農耕民族から狩猟型の民族に変わってしまったせいか、日本農業を支える農家の高齢者層を除いて、日本人すべてが「農の心」を忘れてしまったところに、その原因があるような気がする。
「食と農の再生プラン」の工程表なるものも、農と工を一緒くたにした狩猟型の発想。パフォーマンスばかり目立つ小泉首相は、まさに、ライオン宰相。失政に何一つ責任をとらない武部農相には、日本人の魂である「潔良さ」の欠片もない。
JA全中の宮田会長が先に唱えた「農の心」を取り戻す取り組み、今度の〈三つの新しい風〉の実践が、日本人に「農耕民族の美学」を取り戻すに違いない。われわれは、紛れもなく、額に汗して働く農耕民族。DNA鑑定で調べても確かなこと。
(だだっ児)