“ニッポンが足りない”
小説「世界の中心で、愛をさけぶ」が「セカチュウ」、テレビドラマ「冬のソナタ」が「冬ソナ」とかの変な日本語が今年の流行語大賞に入賞。この2つのキーワードは“純愛”。ハナコさん世代ならともかく、純愛にはとうの昔に卒業した筈の中高年のオバサンが「冬ソナ」にはまり、主演男優の“ヨン様”を「追っかけ」る。
韓国では、この日本の中高年女性の大騒ぎをみて「日本人は理解できない」「家庭に何か問題があるのでは」というのがもっぱらの評とか。某週刊誌は、ヨン様にのめり込む中高年女性の数と熱意はそのまま“どれだけ世の夫が、妻を女性として扱っていないか”のバロメーターと分析。当らずと言えども遠からず?オジサンさんはオジサンで、長年の仕事中毒がたたり、年金生活になると昼飯一つつくれない粗大ゴミ、女房の行動には「触らぬ神にたたりなし」の態。
一方、21世紀を担う若者たちはどうか。フリーターの数は400万人ともいい、「大卒フリーター」も毎年20万人にのぼるという。おまけに「学校も行かない、就職もしない、就業の行動も起こさない」ニートなる新語もおめにかかる。30代でプロ野球球団を買う大金持ちもいれば、いわゆる「負け組」が急増。「パラサイト・シングルの時代」の著者・山田昌弘氏は、この「負け組」の絶望感が引きこもりや反社会的犯罪を生み、日本を引き裂くという。どうやら日本は大変な世の中に向かいつつあるようだ。
オバサン族の軽薄さ、オジサン族の仕事ぼけ、迷える若者たち、日本人は一体何処へ行くのかと、ぼけオジサンでも思う。作家の佐藤愛子さんが、こんな日本人を憂いて「日本人の一大事」なる本でしゃべっているが、「親教育の必要」やら「便利は人をアホにする」など痛快。とくに、ここ10年、日本人の精神性はどんどん悪くなる一方といい、この本で『日本は貧しい。しかし、高貴だ。地上に決して滅んでほしくない民族をただ一つあげるとすれば、それは日本人だ』(フランスの詩人ポール・クロデール)を紹介しているが、耳が痛い。
「衣食足りて礼節を知る」という諺があるが、今の日本は逆。「衣食足りて礼節を忘れる」の感。「日本酒で乾杯推進会議」の狩野卓也氏がいうように、“今のニッポン人には日本が足りない”。とくに、中高年男女が「ニッポンが足りている」日本人にならなければ、日本の明日はないと思う…。
(だだっ児)
(2004.12.13)