昔から、怖いものの代名詞として「地震・雷・火事・親父」といわれてきたが、インターネットで調べると、親父は『やまじ(山嵐)』(今の台風の意味)がなまったらしい。したがって、この4つは、全て自然災害。近年は、これに「異常気象」を加える時代になったようだ。
今年の夏は、ヨーロッパは暑さにうだり、日本は雨続きの冷夏。このため、米どころの北海道や東北3県(青森・岩手・宮城)は「著しい不良」、「平年並み」は数える県だけ。日本列島は10年ぶりの米不作が決定的。10年前の「平成米騒動」が頭をよぎるが、そのときと違って、今年は米の在庫が国民全体の消費量の3カ月分もあるので、安定供給に支障はないと政府は懸命にPR。
たしかに、米の消費量も減っており、北朝鮮に拉致問題の見返りに米をせびられなければ、量的には、大丈夫かもしれない。でも、当時と似て非なることは、銘柄、ブランド信仰の浸透。おまけに、コンタミ(異品種が混じること)だ、DNA鑑定だ、トレーサビリティだ、と健康に何の問題もないことに過剰反応、いや、異常反応をみせる昨今の世相。銘柄、ブランド信仰に浸りきった消費者が、果たして、何年も前の政府の古米を口にするだろうか。
8月最後の日曜日、近所のスーパーを覗くと、宮崎産コシヒカリの新米は5キロ1980円、そして地元産のコシヒカリ(古米)が、5キロ1680円で山積み。新米は、予約でうけたまわりますとのノボリ。客は、米の不作を知ってか知らずか、値段も普通で店頭に山積みにされているせいか、米袋にあまり手が伸びない。いや、米がなくても食べ物には不自由しないと思っているのかもしれない。
国は国で、地球温暖化のなかで、まさか冷夏が襲うとは、露だに考えず、米政策改革も食糧法の改正も、米余りを前提にした対策ばかり。生産調整は、生産者団体に押し付け、米の需給責任を放棄した矢先の米不作。が、米の不作で政府持越し古米の在庫が捌けるので、痛くも痒くもないのが本音だろう。
それが証拠に、農水省は、食料自給率を2010年度までに45%に引き上げる目標を掲げた食料・農業・農村基本計画を見直すという。自給率目標を引き下げるのだろう。食料危機を回避する担保が自給率向上なのに、それを下げるとは、なんとも不思議な国だ。「災害は忘れたころ」どころか、異常気象で「災害はいつ来てもおかしくない」のに…何度も同じ失敗をする、学習効果ゼロは国民性?
(だだっ児) (2003.9.10)