「えりもの春は世界一です」。これは先日、NHK「プロジェクトX」でみた北海道えりもの昆布漁を復活させた話。砂嵐で真っ赤になった海を、50年に及ぶ植林で、みごとに緑の海に蘇がえらせ、「何も無い春」から「世界一の春」になったドラマである。先頭に立ったリーダーの飯田常雄さんの顔に刻まれたしわに苦労がしのばれる。古武士を思わせるすばらしい顔だ。
「りんごより我を生かす道なし 我この道を行く」。これは11月放送のりんご「ふじ」に命を賭けた斎藤昌美さんの苦闘のドラマ。今でこそ、「ふじ」は生産量世界一を誇る世界ブランドだが、その裏には尋常ではない長い長い苦闘の歴史がある。りんごの大木を枯れさせる「高接ぎ病」の発生、りんごより糖度が高いバナナの自由化(昭和38年)、りんご価格の大暴落(昭和43年)などの困難を克服し、生まれてから世に出るまで、実に20余年の歳月を費やしている。「新品種開発以外に青森のりんご産業が生き残る道はない」という斎藤さんの揺るぎない信念が世界一のブランドを産んだ。
「木枯らしが吹けば色なき越の国 せめて光れや 稲コシヒカリ」。これは10月に放送された同番組の「コシヒカリ誕生秘話」物語。コシヒカリは、昭和31年に新潟県で「越後の国に光り輝く」という願いをこめて、奨励品種に指定されたが、「味は良い」ものの、いもち病に弱く、倒伏しやすい欠点をもつ。おまけに、当時、世は「米の増産」時代。
そこに青年農家、小林正利さんが「貧乏な村を救うにはこの米しかない」と、農業試験場の杉谷職員と開発に加わった。土を掘れば石ころばかりの痩せた魚沼の土地は、この品種の生育には最適だったという幸運にも恵まれ、二人の懸命な努力が今日の魚沼コシヒカリ伝説、いや、日本人の「うまい米が食べたい」という願望を実らせたのである。
日本は島国。農・漁業主体の国づくりをしないと、地方経済はますます痩せ細り、日本経済はいつまでたっても回復しない。今、この国のやっていることは、逆。「農業分野は避けて通れぬ」とFTA交渉で自由化を推し進め、企業の農業進出を許し、家族的農業を切り捨てる。農協は資本主義社会のお荷物と言わんばかりに攻撃。そして、不戦を誓う憲法の解釈を捻じ曲げ、イラクに自衛隊を派遣する。この国は一体、何処へ行くのか。先人たちの農・漁業に賭けた気概、苦労を台なしにしてはなるまい。ともあれ良いお年を。(だだっ児) (2003.12.18)